2002-12-10 第155回国会 参議院 国土交通委員会 第9号
さらに、二十六年前にさかのぼりますが、昭和五十一年、津軽海峡経由でナホトカへ向け航行中のソ連船籍定期客船バイカル号に乗船しておりました日本人女子大生が、我が国領海外の公海で同船の四等航海士に殺害されたという事件も発生しております。 次に、IMOにおいて紹介したときの状況についてのお尋ねでございます。
さらに、二十六年前にさかのぼりますが、昭和五十一年、津軽海峡経由でナホトカへ向け航行中のソ連船籍定期客船バイカル号に乗船しておりました日本人女子大生が、我が国領海外の公海で同船の四等航海士に殺害されたという事件も発生しております。 次に、IMOにおいて紹介したときの状況についてのお尋ねでございます。
思い起こせば、七六年七月、ロシア語を学ぼうと横浜港を出発したバイカル号に乗った外語大の学生、長岡真理子がロシアの船員に殺されて海に投げ込まれた事件がございました。これは私の親戚でございましたが、親が真相を当時のポリャンスキー大使に迫ったのですが、犯人は精神病者で刑事責任というものはとても問えないとの結果に親戚一同、非常に悔しい思いで一杯でございました。
昨年十一月、米航空母艦イントレピット号の水兵四人が横須賀に停泊中脱走、ソ連定期客船バイカル号で国外に脱出したことは記憶に新しいことであり、大きな社会問題を提起しましたが、わが国では自衛隊員の行くえ不明の実情はどうか、お伺いします。
したがいまして、バイカル号などナホトカ航路によりまして、ナホトカ経由でハバロフスク、エールクックを通じて平壌への道は通じておるものと私は考えております。
○小川政府委員 ナホトカ航路はソ連のバイカル号が就航しておりますので、これは相当収容人員があると思います。 それから、貿易船につきましては相当数が就航しておりますが、その中で一番大きな船は約十人くらいの船であります。費用については、ちょっと承知しておりません。
しかし朝鮮人帰国の問題は、朝鮮人の生活をかけての重要な問題でございますから、そういううろ覚えの御記憶でお答えくださったとするとたいへん困るのでありまして、どうかツーリストビューローなりその他に局長の秘書なり参事官なりおやりくださって、バイカル号はどのくらい満員か調べさしてごらんなさい。バイカル号に乗る人はモスクワ経由のツーリストであって、非常に多額の金がかかる。
結果論にしても、とにかく白昼堂々とソ連の定期船のバイカル号というのに乗って、そうしてテープを受けて、その写真まで載っている現状であります。そしてそれを見のがしてしまった。これはもう巧妙にして大胆にやったことであるからしようがないということで、しかも人手不足であるというようなことでは、やはりこれは責任問題だろうと思う。そういう点、結論的にやはり人手不足だという点に対して私は追及するわけであります。
すなわち、普通の乗客は全部入国管理事務所に出頭いたしまして、そうして旅券その他の必要なペーパーに出国の証印を取けまして、それから船に乗って出かける、こういう順序でございまして、その当日のバイカル号もまず大部分はそういうことになったのでございますが、ただ、バイカル号に限りませず、一般的に横浜港から商船、すなわち人を乗せる船が出ます場合には、見送り人とそれから訪問者と申しますか、そういうものが非常にたくさん
そこで現実に、それではそういうことがあったかと申しますと、これは本年の一月十七日に横浜港を出港しましたバイカル号というソ連の船がナホトカ港に向かったのでございますが、その船で朝鮮人の洪三孝とその妻君の尹澄子の両名が出国いたしております。
○横山委員 私はちょうどあの日、たぶん四人が乗ったであろうと思われるバイカル号に乗っておったわけであります。ソビエトへ行きまして、自分の船と同じ船らしいということを聞いたわけでありますが、どうも世上伝うるところによりますと、日本の警察陣なりあるいは特殊な機構は知っておったのではないかという話が、ちらほらするわけであります。
○赤間国務大臣 お答えをしますが、日本からバイカル号か何か、とにかく船に乗って出たということは、あとから承った次第でございます。逃走の経過と申しますか、行動は当時あまりつまびらかでなかった。
○岡田説明員 ナホトカの港に入ります船は、御存じのように、バイカル号とかそういう船で参りまして、そこからすぐに汽車に乗ってハバロフスクへ立てるようになっておりますので、もちろんそこでいろいろ便宜供与をしなければならない事態もないわけではございませんけれども、原則として、いままで支障なくナホトカから汽車に乗ってハバロフスクに立っているわけでございます。