1995-03-10 第132回国会 衆議院 厚生委員会 第5号
また、平成七年度においては、ロシア連邦のハバロフスク地区等六地域にロシア連邦以外のカザフスタン共和国、ウズベキスタン共和国を加えるとさらに二地域入りますので、八地域で遺骨収集及び墓参を実施するということも考えておるところでございます。
また、平成七年度においては、ロシア連邦のハバロフスク地区等六地域にロシア連邦以外のカザフスタン共和国、ウズベキスタン共和国を加えるとさらに二地域入りますので、八地域で遺骨収集及び墓参を実施するということも考えておるところでございます。
ハバロフスク地区の、あるいはチタ地区の報告がまだ来ておりませんから、全体的な御報告を申し上げる段階にまだ来ておりませんけれども、我々としましては、ソ連の冬に向かっての国民の受ける苦労といいますか、その中で特に医薬品、食糧、こういったもの、特に医薬品問題が非常に状況が悪いというふうにも一部報告がなされておりますので、全部の報告が整い次第、日本政府としては冬に対する人道的な支援を強化していくという方針を
ただ……(林(保)委員「どこどこでしょうか」と呼ぶ)全部申し上げますと相当多数になりますが……(林(保)委員「二、三、ほかでひとつ」と呼ぶ)たとえばサハリン州の何々地区とかあるいはハバロフスク地区の何々地区とかということで確定をいたしております。それはわかっておりますが、その場所まで行って確認してきたという事実はいまのところございません。
すなわち、チタ、ハバロフスク地区に、報道関係者、政府関係者をも含めまして四十三人の方が墓参関係で行ったわけでございます。遺族は三十名。この際、特に南千島、歯舞、色丹の引揚者連盟から、親族の墓参及び墓地修理等に関して、訪問の希望地名並びにこれに要する経費見積り等を添えて、具体的な要望を繰り返し表明されて参りましたので、政府としては、つとにこれが実現方をあわせてソ連政府に申し入れて参りました。
そうして、ハバロフスク地区九百六十四名、樺太十二名、イワノボ四十八名、ウラジール一名、計千二十五名でございます。このらち、抑留船員を七十九名含んでおります。旧日本軍の将兵は約八百名でございまして、満州国、樺太その他の官吏、一般の方は約百余名であります。またマリク名簿に記載されておりまして、今度帰るべき予定の千三十三名のらち、九百八十二名が帰って参りました。
高血圧症のごときは、ハバロフスク地区の特有の病気であると言う者もありまして、なお、その他シベリアの不健康地におきまして、十一年以上の長期間の衣食住全般にわたる異常な困難と強制労働に基因いたしまして、神経系統の疾患、原因不明の高熱、心臓、肺、胃腸、皮下等の病患に苦しむ者も多いのであります。
一九五〇年に日本人がハバロフスク地区に集結させられまして、受刑日本人収容所というものが編成されたのでありますが、その当時からいわゆるハバロフスク事件まで、日本人の体力がどういうふうになってきたのか、ハバロフスク事件につきましては、瀬島さんから御報告があると思いますが、そのおもなる原因は、日本人の体力が非常に低下してきた、このままいったのでは犠牲者がふえるばかりである、われわれも人間である以上、われわれの
聞けば、現在もハバロフスク地区にはまだ九百八十六名が残留しており、その約半数は、高齢者及び病人であり、そのうちどうしても早急帰国を必要とする者が八十数名もいるとのことで、ビタミンやカルシウムの不足が原因で、高血圧患者や歯の抜ける人や、精神病に陥る人が多い現状にかんがみ、とりあえずビタミン剤や栄養豊富な食物を送って、一刻でも早く帰国療養のできるように取り計らってほしいと、口をすっぱくして申し出ておるありさまであります
やはり重労働をいたしまして、昭和二十四年にハバロフスク地区に参りました。ここでは大体私は年令も相当ふえておりましたので、重労働はいたしませんでした。そうして昭和二十五年七月二十一日に中共に引き渡しとなって、撫順に到着いたしました。自来日本侵略戦争犯罪人として拘禁を受けました。
議員各位から醵金していただきましたソ連抑留邦人に対する慰問品を去る三月一日大成丸に託しましたところ、今回ハバロフスク地区抑留者代表黒木剛一君から、次のような礼状が届きましたので、御報告申し上げます。 戦後の難局に処し祖国の再建に尽瘁せらるる各位に対し敬意を表します。
これは将来の送還区分に従って行われたことを意味するものと考えられるのでありまして、モスクワ周辺には元将官、高級官吏等が集められているようで、これは帰国はおくれるものと推察され、ハバロフスク地区には、早期送還のものを集めたものと考えられるのであります。
ハバロフスク地区では第一、第二、第三とラーゲルが三つあります。その第一のラーゲルに四カ月、自後第二、第三のラーゲルに本年の十月の十三日まで強制労働に従事し、十二月十一日に日本に引き揚げたのであります。 それからここに今後の引き揚げの見通しということがありますが、これは武藤閣下の言われたと同じであります。 その次の今回の引き揚げの状況も、これも武藤閣下の言われたことと同じであります。
