2014-02-05 第186回国会 参議院 予算委員会 第2号
この中で、こんなのは読むつもりはないんですけれども、加藤シヅエさんがこのMRAの、フィリピンのバギオで第一回のそのアジアの会議があった、そこに出席してきたことを報告しているんですね。日本からは星島二郎、その直後に議長になられますが、星島二郎先生と社会党の加藤シヅエ先生が出ておられた。
この中で、こんなのは読むつもりはないんですけれども、加藤シヅエさんがこのMRAの、フィリピンのバギオで第一回のそのアジアの会議があった、そこに出席してきたことを報告しているんですね。日本からは星島二郎、その直後に議長になられますが、星島二郎先生と社会党の加藤シヅエ先生が出ておられた。
○前田武志君 国でいうと三十か国ぐらいでしょうか、ということなんですが、実はこの議事録の後に、第二回のバギオの会議が秋にあったんですね。 そういうことを前提にしながら、実は、当時、星島自民党の後の議長、それから社会党のこの加藤シヅエ代議士を始め、ちゃんと議会を通じてこういう議論をしながらも、それこそあの当時日本が置かれた状況なんというのは今とは比べ物にならない厳しいものであったわけです。
配付した資料の二ページ目には死因も書いてございまして、例えば、栄養失調に因するかっけでフィリピンでお亡くなりになった、あるいは、アラカン州イポというところでは切り込み隊にて戦死された、あるいは、バギオというところでは米機の、アメリカの飛行機の機銃掃射でお亡くなりになられたとか、詳細に死因が書いてある資料もございまして、こういうところを分析すると、いかに日本の国策を誤った部分が起こったのか、その原因は
一九四一年十二月八日のアジア・太平洋戦争開戦当時、フィリピンにはダバオ、バギオを中心に約三万人の日系人社会が存在した。一世は日本から移民した日本人、二世・三世は父が日本人、母がフィリピン人のケースが多いが、両親とも日本人のケースもある。
そして、ダバオ、バギオ、マニラ、そのほか全土にわたって邦人がおられたわけでございますけれども、この邦人社会は戦争協力に総動員をされたということでございます。そして、日本人として軍人軍属に徴用するという前提で全員が戸籍謄本を添付して邦人登録を強制されたという事実がございます。 この事実は外務省、法務省ともお認めになりますか。
また、日露戦争のころには、マニラからバギオに行く断崖絶壁の道路を、日本人のみがこの難工事を敢行できるだろうというアメリカの将校の進言によって千人余りの日本人が送られ、そして爆破事故あるいは悪天候、悪疫等のために五百人余りが命を失って完成したという、そのことがこのフィリピン移民の始まりでございまして、バギオ並びにダバオといったようなところにこの方たちの相当部分がとどまったと聞いております。
それから、ちょっと時間があれですけれども、ビザの発給について、日本にそういう方が来たいというときに、今マニラとバギオですかダバオですか、二カ所でしかビザが発給されていない。そういう中で、非常に何度も何度も領事館、大使館に呼び出される。非常にそこの大使館等に行くにも交通費もかかる。
その中で、たしか調査されたのがマニラとダバオとバギオの三カ所でやられたと思いますが、実際フィリピンはああいったくさんの島から成っておりますし、山奥から出てくる方もいらっしゃいます。その中で、一週間かけて八八年の三月十日から十七日までやられたというふうにお伺いをしております。
○喜屋武眞榮君 厚生省は、去る三月の十日から十七日まで、五名の調査団を派遣してフィリピンのマニラ、ダバオ、バギオ、三市調査をしておられますが、その調査の結果を承りたい。
また、これに基づきまして昨年の八月及び本年の二月、それぞれバギオ及びダバオに在マニラ大使館の公使を実情調査のために派遣をいたしております。 それに対する対応ぶりというお尋ねでございますけれども、この実態調査を通じまして日系の方方のいろいろな御要望が出てまいりました。
何が変わったかというと、今までは官僚ベースで積み上げてきた十六、七のプロジェクトの中には影も形もなかったマルコスの生まれ故郷バギオの近くにつくりたかったサンロケプロジェクトという、今からすれば壮大な夢のプランだが、これがいきなり中曽根氏フィリピン訪問の直後、四日後から急浮上をして、マルコス氏がこう矢印を書いて、これを頭にしろと、入れろというふうな指示まで与えて署名をしている文書のコピーがあったわけですね
