1962-05-07 第40回国会 参議院 外務委員会 第23号
内閣提出、衆議院送付) ○継続調査要求に関する件 ○ドミニカ国ネイバ地区引揚者救援に 関する請願(第五九七号)(第五九 八号)(第六三〇号)(第六四四 号)(第八一一号)(第八四三号) (第九一四号)(第九四〇号)(第 九四一号)(第九五三号)(第一〇 七四号)(第一二二一号)(第一二 二二号)(第一二二三号)(第一二 九五号)(第一二九六号)(第一三 一七号) ○ドミニカ国ハラバコア地区
内閣提出、衆議院送付) ○継続調査要求に関する件 ○ドミニカ国ネイバ地区引揚者救援に 関する請願(第五九七号)(第五九 八号)(第六三〇号)(第六四四 号)(第八一一号)(第八四三号) (第九一四号)(第九四〇号)(第 九四一号)(第九五三号)(第一〇 七四号)(第一二二一号)(第一二 二二号)(第一二二三号)(第一二 九五号)(第一二九六号)(第一三 一七号) ○ドミニカ国ハラバコア地区
いずれにいたしましても、非常にネイバ、ハラバコア地区の方々は困っておられますので、従来、移民は棄民なり、と言われまして、出してしまったらもうあとは知らぬというようなことで、今非常に成功しておりまするブラジルの移住等においても、マラリヤである一部落が全滅したというようなこともあって、その当時も政府は知らぬ顔しておったわけでございます。
————— 三月十四日 航空業務に関する日本国とパキスタンとの間の 協定の締結について承認を求めるの件(条約第 五号)(参議院送付) 航空業務に関する日本国とイタリアとの間の協 定の締結について承認を求めるの件(条約第六 号)(参議院送付) 航空業務に関する日本国とインドネシア共和国 との間の協定の締結について承認を求めるの件 (条約第七号)(参議院送付) 同日 ドミニカ国ハラバコア地区
○久保委員 ただいまお答えがございましたが、当決算委員長あてに、いまだハラバコア地区におる帰国同志会の会長なる人から、ドミニカ移住の真相を御報告として先般書簡があったようでありますが、これについても——高木局長がただいま申されたことは、前のお話とは少し違うと思うのでありますが、いわゆる政情の急変というか、そういうものが重大なる支障となってかかる結果を招いたというさきの答弁には、承服しがたいというような
ハラバコア地区にしましても、ある程度当初においては営農のできるところもあった。ところが、ネイバ地区にいたしましても、他の塩分のとても多い地帯におきましても、これは全く入植当時から困難な実情であったということは、この間の参考人の証言によってもこれは明らかなところであります。これに対して、出先の大使館あるいは海協連の支部等が全く農業知識を持っておらない。
一九六十年十月三十日に、ハラバコア地区の日本人会長吉田清、この人から外務大臣に直接あてた照会状にちゃんとそのことがみな載っておる。ですから、そんなごまかして作ったものではない。正式に書類であなたのところにその照会を出している。そういう工合にやっておるのですから、根拠のないものだとは私たちはあまり言えないのです。
そのうち、現地におきまして公館なりあるいは海外協会連合会支部との打ち合わせ、まず調査といたしまして打ち合わせその他に最初数日間を費やしまして、その後ネイバ地区、ドベルヘー地区、ハラバコア地区、ダハボン地区、コンスタンサ地区、バラオーナ市場、サンチャゴ市場というような地区を、それぞれ各地区ごとに二日ないし三日を費やして調査をいたしました。
○足鹿委員 いま一つ、現地の営農事情について、ハラバコア地区の状況を知る資料が私の手元にあるのですが、これはハラバコア地区の高橋さんのところへ入られた人のようですが、長崎の大櫛佐一郎という人の資料です。
○野原委員長 高橋さん、あなたにちょっと注意しますが、北海道のあなたの体験もさることながら、まず一つドミニカにおけるハラバコア地区におけるあなたの体験したことを中心にしてお話しいただきたい。時間もあまりございませんので、最初からお断わりした通り、大体十五分くらいで述べていただきたい。まあ多少延びてもいいですが、どうぞ一つ……。あまり北海道のお話ばかりすると、向こうの方が……。