その詳細は略しますが、ハバロフスク地区における例に徴しますれば、残留者は第一収容所に八百名、第二収容所その他に二百三十四名を数えております。食事は昭和二十八年以前に比較しますれば、最近はやや良好ではありますが、優遇とは思えないとのことであります。
一九五四年十月、命によってハバロフスク地区に送られました。それは、直接は聞きませんが、大体東洋人を一緒に集めるとか、あるいは帰すとか、そういうことを聞いておりました。 それまでのことを一言申しますと、作業間におきましては、作業系統、つまり企業体の官憲と監視兵と系統を異にいたします。
○長谷川参考人 ただいまお尋ねのありましたことにつきまして、私の住んでおりましたハバロフスク地区では、ああいう目につくところのためでありましようか。そういう者には遭遇しなかつたのでありますが、今度集まつて参りました人々の中でそういう人に遭遇をし、話を承つたのでありまするが、これにつきまして大山参考人が若干知つておりますから、これに述べさせます。
そうしてあるいはハバロフスク地区におけるところのいろいろな労働問題、あるいは食糧の問題、ナホトカにおけるところの施設の問題、こういうふうなものを——これはわれわれがそうだと断定しておるのではありませんけれども、日本の一般の人たちがそう思つておることを率直に言いまして、これをこうしてくれ、ああしてくれというようなことを申し述べました。
それは現在ハバロフスク地区から自分達が帰つて来てから、帰つて来るときの数、それからその後信濃丸で引揚げて来たところの数、こういつたものを睨み合せまして、概ね二千数百名の者というような見当を付けたのであります。併しながらこれについては、今申した通りはつきりした根拠を持つておるわけではありません。
日下証人にお尋ねしたいのは、ハバロフスク地区に、あなたの知つておられる範囲におきまして、いわゆる関東軍罪状暴露署名運動というものが行われたということを我々委員会でも聞いておるのですが、これがどのように行われたか。そうしてそれは一体誰がやらしたのか、その点をできるだけ要約いたしまして御証言を求めます。
○証人(湧澤忠雄君) ハバロフスクに今回帰還のために集結したのでありますが、このハバロフスク地区に残つているもののことにつきまして申上げたいと思います。
理事 吉武 惠市君 理事 猪俣 浩三君 理事 梨木作次郎君 理事 石田 一松君 小川 平二君 尾関 義一君 大橋 武夫君 岡延右エ門君 佐々木秀世君 田渕 光一君 塚原 俊郎君 西村 直己君 坂本 泰良君 横田甚太郎君 委員外の出席者 証 人 (ハバロフスク 地区
○板垣証人 地区ですか——たとえばハバロフスク地区では地区のいわゆるビューローがあります。それから各牧容所には民主委員の委員長、宣伝係とか青年係、そういうような組織はあります。
吉武 惠市君 理事 梨木作次郎君 理事 石田 一松君 尾関 義一君 大橋 武夫君 岡延右エ門君 木村 公平君 田渕 光一君 塚原 俊郎君 西村 直己君 坂本 泰良君 稻葉 修君 大森 玉木君 横田甚太郎君 委員外の出席者 証 人 (ハバロフスク 地区
石田 一松君 尾関 義一君 岡延右エ門君 木村 公平君 佐々木秀世君 篠田 弘作君 島田 末信君 田渕 光一君 塚原 俊郎君 西村 直己君 橋本登美三郎君 坂本 泰良君 大森 玉木君 横田甚太郎君 委員外の出席者 証 人 (ハバロフスク 地区
○鍛冶委員長 ハバロフスク地区ですよ
岡延右エ門君 黒澤富次郎君 佐々木秀世君 篠田 弘作君 島田 末信君 田渕 光一君 塚原 俊郎君 西村 直己君 福井 勇君 福田 一君 加藤 鐐造君 坂本 泰良君 横田甚太郎君 岡田 春夫君 委員外の出席者 証 人 (ハバロフスク 地区
○田渕委員 もう少し伺いますが、ハバロフスク地区で六千人くらいの墓標を見たというのでありますが、これはあなた方が建てたのでありますか、それともソ連当局が墓標を建ててくれたのでありますか。
石田 一松君 井手 光治君 尾関 義一君 岡延右エ門君 黒澤富次郎君 佐々木秀世君 島田 末信君 田渕 光一君 塚原 俊郎君 西村 直己君 福田 一君 横田甚太郎君 小平 忠君 岡田 春夫君 委員外の出席者 証 人 (ハバロフスク 地区
、四月一日にウォロシーロフ地区引揚者繁澤富男君、イズベストコーワや收容所引揚者上村宗平君、四月三日にカラカンダ地区引揚者山口茂君、同じく久保田善蔵君、同じく小笠原唯雄君、同じく日高清君、同じく橋本忠義君も四月五日にカラカンダ地区引揚者菅季治君、同じく山森友太郎君、同じく峰田重吉君、同じく渡部武士君、同じく宇野喬夫君、四月六日にウォロシーロフ地区引揚者瀧澤瀧十君、カラカンダ地区引揚者小島清君、ハバロフスク地区
沿海州となると、範囲が狭くなりますので“私が先ほど申し上げた全地方議長会議というものは、いわゆるハバロフスク地区周辺を主とした議長会議で、沿海州というよりもハバロフスク地方と言つた方がいいと思います。