大体私の漏れ聞いた話によりますと、これはアメリカの下院の筋からの話によりますと、丸紅がマルコスの故郷のバギオというところのサンロケダムをめぐって、これは円借款の関係ですが、鹿島とペアを組んで、そして優先順位が一位になっているのですよ。この丸紅がやっぱり名前が挙がっているということは聞いておりませんか。さっきのサロンガさんの資料の中に丸紅が挙がっているというのは聞いておりませんか。
その中の一つに、マルコス大統領の生地に近いバギオのアグノ川流域の総合開発計画とされておりますサンロケ多目的ダム計画一なるものがあります。
積み上げてこういうプロジェクトならばまあまあ日本政府の了解が得られそうだといってきた十六のプロジェクトを飛び越えて、フィリピンマルコス大統領の夢と言われている生まれ故郷のバギオにつくる大プロジェクトにこのような順位で合理性もなくいきなり躍り出す。こういうあり方は私は許されないのではないか、確かに内政の問題の領域ではあっても。
バギオのほうにも碑が建てられたという記事が載っておりましたけれども、このバギオの場合は、やはり政府のほうではなくて、民間の形になっておるようでありますけれども、日本の将兵ばかりではなくて、戦禍に巻き込まれて命を落とした多くのフィリピン国民の冥福をも祈り、あわせて両国の友情と兄弟愛を誓うシンボルというふうに、このバギオの慰霊碑は説明をされているということですね。
その後バンディ次官補はこの政策を携えて日本その他極東の国々を訪問しましたが、二月の二十八日からフィリピンのバギオで開かれたアメリカのアジア公館長会議に出て、こういうことを言うております。日本、フィリピン、マレーシア、台湾、韓国、タイは中国封じ込めの同盟を築くべき国々であると。そこで公館長会議のコミュニケを見ると、こう言うておる。
その第一に、三月二十一日から二十四日前後にかけまして、御承知のように、アメリカのハリマン国務次官補が日本に来られまして、その次官補はフィリピンのバギオで会議をやったあと回って来られたのでありますが、東京から直接帰国される予定であったところ、急に予定を変更されて、二十一日バンコックに向かわれました。
○飛鳥田委員 そこで長官にお聞きしたいと思いますが、先般バギオにおいてアジアにおける反共諸国家の軍事秘密会議が行なわれた、こういうような報道がありました。現に調べてみますと、日本でも十一月十一日から二十日までの間、林統幕議長と頼富美夫空将が公用出張でバギオに行っておられる。こういうことが私たちにわかって参りました。
一月三十日派遣団はかねての計画に従いまして班を二つに分けまして、かりにルソン班、ビサヤ班と私どもは称しておりますが、その二班に分かれまして、ルソン班は一月三十一日ジープ四台に分乗いたしましてマニラを出発、お手元に資料を差し上げてあると思いますが、ルソン島内主要戦場でありますところのタルラック、バギオ、ボノトック、キャンガン、ツゲガラオ、バンバン、サンホセ、さらにマニラ各地区で収骨及び追悼式を行いました
○政府委員(松本瀧藏君) 先般バギオで行われましたアジア地区の会議におきましても、この問題が出たということを聞いておりまするが、いろいろとデリケートな問題がございますので、直接今手を出すことは一つ差し控えようという結論だったそうであります。
さらに、去る十一月末には、フィリピンのバギオにおいてSEATO破壊活動防止委員会が開かれ、加盟各国に対して、日本、国府、韓国、マラヤ等を参加させるよう勧告することを決議いたしましたことは、御存じの通りであります。このSEATO参加は、当然に核装備体制への参加に結びつくわけであります。
それにつきまして、去る三月の二十九日から四月の八日まで、フィリピンのバギオにおきましてMRAが主催いたしましたアジアMRA会議というのが開かれまして、これは、総理大臣も、かつてMRAが日本に芝居を持って参りましたときに、それをごらんになったり、あるいはちょうど今から一年前に、MRAの創始者のブックマン博士が国会を訪問されたとき、お会いになっていらっしゃるので、御記憶があると存じますが、MRAの主催の
議員星島二郎君より、フィリピンのバギオ市において開催されるMRAアジア大会に出席のため、三月三十日から四月八日まで十日間請暇の申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