1956-07-21 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第16号
次に、ソ連抑留同胞の事情につきましては、現在ハバロフスク収容所に千三百二十一名残留されており、またマリク・島津名簿に記載されていない者が約二百名程度いるようであります。イワノボ収容所における待遇と比べて、相当に苦しい生活を続けておるので、引揚者は、異口同音に、抑留者全員を早急に帰国させるため日ソ交渉の進展を強く要望されておりました。
次に、ソ連抑留同胞の事情につきましては、現在ハバロフスク収容所に千三百二十一名残留されており、またマリク・島津名簿に記載されていない者が約二百名程度いるようであります。イワノボ収容所における待遇と比べて、相当に苦しい生活を続けておるので、引揚者は、異口同音に、抑留者全員を早急に帰国させるため日ソ交渉の進展を強く要望されておりました。
○山下説明員 外務省から、ロンドンを通じて、日赤の慰問品の配船の問題と、ハバロフスク収容所の慰問の問題と一緒に、留守家族の代表がぜひともモスクワに請願に行けるようにという申し入れを四月四日にいたしまして、その後、中旬に一回催促しておりますけれども、今のところ何ら回答に接していないのであります。
○臼井委員 これは日赤の方にお伺いする方があるかもしれませんが、何かハバロフスク収容所に日赤から慰問団を送りたいということに対して、その可能性がないということで断わってきたように伺っておりますが、その点について、少し詳細に伺えればと思います。
すべてのことに対してもしそうであるとするならば、国内においてだけでなく、八名の訪ソ議員団の諸君はハバロフスク収容所で死んでくるぐらいの気持をもって私は調査に切りかえるべきであると思う。私はそれを期待したかったのです。それがあまりにも違う報告を出されたことを反省を求める。これが第一点。
そのほかハバロフスク収容所における問題、在日朝鮮人の送還問題、留守家族に対する補償の問題等について質疑が行われ、これに対し、厚生大臣及び外務政務次官よりそれぞれ答弁がありましたが、その詳細は会議録によりまして御了承願いたいのであります。 かくて質疑を打ち切り、討論を省略して採決いたした結果、全会一致をもって原案通り可決することに決定をいたした次第であります。
○臼井莊一君 私は、自由民主党を代表して、ハバロフスク収容所における抑留同胞虐待事件に関し、外務大臣並びに厚生大臣に緊急質問を行わんとするものであります。 すなわち、ソ連ハバロフスク第十六収容所におけるわが抑留同胞が、長期にわたる不当かつ非人道的管理に抗議して、作業拒否に入っておるとのことであります。
○国務大臣(小林英三君) 今の御質問でございまするが、もちろん厚生省には引揚援護局というものがございまして、引揚者の問題、留守家族の問題、引揚援護の問題等につきましての所管の局もあるのでありまして、たとえば先般ハバロフスク収容所において起りました、ああいういわゆるハバロフスク事件の減食の問題等につきましても、これは当然厚生省が一番先に心配してやるべき問題でありまして、せっかく今まで十年間、終戦以来異郷
○国務大臣(小林英三君) 今山下さんの御質問の、先般のハバロフスク収容所におきます事件につきまして、私どもが、第六次のソ連引揚者の報ずるところによりますというと、減食懲罰が行われまして、そうして主食は通常一日につきまして七百八十グラムのものが四百五十グラムに減食されておりまするほか、副食物につきましても通常よりもかなり減食されているという報告を得ているのでありまするが、これは事実といたしまするというと
私の伺いますことは、ハバロフスク収容所の実情調査並びに慰問等のために現地に日赤等を使って、日赤に調査団あるいは慰問団等を作らせて派遣させるというようなお考えはないかということを聞いたのですが、外務省の方にもそれに対する御答弁がない、厚生大臣もお答えがなかったのでありますが、私はそれは西・マリ交渉で実情をお尋ねになるのもよろしいけれども、それは正確なことも回答するでしょう、しかし、できるならば日赤のような
なお、ハバロフスク収容所において、待遇改善等を要求して、抑留者がストライキを起しておるとのことを仄聞いたしたのでありますが、幸い本日は参考人の方々が御出席でございますので、その方々から直接お聞き願いたいと存じます。 以上をもって私の報告を終ります。
先ほど松岡委員からもお話があったのでございますが、新聞紙上に、ハバロフスク収容所の方々が、請願運動を強力に実施されておるという記事を見まして、留守家族の人が非常なショックを受けたのでございます。
○穗積七郎君 僕はロシヤ語を知りませんから、何と訳するか知りませんが、われわれはハバロフスク収容所と日本語で理解いたしております。
○野溝参考人 先ほど申した通り、とにかくわれわれは努力してハバロフスク収容所へ参って慰問したのですから、決して冗談事には考えておりません。真剣にその姿ありのままをお知らせしたいと思ったのでございます。
本引き揚げ問題に関連いたしまして、過般、訪ソ議員団の団長として、ソ連国内を視察され、またイワノボ収容所及びハバロフスク収容所において、在ソ同胞に会って帰られました野溝勝君より、その視察の状況等を聴取いたしたいと思いますが、本委員会の参考人として事情を聴取することに御異議はございまいませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○原委員長 それでは、これより訪ソ議員団の野溝団長より、本委員会に関係のあるハバロフスク収容所の抑留同胞の実情等について事情を聴取することといたし、穗積七郎君よりは、委員の質問に応じて、当時の状況を補足的に説明を願うことにいたします。
従って私は、アレキサンドルフスク監獄の状況、並びにハバロフスク収容所におりました一年間の栄養状態について、簡単に申し上げたいと思います。アレキサンドルフスク監獄につきましては、この前帰りました昇降一氏よりの報告によりまして大体わかっておると思いますので、その後のアレキサンドルフスク監獄の状況だけを述べさしていただきます。
抑留者は赤十字名簿の登載者及びその他の受刑中の者でございまして、大部分はハバロフスク収容所に集団受刑についておるようでございます。その他はソ連全土にわたつて多数の収容所に少数ずつ、ときとしては一名ずつ分散抑留されております。市民として扱われておりますのは大部分樺太におる邦人並びに樺太及び千島からシベリアに移されてその後刑を終えて指定された場所で生活することを許された者でございます。
この瘴癘の地にあつてまだ残つて働いておる者がおると私は考えますと、この者だけでもせめてハバロフスク収容所にでも集めていただきたい。現在ハバロフスクに集まつておる者の生活は、かつての四五年、四六年当時の状況と比べますると雲泥の差であります。あれなら、若干今後ひつばられても命に別条はない状況であります。