運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
25件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1
  • 2

1957-03-20 第26回国会 衆議院 本会議 第23号

マグサイサイ氏の遭難の報に接し、弔問のため大使館にネリ大使を訪れるや、大使の落胆はその極に達していましたが、ぼつぼつと語るその言葉の中に、マグサイサイ大統領は、私が赴任するに当り、ひそかに指令していた。それは日比協力長期計画に関してであり、フィリピンの将来は実に日本との協力にあるということであった。

松本瀧藏

1956-06-03 第24回国会 参議院 本会議 第60号

十分な検討を加えず、ネリ大使が五月の上旬に日本に参った場合、閣議にも諮らずに、鳩山総理は八億ドル賠償の覚書をサインをして渡してしまったと言われております。あとで国会でこれを追及されますや、鳩山総理は、そういう事実はないと答弁された。このことが新聞に出、フィリピン側報道されるや、フィリピン側は大憤慨です。

木村禧八郎

1956-06-03 第24回国会 参議院 外務委員会 第20号

佐藤尚武君 緑風会といたしましても、今回の賠償協定に対して全幅的な賛意を表するものでありますが、四年越しの長い交渉がここに妥結するに至りましたことは、まことに慶賀にたえないことでありまして、外務大臣初め高碕長官その他関係各位の御努力に対しまして、深く感謝の意を表するものであり、またフィリピン側ネリ大使初め、これに関係したもろもろの人々に対しましても、深く敬意を表する次第であります。

佐藤尚武

1956-04-27 第24回国会 参議院 本会議 第41号

その間、フィリピン大統領外交顧問であるネリ大使が、専門家会議審議状況視察目的で来朝し、その機会にわが方と非公式の話し合いをなしたのでございます。ネリ大使帰国後、マグサイサイ大統領は八月十三日付の書簡をもって、鳩山総理にあてて、ネリ大使のこしらえた試案もととする案を正式に提案して参りました。

重光葵

1956-04-27 第24回国会 参議院 本会議 第41号

国務大臣鳩山一郎君) 昨年のネリ大使政府首脳部との話し合いは、意見交換をなしたものでありまして、了解をし合ったというわけのものではありません。その後の交渉経過によってみましても明らかでありますがごとく、今日の了解に達するためには、長期折衝を必要としたのであります。ようやく近く賠償問題が解決することは、私としては非常に喜んでおるわけであります。

鳩山一郎

1956-04-26 第24回国会 衆議院 本会議 第38号

この間、フィリピン大統領外交顧問ネリ大使専門家会議審議状況視察目的で来朝し、その機会に、わが政府側と非公式の話し合いをなしたのでございます。  ネリ大使帰国後に、マグサイサイ大統領は、八月十三日付の書簡をもって鳩山総理にあてて、ネリ大使試案もととする案を正式に提案してきたのでございます。

重光葵

1956-03-13 第24回国会 参議院 予算委員会 第14号

昨年の五月前後におきまして、フィリピンネリ大使が来て、いろいろ内交渉をしたということは、御報告をいたしました。そうしてその結果、ネリ大使が帰って、一つの正式の提案マグサイサイの名前をもってなされたということまでは報告をいたしております。そのフィリピン側提案は、それまで東京において行われた内交渉の結果できたものであることには違いはございません。

重光葵

1956-02-28 第24回国会 参議院 外務委員会 第3号

本来ならば非常に一致しにくいものでありますから、それをネリ大使日本側卜部事務所長代理でありますか、いろいろな文書の形を通じて一致させるように御苦心をなすっていらっしゃるだろうと思うのです。そこで今やっておいでになることは、ただいまの局長のお話から伺いますと、これがかたまっていけば、協定文に入る云々ということでありますから、協定文以前のことをやっておいでになる。両方の考え方を一つにしよう。

宮澤喜一

1956-02-28 第24回国会 参議院 外務委員会 第3号

その提案はすでに新聞にも出ておりますように、きわめて簡単なものでございます——従いまして、その簡単なものがどういう意味であるかということにつきまして、マニラにおきまして日本在外事務所長先方ネリ大使との間に、それから約半年近くになりますが、その間その解釈問題につきまして話し合いが行われてきておるわけでございます。

中川融

1956-02-15 第24回国会 衆議院 商工委員会 第5号

承知のように、昨年の春東京専門家会議だということで話は進んで、そうしてその結末が五月ごろ向うネリ大使が出てきて、大体オーソライスされたような案が今御承知のような八億ドル賠償の話、新聞に伝えるところによりますと、まず賠償の五億五千万ドル、この内訳は資本財が大体五億ドルだ、それから現金賠償は二千万ドル程度だ、役務支払いが三千万ドル程度だという内容をもった五億五千万ドル、それからさらにそのほかに長期借款

佐々木良作

1956-01-31 第24回国会 衆議院 本会議 第5号

国際信義の上にきわめて遺憾にたえないところでありますが、われわれが、しかし、さらに遺憾にたえないことは、鳩山内閣が、昨年五月四日、突如として来朝したネリ大使との交渉で、賠償五億五千万ドル、海外投資二億五千万ドル、計八億ドル案を軽々にもうのみにし、しかも、ネリが帰って直後、この全貌がマニラ新聞によって暴露されて、今日に至っては、国民の正当なる主張も要求もすでに許されざるまでに既成事実化しつつあることであります

