2005-05-16 第162回国会 衆議院 予算委員会 第21号
私は、あのデモを見ておりまして、私が子供の時代に、日米安保条約をめぐって羽田でハガチー事件というのがありました。アメリカから来られた大統領特使のハガチーさんという人をデモ隊がみんなで取り囲んで、袋だたきのような状況にして追い返してしまった。そういう時代も日本はあったんだな、まさに、オリンピックの四年前の話であります。
私は、あのデモを見ておりまして、私が子供の時代に、日米安保条約をめぐって羽田でハガチー事件というのがありました。アメリカから来られた大統領特使のハガチーさんという人をデモ隊がみんなで取り囲んで、袋だたきのような状況にして追い返してしまった。そういう時代も日本はあったんだな、まさに、オリンピックの四年前の話であります。
さらに、東南アジアを回られたときに、インドネシアで反日運動が起きたのに対して、これは戦後日本でも同じようなことがあったと、アメリカの技術と援助のおかげで日本が復興していく中で、そのアメリカの態度を理解できないで学生その他が反米運動を起こしてハガチー事件というようなことも起きた、しかし、その中で多くの日本人はアメリカを理解したから今日の復興をかちうることができた、インドネシアもそうあってほしいということを
あれは、私の記憶に誤りがなければ、ハガチー事件が六月十日にございまして、それの各大学に対する捜索を十三日の夜から十四日の朝にかけて徹夜でやったわけでございます。その翌日は六・一五の事件でございます。その当時、国会乱入が計画されておりまして、不穏な情勢にございましたので、私が彼に厳重な警告を発したわけでございます。
、同僚諸君並びに政府側についても、飯守という人がどういう人であるかを知ってもらわないと判断に苦しまれるから、簡単に申しますけれども、飯守さんは、抑留生活中に洗脳の手記と題する自己批判書を書き、その中で、かつて私は日本帝国主義の手先であったと深刻な反省をした人であり、そうして日本に帰ってきてから、あれは早く帰国せんがための手段であったという手記をまた書かれた人であり、そうしてまた、昭和三十五年、ハガチー事件
しかも、その集まってくる集まり方が、これは私どもの感じでは、この前の安保騒動のときにハガチー事件というのがございましたが、あのときと同じような状態が現出するのではなかろうかということを心配したのでございます。
しかるに、昨年のハガチー事件、安保改定反対の集団暴力、国会乱入等は、民主主義への危険信号として、国民から強く糾弾されてきたのであります。(拍手)これに関連して、河上、浅沼、嶋中事件等の凄惨な個人テロがまた横行せんとする風潮について、社会はあげてこれが対策を望んできたものであります。 社会党は、今国会に政治テロ行為処罰法案を提出、民社党も政治的危害防止法案を用意しました。
ところが、その後だいぶ経済界の状況等が非常に変化がありまして、たとえば、ハガチー事件のような不詳なことがあったりして、そのために日本の財界において一昨年発行した日本の国債が値下がりがあったというようなこともあります。もちろん、その間アメリカの大統領の選挙があった、日本でも総選挙があったというようなことで、結局昨年のうちには募集に着手することが困難だという見通しで、本年に持ち越されたのであります。
それは、安保騒動以来の社会情勢のもとに、いわゆるデモだけではなくして、デモが明らかに法規に抵触するようなたとえば国会侵入事件であるとかあるいはハガチー事件であるとかいうような集団暴力行為があった、これに対する一つの反発であるという意見もあるわけです。社会党はこれに対してはっきり否定されておると思うのです。
そこで、ただハガチー事件なんかがあると、これはやはり外人にしてはディスカレッジするので、大いに社会党の先生方も、今後日本の風景を世界に売り出す問題についてディスカレッジしないように、一つ御協力を願いたいと実は思う。そこで、私は今勝澤先先のお話を聞いておって痛切に思うのは、観光局という役所が運輸省の一部局としてあるようでは、これはとてもだめだと思う。
昨年のように、ああいうような事態があって、ことに安保については、ハガチー事件というものがあって、ハガチーが御承知のように日本の自衛隊の行動についていろいろ意見を出した。アメリカの要人から、なぜ一体アメリカで作ってやった自衛隊を使わないのか、こういうふうなおしかりもあったのじゃないか。こういうような態勢の中で、あなたたちがこれを治安出動の名において基本化しているというのが今日の実情じゃないですか。
