1999-02-23 第145回国会 衆議院 地方行政委員会 第6号
だから、何度も私がこの委員会で御披露した、市町村の合併のときだって、昭和二十八年に、自治庁のころに、ミス・ニュー・シティーコンテストをやって合併を促進したとか、ああいう殻を破った発想でやらないと、私はなかなか容易ではないと思うのです。 だから、さっきの宝くじの使い方というのは何か内にこもっている。だから、それを糧として、もっと外に、国民に訴えていく。国民の心を揺さぶる。
だから、何度も私がこの委員会で御披露した、市町村の合併のときだって、昭和二十八年に、自治庁のころに、ミス・ニュー・シティーコンテストをやって合併を促進したとか、ああいう殻を破った発想でやらないと、私はなかなか容易ではないと思うのです。 だから、さっきの宝くじの使い方というのは何か内にこもっている。だから、それを糧として、もっと外に、国民に訴えていく。国民の心を揺さぶる。
また、ミス・ニューシティー、ミス新市のコンテストもあったわけでございます。 総理、ミス・ニューシティーはどこから選ばれたか御存じでございますか。
たとえばニューシティーをつくろうとするならば、それには働く場所をどうするかという通産省関係の問題が当然出てくるでしょう。そうなりますと当然そこに交通をどうするかという運輸省関係の問題も出てくる。そういう一大プロジェクトチームが編成できるような、あるいはお役所自身が縦割り行政ではなくて、十分に横との連携がとれるような総合省ができてこなければいけないのではないか。
そういうことを見ながら、もっと早く思い切って基本認識を改めて、ニューシティーづくりというものをやるべきではないか、また、やらなければならぬ、こう考えるわけですが、この辺はいかがです、大臣。
本来の都市そのものの機能を回復させるためには、ベッドタウンではなくて、むしろニューシティーをつくるのだという考え方に立たなければ、やはり、それらのいま起こっている、いろんな問題を解決することにはつながっていかないのではないだろうか。
それから民間デベロッパーの活用については、これは余りにも有名だから触れませんけれども、宅開公団法の問題でも、ニューシティーの建設というのでやっぱり住宅都市を大都市の近郊につくって、これを高速鉄道で結ぶと——高速鉄道までいかないで今度はちょっと幹線につなぐという程度になりましたけれどもね。
そういうふうに答えているわけですが、一九六〇年の後半からニュータウンというのはますます大規模化してまいりまして、新しく俗称でありますがニューシティーという名前で呼んでおります。それは一つはすでに発足したロンドンとコベントリの間にありますミルトンケーンスというのがそれであります。それからマンチェスター、リバプールの間にありますセントラルランカシャーというのがそれであります。
どういうことかと言いますと、たとえば十万のニューシティーをつくるとすれば、その中には生活の基礎条件として何々をつくるのですよということ。これはいま、工事ベース段階ではそれらの基準が設けられておるようでございますが、一般にはなかなかそれはPRはされておりませんし、よくわからない。
これはある程度ベッドタウンというような形になっておりまして、要するに東京圏、近畿圏あるいは伊勢湾圏というふうなことになっておるのでありまして、今後私どもは、ニューシティーをつくるという考え方で地方中核都市を発展させていかなければならぬ、こう思うのであります。 いまの大都市問題の解決と関連いたしまして、東北開発というものもまた非常に大きなウエートを占める問題であると考えております。
そこで、私どもは新しい都市をつくる、ニューシティーをつくるのだということは非常に必要だというふうに考えておるわけでございます。それには交通、通信のネットワークというものをもっと充実をいたしまして、そうしてその地方都市それ自身が十分快適な環境を保ちながら、住民の福祉にふさわしい機能を持ち得る、そういうものをつくっていかなければならぬのだということを深刻に考えているわけでございます。
人間の環境を、よりよき環境整備を整えていくということですからあるわけでございますが、しかしいまの現状から申しますと、そのような全国平均二〇%という下水道の普及率、そういう中においてほんとうにどんどんと工場立地なり、そういうニューシティーなりを考えていくことだけでいいだろうか。
○小川(新)委員 神奈川県ももう現在ストップをかけておるように聞いておりますが、もしもこの三県が、人口集中が急激であって、地方財政の破綻とか関連公共事業の超過負担、また関連公共事業の推進というものが推捗しない状態にあっては、このような五万から十万のニューシティー方式が消化できるかということに私たちがいま一番懸念を持っておる。