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23件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1991-10-02 第121回国会 衆議院 外務委員会 第3号

ハバロフスク地区の、あるいはチタ地区報告がまだ来ておりませんから、全体的な御報告を申し上げる段階にまだ来ておりませんけれども、我々としましては、ソ連の冬に向かっての国民の受ける苦労といいますか、その中で特に医薬品、食糧、こういったもの、特に医薬品問題が非常に状況が悪いというふうにも一部報告がなされておりますので、全部の報告が整い次第、日本政府としては冬に対する人道的な支援を強化していくという方針を

中山太郎

1983-04-26 第98回国会 衆議院 外務委員会 第6号

ただ……(林(保)委員「どこどこでしょうか」と呼ぶ)全部申し上げますと相当多数になりますが……(林(保)委員「二、三、ほかでひとつ」と呼ぶ)たとえばサハリン州の何々地区とかあるいはハバロフスク地区の何々地区とかということで確定をいたしております。それはわかっておりますが、その場所まで行って確認してきたという事実はいまのところございません。

松浦昭

1962-03-10 第40回国会 参議院 予算委員会 第10号

すなわち、チタハバロフスク地区に、報道関係者政府関係者をも含めまして四十三人の方が墓参関係で行ったわけでございます。遺族は三十名。この際、特に南千島、歯舞、色丹の引揚者連盟から、親族の墓参及び墓地修理等に関して、訪問の希望地名並びにこれに要する経費見積り等を添えて、具体的な要望を繰り返し表明されて参りましたので、政府としては、つとにこれが実現方をあわせてソ連政府に申し入れて参りました。

小坂善太郎

1957-02-12 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

そうして、ハバロフスク地区九百六十四名、樺太十二名、イワノボ四十八名、ウラジール一名、計千二十五名でございます。このらち抑留船員を七十九名含んでおります。旧日本軍の将兵は約八百名でございまして、満州国樺太その他の官吏一般の方は約百余名であります。またマリク名簿に記載されておりまして、今度帰るべき予定の千三十三名のらち、九百八十二名が帰って参りました。

木下秀明

1957-02-12 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

高血圧症のごときは、ハバロフスク地区の特有の病気であると言う者もありまして、なお、その他シベリアの不健康地におきまして、十一年以上の長期間の衣食住全般にわたる異常な困難と強制労働に基因いたしまして、神経系統の疾患、原因不明の高熱、心臓、肺、胃腸、皮下等病患に苦しむ者も多いのであります。

星子敏雄

1956-08-29 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第18号

一九五〇年に日本人ハバロフスク地区に集結させられまして、受刑日本人収容所というものが編成されたのでありますが、その当時からいわゆるハバロフスク事件まで、日本人体力がどういうふうになってきたのか、ハバロフスク事件につきましては、瀬島さんから御報告があると思いますが、そのおもなる原因は、日本人体力が非常に低下してきた、このままいったのでは犠牲者がふえるばかりである、われわれも人間である以上、われわれの

小日向和夫

1956-08-29 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第18号

聞けば、現在もハバロフスク地区にはまだ九百八十六名が残留しており、その約半数は、高齢者及び病人であり、そのうちどうしても早急帰国を必要とする者が八十数名もいるとのことで、ビタミンやカルシウムの不足が原因で、高血圧患者や歯の抜ける人や、精神病に陥る人が多い現状にかんがみ、とりあえずビタミン剤や栄養豊富な食物を送って、一刻でも早く帰国療養のできるように取り計らってほしいと、口をすっぱくして申し出ておるありさまであります

眞鍋儀十

1956-07-21 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第16号

やはり重労働をいたしまして、昭和二十四年にハバロフスク地区に参りました。ここでは大体私は年令も相当ふえておりましたので、重労働はいたしませんでした。そうして昭和二十五年七月二十一日に中共に引き渡しとなって、撫順に到着いたしました。自来日本侵略戦争犯罪人として拘禁を受けました。

加茂熾

1956-03-26 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第9号

これは将来の送還区分に従って行われたことを意味するものと考えられるのでありまして、モスクワ周辺には元将官、高級官吏等が集められているようで、これは帰国はおくれるものと推察され、ハバロフスク地区には、早期送還のものを集めたものと考えられるのであります。  

臼井莊一

1955-12-16 第23回国会 参議院 社会労働委員会 第6号

ハバロフスク地区では第一、第二、第三とラーゲルが三つあります。その第一のラーゲルに四カ月、自後第二、第三のラーゲルに本年の十月の十三日まで強制労働に従事し、十二月十一日に日本引き揚げたのであります。  それからここに今後の引き揚げの見通しということがありますが、これは武藤閣下の言われたと同じであります。  その次の今回の引き揚げ状況も、これも武藤閣下の言われたことと同じであります。  

