1970-04-24 第63回国会 衆議院 建設委員会 第14号
○吉田(之)委員 ほとんどこの信和興産が宅地造成をやり始めた時期とそれから建設省がバイパス予定地として買収した時期とは相前後しているわけですね。私はこういう場合、ある日突然建設省が、あるいは地建がここへ道をつけるんだというふうなことを申し入れるというようなことではないだろうと思うのです。
○吉田(之)委員 ほとんどこの信和興産が宅地造成をやり始めた時期とそれから建設省がバイパス予定地として買収した時期とは相前後しているわけですね。私はこういう場合、ある日突然建設省が、あるいは地建がここへ道をつけるんだというふうなことを申し入れるというようなことではないだろうと思うのです。
県当局は、四十五年の万博を控え、現バイパス予定地への建設を強く希望しておりますが、これに対して奈良国立文化財研究所等関係者は、宮跡の一部であることが予想されるので強く保存を要望しておりました。しかも、両者の間には十分な意思の疎通が行なわれていないように見え、今後の円満な解決の困難さが予想されるところであります。
これはバイパスと関連いたしまして路線を調査いたしましたところ、当時の建物の遺構ないしは木簡といいまして、当時、記録の紙がなかったか、少なかったかした関係で、木の片に書く慣習があったようでありますが、木簡が多数出土しまして、この北の百六十五号線バイパス予定地がほとんど藤原宮趾に間違いないという推定がなされるに至ったのであります。