たとえば、法廷の秩序の問題にしましても、ハガチー事件で、担当の裁判官がきぜんとした態度で秩序の維持に努力したことは、やがて東京地方裁判所の裁判官一同の総意をもりあげ、弁護士倫理の確立を日本弁護士連合会に要請することになりました。」こう言っている。(「りっぱなことだ」と呼ぶ者あり)いいですか、このハガチー事件の担当判事は飯守君でした。
この飯守判事が武勇伝をやるためにみずから買って出たのか、順序で機械的に割り当てられて、偶然ハガチー事件もやり、今度の事件も取り扱われたのか、それを伺っているのです。
それでは、それをあとで質問いたしますが、まず、飯守判事はハガチー事件のときにも担当しておられました。現に私はその法廷に居合わせましたので、後日、当法務委員会において、どうもこの人は少し正常でないというような、モノマニアという言葉ですね。偏執狂ではないかということで御注意を申し上げたときに、事務次長は憤然とした態度で私に抗議なさった。これは記録にちゃんと残っております。
しかしこの事件は、今日警察の持っておるところの警備力をもっていかんともいたしようがなかったというハガチー事件とは違うのです。樺美智子さんが圧死した事件とは違うのです。何千名という警官の目の前で十数台の警察の自動車が焼き討ちになったという事件とは違うのです。それは警察が無能だとは言っておらぬ。警察はけしからぬとは言っていない。
これが今回実現したことについては、私ども共産党も、判事、検事の要求を特に支持してやったのでございますが、それについて特に私どもの問題にしなければならないことは私は九月でありましたか、東京地方裁判所でハガチー事件の拘置理由開示公判に出たことがあります。そのときは、判事は飯守判事でありました。この判事は、普通の精神状態の人間ではないのではないかというのがあとで傍聴者の評判でした。
この前私がここでお話ししたのは、ハガチー事件の前だったと思うのですが、この日本の国債価格のその後の変遷といいますか、あの前とハガチーのあとと、その後の経過を伺いたい。私たち、一回下がってまた少し上がってきて、また十一月ごろ非常に下がったというふうに記憶しておるのですが、ちょっとそこの関連を伺いたい。
そういうところから御存じのハガチー事件なども引き起こったし、従って日本の国際的信用も相当あれで失墜したことは、これはいなむことのできない事実である。その当時岸内閣の閣僚の一人として、また内閣の中においての実力者の一人、重要な発言権を持っておられた池田総理は、岸内閣が、主権在民の総選挙を無視し、議会政治を否認するようなやり方をあえてやった。
池田総理は、あの第三十四回国会の未曽有の混乱と、ハガチー事件、全学連の国会乱入・流血の惨事、河上丈太郎氏や岸前総理の刺傷事件、特に淺沼委員長の痛ましい遭難を何と見るか、事ここに至らしめた原因について、院内第一党の総裁として、昨日来何ら責任を感じられての発言のないことは、まことに遺憾とするとこるであります。
だからゆえにハガチー事件も起こった。ひいてはアイクさんが玄関口まで来て日本に入れなかったという国際的問題が起こった。これはあげて私は警察行政をやられている事務当局並びに上司たちの国務大臣の政治責任だと思うのです。そういう大きな政治責任というものが私はこの数字の背景にあると思う。六億という金ですよ。
それほどこのハガチー事件に伴う田中さんの取り調べというものは緊急を要するのかどうか。
○小柳勇君 このハガチー事件が起こりましたのは、御存じのようにもうすでに一カ月半前なんです。それでずっと調べが進んでおるが、そういうときに、しかも国会議員が、いろいろまあ約束があって、五日には必ず出ますということをわざわざ電報を打っておるのにかかわらず、しかも電話をかければ福岡県警もありますし、それにわざわざ警視庁から人を派遣するということは若干行き過ぎじゃないかと思います。
反主流派は、例のハガチー事件まではあまり暴行をしていなかった。それがハガチー氏のあの事件によりまして全学連反主流派が非常な暴行を空港において働いた。
○国務大臣(松田竹千代君) 近年、わが国の大学、特に国立大学の学生が、いわゆるデモと称し、デモの範疇を逸脱し、集団暴力行為にしばしば出てきておるというこの状態に対しては、まことに遺憾千万でありまして、私は、かくのごとき学生に対しては、当然、大学当局は学園から排除すべきものであるということを、国会においても特に述べて参った次第でありまするが、今回のハガチー事件といい、あるいは一昨日来の国会周辺における