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241件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2016-02-29 第190回国会 衆議院 財務金融委員会 第9号

唯一成功した例はドッジラインであったと思います。ドッジラインの場合は、日本経済国際経済へ復帰させる、そういう大きな目的があって、しかも、占領下にあった、占領軍の意向で成功した。  当時の財政問題について東京大学の大内兵衛先生は、日本人はできないんだというふうに言われているんですね。

安藤実

2015-06-25 第189回国会 衆議院 農林水産委員会 第19号

昭和二十九年、この当時がどうであったかといいますと、ドッジラインの後、日本経済が相当厳しい状態になりましたが、農協も当時一万を超えて存在をしておりまして、厳しい経営環境の中で、貯金の払い戻しができないというところが続出するという事態が起こりました。そこで、行政にかわって農協を指導して経営を再建するということで導入をしたのが中央会制度でございます。  

奥原正明

2011-07-13 第177回国会 衆議院 財務金融委員会 第27号

こうしたインフレは戦後の日本経済に多大な混乱をもたらしまして、最終的には、先生指摘の四九年のいわゆるドッジラインによる緊縮財政のもとでようやく鎮静化し始めました。復興金融公庫新規融資も同年九月には停止され、十二月には日本銀行が保有します復金債は全額償還されました。この復金債は厳密には国債とは言えませんけれども、これと同様の性質を有するものであります。  

白川方明

2011-07-13 第177回国会 衆議院 財務金融委員会 第27号

そして、ハイパーインフレにつきましては、一九四九年のドッジラインで極端な財政引き締めが行われてようやく鎮静化した、こういうふうに伺っているわけであります。  改めて、まず日本銀行さんの方からお聞きしたいと思いますが、この当時の日銀のとった金融政策の経緯とその効果についてどのように認識をされているでしょうか。

竹内譲

2011-07-13 第177回国会 衆議院 財務金融委員会 第27号

そして、政府として、これらを見たときの当時の担当者、そしてそのトップの方も、ドッジラインに基づいて緊縮財政を組むことによってそれを収束させることを考えたということだろうと思います。  基本的に、現象面での認識は、先ほど御答弁があったことと同じだというふうに申し上げてよいと思います。

和田隆志

2011-06-15 第177回国会 衆議院 財務金融委員会 第23号

さらに、一九四九年には、いわゆるドッジラインに沿った超均衡予算の編成なども行われております。  こうした努力の結果、終戦直後のインフレはようやく収束するに至ったというふうに承知をしております。  それから、第一次石油ショックについてでございますが、第一次石油ショックにおきましては、原油価格がそれまでの四倍に引き上げられたということになりました。

齋藤潤

2006-02-06 第164回国会 衆議院 予算委員会 第5号

総理も御存じのように、戦後、ドッジという人が日本経済再生のためのアドバイスをしにやってまいりました。彼が、一九四九年、昭和二十四年に出した声明は、いわく、富は、まずこれを創造してからでなければ分配できない、こういうことでありました。  郵政民営化によってやっと小さな政府への突破口ができたわけであります。

中川秀直

2001-09-19 第152回国会 参議院 予算委員会 閉会後第1号

私は子供のころだからよく覚えていませんが、財務大臣なんかは覚えておられる戦後のドッジラインというのは、急激な緊縮政策、プライマリーバランスを一挙に黒字に持っていこうとしたぐらいですね。そういうデフレ政策というのを何度かとっておるが、それはすべて背景としてインフレのときなんですね。インフレのときにデフレ政策をとってきておる。それが成功したかどうかは私はわかりません。  

吉村剛太郎

2001-03-29 第151回国会 参議院 内閣委員会 第5号

一回だけ、ドッジラインができてハイパーインフレをとめたときにばあんと一回下がったとか、ああいう例は何回かございますけれども、二年連続というのは過去に一回も例がありませんので、少なくともそれはデフレだということで、デフレと正確に事をはっきりしましたというのが三月十六日の月例報告の内容です。  

麻生太郎

2001-03-09 第151回国会 参議院 予算委員会 第7号

戦後、消費者物価が極端にどおんと下がったという例は、ドッジラインのときに、千九百四十何年かに一回、どおんとマイナス一〇%とか、一年だけ消費者物価が下がったという例は過去にもございますけれども、二年連続、一%か〇・五%とはいえ二年連続下がったというのは今度が初めての経験でありますので、これはデフレデフレーション、定義はいろいろあるんですけれども、このように二年連続続いてくるという状況は、これはやっぱり

麻生太郎

1999-12-01 第146回国会 衆議院 本会議 第7号

終戦直後、GHQの経済顧問であるドッジ氏が、アメリカ経済援助と各種の補助金によって支えられている当時の日本経済竹馬経済と名づけたことはよく知られるところですが、現在の我が国経済は、赤字国債やじゃぶじゃぶの公共事業によって底上げされた、まさに厚底靴経済と言うことができると思います。  以下、具体的な質問に入ります。  

海江田万里

1999-10-15 第145回国会 参議院 決算委員会 閉会後第6号

ところが、その方針が一転するわけでございまして、御案内のとおり、ドッジライン傾斜生産方式、重厚長大なところに傾斜して、とにかく産業構造というのをピラミッド構造につくりかえようということで、もう一度国力を上げるためだと思いますけれども、ぐっとそちらへ展開していくわけでございます。  そして、産業構造を展開する場合に、要はこういうピラミッドでございます。

木俣佳丈

1999-03-01 第145回国会 参議院 予算委員会 第7号

何しろ、五〇年六月が朝鮮戦争、その前年に御存じのようにドッジラインという大変な超緊縮予算を組んで、それまでのインフレ政策を一挙にデフレ政策に持っていった、それから諸統制を撤廃していった、また一ドルを三百六十円に固定したというようなことをして、この特需といいますものが、一つ大きく六億ドル、七億ドルと、その当時のあれで外需が発生したということでございますから、本当に日本経済復興にとっては大きな意味を

吉村剛太郎

1999-02-09 第145回国会 衆議院 大蔵委員会 第4号

ドッジラインになってようやくこれがおさまったわけですけれども、それのやはり最初のきっかけはこれであったというふうに思いますし、古くは、一九一四年の第一次大戦後のドイツの超インフレも、国債を無制限に中央銀行に引き受けさせたということがこの超インフレのもとであったということでございます。

速水優

1997-02-10 第140回国会 衆議院 予算委員会 第10号

例えば、一九四八年にドッジラインというのがありました。このときに日本のまさに財政改革を徹底してやったのだけれども、これは物すごいことをやっているのですね。最初に、年度内に生ずる経費の一切を明確化して、予備費の計上も認めない。それから二番目に、特別会計での公債発行、借入金は原則認めない、債務純増は生じさせ ない。

山本幸三

1995-03-14 第132回国会 参議院 逓信委員会 第5号

ところが、占領時代ドッジ・プランでびゃあっとまた抑さえられました。本当は大事なのは昭和二十年八月十五日じゃなくて、昭和二十七年の四月二十八日、サンフランシスコ講和条約発効の日。私どもは全逓とか社会党の皆さんとも一緒になって運用再開運動をやった。独立したから、昭和二十八年運用再開。それも地方公共団体からまず始める。

守住有信