2020-12-01 第203回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第3号
やっとハンフォード・サイトのような具体的な取組が始まると期待をしている一人でございます。
やっとハンフォード・サイトのような具体的な取組が始まると期待をしている一人でございます。
○高木(美)委員 大臣、もし、お時間、大変だと思いますが、ハンフォード・サイト、ハンフォードを一度視察していただいた方が、また何かの参考になるかと思いますので、その点、提案をさせていただきたいと思います。
実は私、今から六年前の二〇一四年の夏ですが、アメリカ・ワシントン州の内陸部にあります元核兵器開発施設のハンフォードサイトを視察させていただきました。このハンフォードサイト、日本にも関係があります。長崎に投下された原爆のプルトニウムを作った施設として知られているんです。
この資料の二、先ほど述べましたハンフォードサイトにおけるトライデックを始めとした地域の発展のための調整機関、また教育研究機関、地方自治体などの連携を示した図であります。 この真ん中の緑のところが調整機関であるんですけれども、この代表例であるトライデック、私も六年前視察をしたんです。
私も、先ほどのワシントン州ハンフォードサイトで、まさにこの除染活動に大きな貢献をしたPNNLといういわゆる研究機関、これは恐らく職員で四千人、予算でも年間三千億か四千億円ですか、大変巨大なプロジェクトが実はハンフォードサイトの除染、そして町の経済成長にもつながっているということでありますけど、これをいよいよ福島でもやっていただけるということでありますので、横山復興副大臣、是非進めていただきたいんですけど
有識者会議では昨年七月から大変熱心に御議論いただいておりまして、昨年の十一月の中間取りまとめでは、例えばこの拠点に関して、特に定住人口の拡大、若い世代の定着、移住等に資する拠点とすること、あるいはハンフォードサイトにおける事例等も参考にし、地元企業や自治体と密接に連携する組織や枠組みを検討することなど、原子力災害に見舞われた福島浜通り地域の復興創生に資する教育研究拠点であることが重要とされております
この福島イノベーション・コースト構想、だんだん形が見え始めてきた、そういう実感を私も持っておりまして、ハンフォードサイトまで私も視察に行き、一緒にこの構想を後押ししてきた一人として、やっとこれから本格的に始まる、そうした思いを持っております。 この構想につきましては、既に法定化され、予算化もされておりますので、この青写真も何らかの形でしっかりとつくる必要があると思います。
二〇一四年の八月には、ドイツのゴアレーベンサイト、スイスのモンテリ岩盤研究所、アメリカのハンフォードサイトを視察させていただいて、昨年の八月に、アメリカ・ニューメキシコ州カールズバッドにあります核廃棄物隔離試験施設、WIPPも、なかなか難しかったんですが、やっと見せていただくことができました。
あわせて、今、ハンフォードサイトについて、ぜひ行ってこいということでございます。先生がそこへ行って今回のイノベーション・コースト構想を積み上げていったということは存じ上げておりますので、ぜひ、機会を捉えて、前向きに考えていきたいというふうに思っております。
やはり行ってみないとわからないことがありまして、国会が延長して、大臣も連日激務だと思いますが、一度、福島の復興のお手本になる地域がハンフォードサイトだと思いますので、ぜひチャンスを見て御視察いただきたい、こう思いますが、一言いかがでございましょうか。
その意味で、ハンフォードサイト、ディザスターシティーについては、非常に重要な施設であるというふうに認識をいたしております。 ただ、九月まで延長になったという状況の中で、そして、多分そこで内閣改造があるんじゃないかな、こう思いますので、私が行けるかどうかについては即答しかねます。
私は、一昨年、昨年と、スウェーデンのエスポ岩盤研究所、フィンランドのオンカロ地下施設、フランスのビュール地下研究所、ドイツのゴアレーベン地下研究所、スイスのモンテリ岩盤研究所、アメリカのハンフォードサイトと、これを自費で視察してきました、ここを強調しておきたいと思うんですが。
私は、昨年夏、福島イノベーション・コースト構想のモデルとなっているアメリカのワシントン州の内陸部にありますハンフォードサイトを視察をいたしました。かつて放射能汚染に苦しんだ元核施設、長崎用の原爆、長崎に落とされたプルトニウム型の爆弾の原料を造っていたそういう核施設です。
先ほど申し上げました、私が昨年夏視察をいたしましたハンフォードサイト、このサイトは、大体縦横四十キロメートル四方なんですけれども、汚染土壌そして放射性廃棄物をサイト内の高台にあります処分場に四半世紀掛けて運搬をし、今でもその作業が続いています。
昨年の八月、私は原爆のプルトニウムを生産していた米国ワシントン州ハンフォードサイトを視察しました。冷戦終結後は、廃炉や汚染物質の除却、地下水対策、ブドウ栽培とワイン製造など、廃炉作業や農業生産の基地として生まれ変わっております。行政が粘り強く住民との対話を繰り返し、丁寧な対応を積み重ねた結果です。福島県の良い参考になると考えています。
私、この七月に、アメリカのワシントン州の元核施設でありますハンフォードサイトを視察をしてまいりました。 この施設は、第二次世界大戦の末期の一九四三年、昭和十八年に核兵器の研究開発拠点として開発が始まりまして、その後、冷戦期間を通して軍事用のプルトニウムの生産拠点、そして原子力発電の拠点として稼働をしました。
ちなみに、我々もさまざまところとの情報交換を行っておりますが、米国のシンクタンクの専門家からは、アメリカであれば、いわゆる武器関連施設が膨大なリソースを持っている、あるいは米国のエネルギー省のサバンナリバー国立研究所やハンフォード・サイト、このような施設で複雑なプロジェクト管理を請け負っていた大手企業、そのような組織の専門人材が挙げられるなどの御意見も頂戴をしています。
先月の十二日から十九日、アメリカのワシントン州ハンフォード・サイトですか、の方に視察に行かれたというふうに報道されております。 かつてのアメリカ軍の核兵器製造施設でございます。
ちょっと紹介しましたが、私も去年の一月にアメリカの施設を見たときに、ハンフォードサイト、生産炉を八つ持って、アメリカの原水爆の原料、プルトニウムを全部そこで生産しておった。それは八つとも廃炉にして、ところが、高濃液の百万ガロン単位のタンクが百六十個ほど地下に埋設してある。ところが、一重のタンクはどうしても漏れて、それが地下水帯にまで達して、十五年たつとコロンビア川に移っていく。
動燃事業団の東海事業所、青森県庁、六ケ所村役場、県農協中央会、県商工会連合会、県労会議、六ケ所村商工会、漁業協同組合、酪農協同組合、県内住民団体、日本原燃サービス東京本社、六ケ所建設準備事務所、日本原燃産業東京本社、六ケ所建設準備事務所、電気事業連合会、アメリカ・ニューヨーク州ウエストバレー再処理工場、アメリカ・ワシントン州ハンフォードサイト、アメリカのエネルギー省と原子力規制委員会、以上でございます