勝間田清一

1955-06-23 第22回国会 参議院 内閣委員会 第16号

先般来より折衝は逐次行われまして、先般来よりネリ大使がこちらに参りまして、いろいろ折衝いたしましたが、依然として日本経済力の負担から来る日本支払い能力主張するわが方と、もう一つフィリピン側からは十億という線を主張いたしまして、なかなかその主張は相譲りませずに、ついに何らの妥結も見ず、ネリ大使フィリピンに帰るような段階になりました。

園田直

1955-06-20 第22回国会 参議院 予算委員会 第28号

さらにもう一点は、すでに十五日にネリ大使の方からマニラにおるト部事務所長代理、あのト部所長代理の方へこの八億ドルの賠償請求について非公式に申し入れがあったということも報道されておるわけです。それが事実であるのか、それともそれも新聞情報にすぎないので、外務省の方には何らそういうものは申し入ればなかったのか、この点もう少しはっきりさしていただきたい。

秋山長造

1955-06-17 第22回国会 参議院 外務委員会 第11号

そうして専門家会議がずっと開かれておりまして、この専門家会議には、最後ネリ大使がやってきたのでありまして、この専門家会議には各省の何が皆これは参加してやっているわけなのです。ただこれは最後会議ネリがきたのでありますが、そのときにいろいろそういう試案をもって内交渉をしておる。このことについてはすべてそのつど他の閣僚に相談するということはいたしませんでした。

重光葵

1955-06-17 第22回国会 参議院 外務委員会 第11号

岡田宗司君 ただいまのお話ですと、談話の間において、たぶんこの程度ならば鳩山も同意見だろう、こういうことを向う側が感ずるような話し方をされたということが首相の口から言われたわけでありますが、そのネリ大使との話の間に、今向う側でもってまとめております八億ドル案というものは、首相に示されたものであるかどうか、それをお伺いしたい。

岡田宗司

1955-06-17 第22回国会 参議院 外務委員会 第11号

そして今回ネリ大使が来まして、こちらでいろいろと交渉が行われた。ネリ大使フィリピンに帰りますというと、例の八億ドル案というものが出て参りまして、そしてその八億ドル案が出たときに、これは鳩山総理大臣が了承したものだというようなことが向うから伝えられて参ったのであります。こちらの方ではまあそれを否定しておったような形であります。

岡田宗司

1955-06-16 第22回国会 衆議院 外務委員会 第20号

これは、先ほど申し上げる通りに、向う賠償交渉主任ネリ大使東京に来て、賠償問題の交渉に当った際に、高碕長官、私、その他外務省員と、その賠償交渉について意見交換をしたことは事実でございます。これは先ほど繰り返し繰り返し申し上げた通りです。そうして向うは十億から八億までおりてきた。

重光葵

1955-06-16 第22回国会 衆議院 外務委員会 第20号

私が申し上げたように、ネリ大使としてはネリ大使としての案を持っている、また希望案があるわけであります。それについてはネリ大使日本側意向をも十分考慮して、そうして自分の案を練ろうといって持って帰った案があるのでございます。それはネリ大使の案でございます。それが基礎になってだんだんフィリピン側のなにをまとめておる状況でございます。

重光葵

1955-06-06 第22回国会 参議院 外務委員会 第8号

国務大臣重光葵君) いや、それは関係のない、新聞の何というか、ネリ大使に言わせれば、それは想像記事だと、こういうふうに申し上げるよりほかにしようがないと思います。しかしまあどこで妥協するかということは、やっぱりどっちも初めの、当初の案をすっかり固執されれば妥協はできん。しかし妥協したいと、こういう意思があると、こういうことでありました。

重光葵

1955-06-06 第22回国会 参議院 外務委員会 第8号

この間、ネリ大使向うに帰りましてから、例の八億ドルの賠償案鳩山氏から提示されたというようなことが伝えられておりますが、その後あれについて否定的な言明がこちらでも行われたし、向うでもマグサイサイ大統領から、そういうことはない……しかし一方ああいうものが、相当具体的な案がああいうふうに流布されている。

岡田宗司

1955-06-06 第22回国会 参議院 外務委員会 第8号

その仕事がどこまで進んでいったか見当をつけるために、また結末をつけるために、向う賠償問題の主任をやっておったネリ大使東京に出かけて来たという、こういうことになります。そこで、出かけて来て、専門委員会双方のなにとつぶさに検討して、非常な有益なここに仕事が進んでいるということを認めて、そうしていろいろなことについて合意も専門的にはできたんでございます。

重光葵

1955-06-06 第22回国会 衆議院 予算委員会 第24号

日比賠償につきまして新聞の報ずるところによりますと、八億ドルの賠償というものがネリ大使によって内容発表せられた。鳩山総理はこれに同意を示したというより、むしろ積極的に首相提案したということを報じておる新聞もある。これについて、総理言明については重光さんは関知されないといい、あるいはまた大蔵省は非常に財政的に難色を示している。年間二千万ドル、七十二億円というようなものはとても出せない。

小坂善太郎

1955-06-03 第22回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号

そして、あるいは新聞紙上でごらんになりましたか、ネリ大使が——この人は賠償主任官の地位を持っておった人でありますが、やってきまして、いろいろな方面から賠償問題を検討し、総額についてもいろいろ希望が出たのでございます。  さようなわけで、賠償交渉は実質的に非常に有益でありました。双方意見が今までよりもさらによくわかってきたのであります。しかしまだ妥結はいたしません。

重光葵

  • 1
  • 2