1954-12-07 第20回国会 参議院 厚生委員会 第2号
急を要して直ちにバラツクを建て、直ちに握り飯を配給しなければならんような場合に、災害救助法でもこの知事の立場を排際できるような規定は、私はなかつたと思う。どういうわけでここで知事を押しのけて行くか。これならば、国保は将来は都道府県の世話にならんということを、国会はその前提に立つのか立たないのかということを明確にしておかなければ、我が国の国保は崩壊すると思う。
急を要して直ちにバラツクを建て、直ちに握り飯を配給しなければならんような場合に、災害救助法でもこの知事の立場を排際できるような規定は、私はなかつたと思う。どういうわけでここで知事を押しのけて行くか。これならば、国保は将来は都道府県の世話にならんということを、国会はその前提に立つのか立たないのかということを明確にしておかなければ、我が国の国保は崩壊すると思う。
そこで引受けました全国関係の市町村若しくは社会保険若しくは健康保険の組合等は、当時ああいう資材の少い頃、バラツク式に建てられた建物でございますから全くお粗末でございまして、建ち腐れにならんとするようなものでありましたけれども、折角のそういう社会医療施設の機関でございますからこれを引受けて、まあ非常な腐蝕、修理というか、そういうものを加えまして、一応まあ何とか恰好のつくものにしまして、医療その他の内部設備
特にあのバラツクとも言えないようなわら屋根などが、片つぱしから飛んでしまいまして、住宅がほとんどない。もう雪が降つております。その雪が降つている中で、食糧を失い、家を失つた開拓農民が、どのような悲惨な生活をしているかこいうこの実感を、大臣もどうかひとつはつきりと御認識を願いたいと思うのでございます。種苗の助成につきましてもさまざまなお話がございました。
○国務大臣(小澤佐重喜君) 今田中さんの言われたように、やはりこの行政機構というものは一本化して、而も基本的な住宅行政が行われることは望みますけれども、従来の建前は、恐らく応急的措置というので、そういう仮設バラツクというものは、まあ住宅と言えば住宅と言えますが、取りあえず凌ぐという建前から従来やつて来たと思うのであります。
○説明員(師岡健四郎君) これは御承知のように、災害救助法によつて例の厚生省のバラツク住宅がすでに建つておると思いますが、どのくらい行つておりますか、大体二割くらい行つておるのじやないかと思いますが……。それから都市計画のほうがきまりませんので、まだ公営住宅の建設、又この予算もきまりませんので、そういうふうには立至つておりません。
特に東北地方の冬の子供たちの遊びということになりますと、大へん困るのでございますが、まだ講堂と指定されております広い建物もいただいておりませんので、私は講堂でなくても冬の運動場としてバラツクでもいただきたいと思つておりますが、それもできていない状態でございますので、ぜひ一ついろいろの面でみんな大切なあれでありましようけれども、今度こそ予算のほうにお組み下さいまして、施設を整えていたかきたいと存じます
そこでそういう見地から具体的にこの、三カ所について簡単に申上げますと、例えば神戸の簡易裁判所の建物は、もとのマツチ会社の煉瓦造りの、誠にお粗末なもので、中の設備も全くバラツクであつて、これが一体一般の住民が簡易裁判のいろいろな事件を持つて行くのに、誠に刑務所に入るような感じがいたしまして、体を成していない。
で、現在、抽象的になりますが、戦災を受けた庁舎のうちでまだバラツクにおるもの、それから古い庁舎で四十年以上もたつておる木造のうちで、もう修繕がきかない程度のひどいもの、それから終戦後新らしくできました家庭裁判所、それから簡易裁判所で庁舎がない、或いは借物でやつておる、非常に困つておるので、是非新築しなければならないものというものだけを拾いまして、大体不燃の鉄筋で建てるといたしまして、約百億ぐらい要るという
ところがバラツク建の検察庁が最近の時勢になつて、漸く本建築が可能になるという時勢を迎えているので、裁判所の構内に検察庁舎を持つて行きたい。こういう機運も間々ある。ところが聞くところによりますと、裁判所のほうがどうもけちなんで、頑固なんで、余つている敷地を提供したがらない。
今北海道庁は非常な非常措置をとつて、全道の請負業者、建築業者に命令して、何十個分かのバラツクを建てることをやつています。みな奉仕的にそれに協力して、どんどん掘立小屋みたいなものを建てておる。そこで雪が降るまでに一般のただ単に寝泊りするバラツクだけはどうにかできるのじやないか、道庁の当局も、もうそれだけは人道問題でもあるというので、寝泊りする小屋だけはつくるのだ、こういうのです。
これは全く私から見ればバラツクでございます。相当たくさん川のヘリにありますけれども、大部分のストアはバラツクです。従つて私は品質は悪くなる度が多いのじやないか、やはりタイは一年中米の生産があるそうですが、タイ全体から見るというと、米の出る割合はやはり雨季、乾季があるから一時に出るそうです。
それと先般来今申上あげております運動場の南側に拡がつております、まあ先方は練兵用に使つておりますが、空地を若し万一学校側で臨時にでもバラツクその他の増築その他の必要が起つた場合には、当面運動場の方面へ延びて来る以外に方法がないわけでありますから、運動場のために用地を残す意味でその空地の問題を何とか考えて欲しい。これがまあ当面我々の提出している要求であるわけです。