竹矢清吉

1955-06-09 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号

一九五四年十月、命によってハバロフスク地区に送られました。それは、直接は聞きませんが、大体東洋人を一緒に集めるとか、あるいは帰すとか、そういうことを聞いておりました。  それまでのことを一言申しますと、作業間におきましては、作業系統、つまり企業体の官憲と監視兵系統を異にいたします。

片倉達郎

1953-12-07 第18回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号

長谷川参考人 ただいまお尋ねのありましたことにつきまして、私の住んでおりましたハバロフスク地区では、ああいう目につくところのためでありましようか。そういう者には遭遇しなかつたのでありますが、今度集まつて参りました人々の中でそういう人に遭遇をし、話を承つたのでありまするが、これにつきまして大山参考人が若干知つておりますから、これに述べさせます。

長谷川宇一

1951-02-16 第10回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第5号

そうしてあるいはハバロフスク地区におけるところのいろいろな労働問題、あるいは食糧の問題、ナホトカにおけるところの施設の問題、こういうふうなものを——これはわれわれがそうだと断定しておるのではありませんけれども、日本一般人たちがそう思つておることを率直に言いまして、これをこうしてくれ、ああしてくれというようなことを申し述べました。

菅道

1950-04-28 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第21号

それは現在ハバロフスク地区から自分達が帰つて来てから、帰つて来るときの数、それからその後信濃丸引揚げて来たところの数、こういつたものを睨み合せまして、概ね二千数百名の者というような見当を付けたのであります。併しながらこれについては、今申した通りはつきりした根拠を持つておるわけではありません。

宮地亮一

1950-04-28 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第21号

日下証人にお尋ねしたいのは、ハバロフスク地区に、あなたの知つておられる範囲におきまして、いわゆる関東軍罪状暴露署名運動というものが行われたということを我々委員会でも聞いておるのですが、これがどのように行われたか。そうしてそれは一体誰がやらしたのか、その点をできるだけ要約いたしまして御証言を求めます。

岡元義人

1950-04-12 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第24号

   理事 吉武 惠市君 理事 猪俣 浩三君    理事 梨木作次郎君 理事 石田 一松君       小川 平二君    尾関 義一君       大橋 武夫君    岡延右エ門君       佐々木秀世君    田渕 光一君       塚原 俊郎君    西村 直己君       坂本 泰良君    横田甚太郎君  委員外出席者         証     人         (ハバロフスク         地区

会議録情報

1950-04-10 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第23号

 吉武 惠市君    理事 梨木作次郎君 理事 石田 一松君       尾関 義一君    大橋 武夫君       岡延右エ門君    木村 公平君       田渕 光一君    塚原 俊郎君       西村 直己君    坂本 泰良君       稻葉  修君    大森 玉木君       横田甚太郎君  委員外出席者         証     人         (ハバロフスク         地区

会議録情報

1950-04-08 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第22号

 石田 一松君       尾関 義一君    岡延右エ門君       木村 公平君    佐々木秀世君       篠田 弘作君    島田 末信君       田渕 光一君    塚原 俊郎君       西村 直己君   橋本登美三郎君       坂本 泰良君    大森 玉木君       横田甚太郎君  委員外出席者         証     人         (ハバロフスク         地区

会議録情報

1950-04-01 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第16号

      岡延右エ門君    黒澤富次郎君       佐々木秀世君    篠田 弘作君       島田 末信君    田渕 光一君       塚原 俊郎君    西村 直己君       福井  勇君    福田  一君       加藤 鐐造君    坂本 泰良君       横田甚太郎君    岡田 春夫君  委員外出席者         証     人         (ハバロフスク         地区

会議録情報

1950-03-31 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第15号

 石田 一松君       井手 光治君    尾関 義一君       岡延右エ門君    黒澤富次郎君       佐々木秀世君    島田 末信君       田渕 光一君    塚原 俊郎君       西村 直己君    福田  一君       横田甚太郎君    小平  忠君       岡田 春夫君  委員外出席者         証     人         (ハバロフスク         地区

会議録情報

1950-03-31 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第15号

、四月一日にウォロシーロフ地区引揚者繁澤富男君、イズベストコーワや收容所引揚者上村宗平君、四月三日にカラカンダ地区引揚者山口茂君、同じく久保田善蔵君、同じく小笠原唯雄君、同じく日高清君、同じく橋本忠義君も四月五日にカラカンダ地区引揚者菅季治君、同じく山森友太郎君、同じく峰田重吉君、同じく渡部武士君、同じく宇野喬夫君、四月六日にウォロシーロフ地区引揚者瀧澤瀧十君、カラカンダ地区引揚者小島清君、ハバロフスク地区

鍛冶良作

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