2006-10-05 第165回国会 衆議院 予算委員会 第2号
シュンペーター教授は、もともとはオーストリアの大蔵大臣をやられていて、つまり、第一次世界大戦前後の大蔵大臣ですから、オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊するときの財務大臣、大蔵大臣であったわけでありまして、そこからアメリカに行って、ハーバード大学の教授になって、いろいろと大変な論文等をお出しになっていて、私自身は、このイノベーションがシュンペーター教授だぐらいのことしかわからないんですけれども。
シュンペーター教授は、もともとはオーストリアの大蔵大臣をやられていて、つまり、第一次世界大戦前後の大蔵大臣ですから、オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊するときの財務大臣、大蔵大臣であったわけでありまして、そこからアメリカに行って、ハーバード大学の教授になって、いろいろと大変な論文等をお出しになっていて、私自身は、このイノベーションがシュンペーター教授だぐらいのことしかわからないんですけれども。
○長尾参考人 少数者の保護という問題は、これは非常に大きな問題で、私なんかが多少研究しているヨーロッパのユダヤ人問題だとか、昔のオーストリア・ハンガリー帝国の少数民族、チェコ人だとか、そういう問題だとか、アメリカの黒人問題だとか、実に多種多様な問題があって、そういう問題についてどうすべきかということについては、そう簡単に一概には申し上げられない。
明治の大日本帝国形成期、このころは大英帝国だとかオーストリー・ハンガリー帝国、ドイツ帝国など西欧型の帝国もありましたし、オスマントルコ帝国とかロマノフ帝国、これは西欧型に半分入れてもいい。中国の大清帝国、そういった古い形の帝国もありました。
ただ、経済面になりますと、地理的な近隣性、あるいは歴史的な、オーストリアは特にオーストリア・ハンガリー帝国というのがずっと第一次大戦まで存在していたわけでございますし、そういう過去の歴史の共有。それから、ドイツもそういう意味では、第一次大戦、第二次大戦を通しての同盟関係というようなこともございまして、確かに投資面それから貿易面で見ますと、特にドイツは首位を占めている。
また軍部は、特に陸軍は皇帝や政府の言うことを無視して、いろいろと謀略、陰謀のたぐいを繰り広げておりまして、御承知のサラエボ事件も、その背後にはプリンツィプという青年がオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻を暗殺しました。そのプリンツィプという青年の背後には帝政ロシアの参謀本部が動いておったということは、今日では疑う者がおりません。そういうようなまことに好ましからざる状況にあった。
つまり第一次世界大戦における戦争の発端にしましても、オーストリア・ハンガリー帝国の王子が狙撃をされた。あるいは満州事変にいたしましても、夜間演習をやっておる最中に中国軍の兵舎から銃声が一発あって、それが大戦争に発展をしていっているわけです。
あるいはオーストリア・ハンガリー帝国が分離した。そういう場合に、いわゆる連合国側になって戦った国、そうでない国、いろいろある。それらの国々と母国との間のいろいろな債権、債務、あるいは公有財産の譲渡、いわゆる譲渡権の問題がどういうことになっているか、当然調べられていると思うのです。
ただ唯一の例外と申しますか、これに似たような例は、今から約百年前のことでありますから、少し古くなりますが、百年前に当時のプロシヤがドイツ帝国を作らんとして、その味方にするために、当時のオーストリア、ハンガリー帝国を破りまして、そのときに作つた講和條約、一八六六年のプラーグ條約、それが戰敗国に対して非常に寛大な條件の講和條約を與えたということで世界の歴史上有名な問題であります。