たとえば、今度見て来た札幌郊外豊平町、旭川、帯広近郊の音更あるいは函館における引揚寮の状況を見ますと、これらの大部分が明治三十四年に建築されたところの軍用建物の兵舎、うまや、倉庫あるいは戦時中のバラツクの工員宿舎が充てられておりまして、ここへ行つて来たとき、受田君などはほんとうに涙を流しておつたのでありますが、非常な惨状であります。
それであのバラツクのきたない建物が、これは外国人にもみんな目につくだろうと思う。この機会にあそこくらいはりつぱな建物にし、裁判所のりつぱな庁舎をつくるべきではないか。最高裁判所の機構の改革とあわせまして、ここに目に見えるりつぱな司法権、これにふさわしい建物を東京に建てていただくべきではないか、そう考えております。五、六億の金はただいまの国家においては大した金でにない、私はこう思います。
その後終戦を迎えまして駐留軍が入つて参つて、そこがモーター・プールに使用されたとこういうふうなわけで、ございまして、新宿と申しまするのは、まあ今日東京でも盛り場の一つとして十分認識されているところでありまして、その後のいろいろな関係で非常に復興も早く、バラツクなども頻りに建ちまして、その後の関係においてはどんどん復興して参つたわけであります。
芝浦の人たちは、自分の借地を削つて、そうして、バラツクでも作つて、そこに入れてあげたいというようなことで、これがまとまりまして、ともかくも曲りなりにも救われる。そうして又私どもの希望は、全部の借地人、地家人全部を救つて頂きたいのですが、衆議院のほうは、それでは行き過ぎるというので、修正案となつたわけでございまして、それよりも我々同士で一つ救いたい。
極端なものを入れますと、家が立ちのきになつておりまして、半分くらい未完成のままで放置されておるものもありますが、中には自分は前の家を売つてしまつたというので、いやおうなしにバラツクをつくりまして、浮浪者のような家に住んでおられるような気の毒な者もおられるようであります。こうしたものは典型的なものでありますけれども、確かに昨今の住宅事情を反映いたしまして、そういうような相談が多いのでございます。
無償貸付及び譲与等に関する法律において規定されることになつておりまして、これはただいまお話しのように濫にわたつてはたいへんな問題になるということは、私どもも十分警戒いたさなければなりませんが、具体的に申しますると、たとえば橋梁が流れた、すぐ近くに国有林がある、そういう場合にただちに国有林材を供給して仮橋をかける、こういうような場合には国有林材を無償で提供することができる、あるいは罹災者に対しまする応急のバラツク
そうすると、和田組から売つてもらつて、三坪なら三坪のバラツクを持つている人は登記もして、これは証明されます。はつきりと地上権と借地権が……。このぐらい立派な証拠書類はないのです。建物を自分が持つている、家も持つていると届け出ている限り、自分の建物を持つている部分は借地権は確立しているのです。この借地権に対してどうかということを地主に言つたところが、おれはそんなものに貸しておる覚えがない。
仮に、最初は土地を不法占拠してバラツクを建築した。そのバラツクが不法占拠の事実を知らない善意な第三者の手に売却されたという場合には、少くとも今日そののち七年、八年たつておりますならば、その建物の建つておる敷地そのものが地上権というものがおのずから確立されておるものと考えられるのです。
バラツクすらできなかつたことがあつた、制限していたから。併し今は自由に建てられる。地主の承諾書がなくても建てられる。そうして本建築をしてしまつて保存登記をする。その認定の仕方が、バラックならば認めたけれども、本建築ならば認めないということがあるんですね、そういうケースがやはり。
それについては、期限を切るということは、実際上施行主体においてなかなかできないから、それじや建てさせるが、しかも本建築はしてはいけない、いわゆるバラツク、そしてそこを実際に仕事をするときには、自費をもつて立ちのけというように、実際にやつておるのじやないかと私は思うのであります。それを一々補償するということになると、区画整理事業費が非常にかさんで来る。
これはちよつと入り組んでおりまして、明治四十五年に衛戌病院としてできた古い病院を引継いでおりましたので、特に戦時中つくりましたバラツクが非常にいたんでおるというふうなことから、これを修繕しなければならないという病院地元当局の考えは、日夜その現状を目の前に見ておりますので当然のことでございますが、これを十分行うに足るだけの予算的措置を講じなかつたということから、当時の病院の庶務課長山口某がいろいろとやりくりいたしましたのでかような
都会の中心の一番いい所にアメリカ人のバラツクのようなものが建つておる、そして多勢のアメリカ人が往来しておるということが日本人の心理状態に非常に大きな影響を及ぼしておると思うのですが、これは私の希望なんですが、外務大臣の意見をお伺いしたいのですが、成るべく駐留軍の人は日本人の目のつかないところに動かすほうがいい。まあヨーロッパでもそうしておるようですが、そういう御計画はないのかどうか。