二月八日の決算委員会で、やはりハラバコア地区の当銀という参考人が、こういうふうに言っておるのです。「ハラバコアの場合を申し上げますと、現在残っておる人も、これから次に二月、三月、四月と帰って参ります。そして先ほど申し上げたように、移住振興会社から金を借りたために帰れない人と、個人的に——現地にアメリカそれからドイツ、それからドミニカの肥料会社があるのです。
ところで中田さんにお聞きしますが、中田さんは現地調査に行かれて、調査報告計を書くまでの間に、すでにしてハラバコア地区その他の募集は開始しておる。方針はすでに定まっておる。すでに動き出しているのだということを知っていらっしゃったと思うのですが、それはその通りでよろしゅうございますか。
池田清志君紹介)(第一〇九八号) 同(内海安吉君紹介)(第一〇九九号) 同(辻原弘市君紹介)(第一一〇〇号) 同(野田武夫君紹介)(第一一〇一号) 同(伊藤卯四郎君紹介)(第一一三五号) 同(楢崎弥之助君紹介)(第一一三六号) 同(飛鳥田一雄君紹介)(第一二一〇号) 平和の擁護に関する請願(田邉國男君紹介)( 第一〇五八号) 同外四件(田邉國男君紹介)(第一一八四号) ドミニカ国ハラバコア地区
○久保参考人 姫路から出身されておった安積武已という人ですけれども、その人が、昭和三十三年の八月のことですが、大使閣下も来られまして、それでドミニカ政府の方から扇動者という汚名をきせられて強制送還ということになったけれども、私がその間を取り持ってハラバコア地区というところに強制転住ということになりましたと、そう私どもは大使閣下の口から聞いておるわけであります。
○西村(力)委員 次にお尋ねしたいのは、今ハラバコア地区でしたか、一人が扇動者というレッテルを張られまして、強制移住をさせられたということがありまするが、あの強制移住はどこが命令したのですか、どこに行ったのか、その強制移住させられたところには日本人がおったのかどうか、そういう点はどうですか。ネイバでしたか……。
全般につきましては、外務委員会における質問に譲りたいと思うのでありますけれども、ドミニカ国のハラバコア地区から外務大臣あてに送られました嘆願書があるのであります。これは外務大臣もごらんになったと思う。一九六〇年十月一日付、ハラバコア日本人会の会長吉田清という人の名前で、外務大臣あての嘆願書が出ているのであります。
そういたしまして、昨年暮れから今日までで、ネイバ地区、ハラバコア地区と合わせまして約六十家族弱が、国援法の援助で日本に帰って参った次第でございます。
ただ、申し上げたいのは、ハラバコア地区にしても、過剰入植になったということも、一貫した政策がないからではないかと思います。過剰入植になっておる。それでこれも三十二家族ほど今日まで帰ってきておる。
今回のドミニカの入植地につきまして、特に問題のありましたネイバ地区あるいはハラバコア地区につきましては、農林省におきまして、当時の拓植課の職員でありまする技官が調査に参っておるわけでございます。この調査も実は南米各国を回りまして、ベネズエラ、ブラジル、アルゼンヂン、パラグァイ、ボリビアを経ましてドミニカにもその一環として調査に参ったわけでございます。
このネイバ地区と、もう一カ所ハラバコア地区というのがありますが、この両地区は営農状態が悪くなり、ダーボンそのほかの地区の移住者は、将来に期待をかけて営農に努めて、あまり動揺しておらないわけでありますが、特に御指摘のありましたネイバ地区の全員、それからハラバコア地区の特に営農のむずかしい家族、大体十六家族程度でありますが、この人たちにつきましては、国援法によりまして近いうちに日本に帰還してもらうという
しかしながら、その中でも、一番大きな移住地区でございますハラバコア地区とかコンスタンサー地区というのは、営農が非常に順調にいっておりまして、入植者の中には、すでに自家用車、トラックを持っておる者もある。あるいは近親呼び寄せをやっている人もある。つい最近も、近親呼び寄せが来ております。