1956-08-29 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第18号
そしてアルタイ州のバルナウルという町の捕虜収容所に入っていたのであります。一九四八年の六月に、帰還の目的で、ナホトカの港まで参りました。そこで医者の不足からしてしばらく手伝ってくれといわれまして、約一年間、ナホトカで診療に従事しておりました。
そしてアルタイ州のバルナウルという町の捕虜収容所に入っていたのであります。一九四八年の六月に、帰還の目的で、ナホトカの港まで参りました。そこで医者の不足からしてしばらく手伝ってくれといわれまして、約一年間、ナホトカで診療に従事しておりました。
先日の証人喚問の際にも私が申しました通り、指を切つた團長、血盟團の團長こういうものが我々のところへ言つて來て、そうしてソ連側も立会でそれを全部開いて、この森脇君を元の收容所、中央アジアのバルナウルであつたと私は聞いておりますけれども、バルナウルにおるところの佐藤大佐、この方面の調査て並行して、森脇君は暫くナホトカに約四、五ケ月だと思いますけれども、ナホトカに残つたということ、こうした例であります。