1956-03-29 第24回国会 衆議院 本会議 第28号
(拍手) この点に関連して、なおお伺いしたいことは、昨年九月ハバロフスク訪問の社会党議員団に抑留者より託された十通ばかりの手紙についてであります。
(拍手) この点に関連して、なおお伺いしたいことは、昨年九月ハバロフスク訪問の社会党議員団に抑留者より託された十通ばかりの手紙についてであります。
ところが着いてみますと、北村団長も稲葉幹事も、その他の第一団でハバロフスク訪問を熱心に主張された方々も、羽田に来ていただいていなかったので、これはちょっと意外に思ったんです。私たちに敬意を表して迎えに来るということじゃなくて、熱心に訪問を要望されたハバロフスクの事情を一刻も早く知りたいということで羽田に来ていただけると思ったのですが、どなたもお見えにならなかった。
ハバロフスク訪問の経緯についておがありましたが、それは昨日穗積君話がありましたが、それは昨日穗積君からもお話がございまして、二十一日の会談の結果は、許可がまだおりたわけではないのでありますから、許可がおりてからお立ちになるようにということをモスクワホテルで十分話したわけだと思います。
特にブルガーニン、フルシチョフ、この方々と二十一日クレムリンにおきまして、北村、野溝両団長を初めとして、議員団一行が会見をいたしまして、その席上、両団長とも、抑留者の引き揚げの問題とハバロフスク訪問に対しましては強い要望をいたしました。
そこで、せめて保守党の北村団長以下の方がイルクーツクに行かれるまでに許可でもおりれば、ハバロフスク訪問ということも楽にできたのだろうというふうに思う。聞くところによると、北村団長も、いよいよ北京に向いますときにも、いまだにその許可がおりないのははなはだ遺憾であるというので、それを通訳に伝えて立ったということを聞いております。
従って、ハバロフスク訪問を団として正式に申し込もうという決議をしたことを私覚えておりますので、帰る前の日の二十一日に申し込んだのだけが申し込みでなくて、その前にも申し込んだか、それを一つ伺いたい。
二十二日にモスクワを立ったのは、本隊は、北村団長以下十二名がイルクーツクへ向いまして、あそこでおそらくハバロフスク訪問の許可がおりるとわれわれは期待をいたしておったのです。ところがそれがおりないで、北京へ着いた。二十四日の日に、ポーランドを訪問した社会党の十三名のうち八人が戻ってこられたときに許可がおりた。