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14件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2010-03-10 第174回国会 衆議院 文部科学委員会 第6号

十三人教育、十四人教育屋内プール、そして広々とした校庭、あるいはさまざまな教育での工夫、やはり、ドイツ国家そしてスイスもオーストリアもありましたけれども、ここはかつてのプロシア、そういう威信をかけての教育日本でやっているというふうに思いました。朝鮮学校もそうであります。朝鮮学校も、まさに国家威信をかけて、あるいは民族的なものをやっておられました。  

坂本哲志

1997-03-25 第140回国会 衆議院 安全保障委員会 第5号

同様な自立不可能な構造の軍事力というものは、ドイツ国家においても存在しております。  その日独に対するアメリカのかかわりというものに対して、日本自分の国益に沿った形でそれを運用していくためには、まず第一に、外交安全保障構想というものを日本原理原則に沿った形で打ち立て、少なくとも周辺諸国の信頼をかち取るために提示をし議論を高めていく。

小川和久

1994-09-06 第130回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第1号

つまり、ドイツ国家立場ではナチスドイツは完全に、全面的に否定する以外にない。同時に、何百万というこれはユダヤ人の絶滅だけではないわけですね、いろんな形で行われた問題。  だから、これはいわゆる戦争犯罪ではないんです。人道に対する罪なんです。いわゆる戦争犯罪というのは戦争法規違反です。

板垣正

1989-10-31 第116回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第1号

ドイツから西ドイツへの移住の問題は両ドイツ国家の問題であり、二つの国が自分で決めることだ。全く関心はなく、移住もそれほど希望は多くないのでないかとの見方が示されました。  次いで、ニシャーノフ民族会議議長を表敬訪問いたしました。  ソ連の現状について説明があり、さらに、ソ日関係は一番高いところまでは行っていないので、今後相互理解に努めることに賛成であるなどの見解表明がありました。  

下稲葉耕吉

1989-03-28 第114回国会 参議院 外務委員会 第2号

私は、さっきのことに一言関連したことを申しまして終わりたいんですが、旧憲法講義から始めたものですから、私は美濃部達吉先生憲法学者としては最後の弟子でありまして、そして天皇機関説が全国で問題になったときに、私は本来は南原繁先生の助手でありまして、ドイツ国家学をやっていたんですけれども、無職だというので、台北帝大憲法の講座があいたときに、東大の公法の関係から台北帝大憲法講義に派遣されたというか

中村哲

1975-02-27 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

橘政府委員 西ドイツドイツ連邦共和国でございますが、これはその国自体立場を、私どもが権威を持って語ることは非常にむずかしいのでございますが、私どもの聞いておりますところでは、一つは、いわゆる平和条約というものは、戦争いたしました旧連合国、これと戦争に入ったドイツ国家それ自体というものとの間で締結すべきものであって、したがいまして、現在のように西と東に分かれておるという状態では結べない、むしろその

橘正忠

1975-02-24 第75回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号

あるいはこの労働者がその金を元にしてさらに住宅を建てる場合には、ドイツ国家それからドイツ連邦の各州から返済不要の建設助成金をまたこの労働者にくれるわけです。そうでしょう、くれるでしょう。私の言っておることはうそじゃないでしょう。そうやりますと、企業がまた独自の持ち家奨励金というものをその労働者にやるわけです。

小林進

1956-04-04 第24回国会 参議院 内閣・文教委員会連合審査会 第2号

それで少しこれはとっぴなようにお聞きかもしれませんが、私は常に第一次大戦後のドイツのことを考えまして、第一次大戦に破れたドイツワイマール憲法ができまして、共和国としては最も進んだ法律ができまして、それが成熟しないでヒットラーのもとにナチズムが起って、それで軍備をいたしまして、乾坤一部といいますか、ドイツ国家を回復しようとはかりまして、そうして元も子もなくしてしまった。

矢内原忠雄

1954-12-06 第20回国会 参議院 内閣委員会 第2号

西ドイツ二つに分れているのじやなくして、ドイツ国家が東西に分れている。西ドイツ一つだとアデナウアーは考える。ところがドイツの再軍備反対の人たちはね、西ドイツだけが祖国じやないというんです。東西合わせて一つドイツが我々の祖国だと。ところが今、日本のあなたたちの考え方は、日本二つに分れていると考えられているんです。

松本治一郎

1954-03-25 第19回国会 参議院 予算委員会第三分科会 第2号

早くストライキができるような会社ドイツ国家とを作らなければならないという言葉を聞いて非常に感心したのですが、そして又ここまでは自由党系の議員なんかによつて報告されておるのですが、見忘れてならないことは、経営者にも国法を以て労働者に対して会社資金内容経営内容等を詳細に説明する義務が負わせられておるわけです。

相馬助治

1950-12-06 第9回国会 参議院 予算委員会 第8号

教育勅語、又我が参議院は同一の精神に基きまして、教育勅語廃棄決議案というものを満場一致を以てこれを通過せしめているのでありますが、そういうような考え、私はその中へ連関性あるものとして、やはり君が代の国歌をも入れて考えるのでありますが、そういうような私の午前申しげましたごとく、それは日本の神道の考えと、そうして明治憲法の模倣の基本をなしたところのプロシヤの考え方、即ちビスマルク、モルトケの時代のドイツ国家

吉川末次郎

1949-11-24 第6回国会 衆議院 本会議 第15号

あたかもドイツが、ビスマルク憲法を弊履のごとく捨て、ワイマール憲法を制定して民主国家の再建を企図せしにもかかわらず、やがてヒツトラーが現われまして独裁政治を敢行するに及び、遂にドイツ国家の破滅を招来せしことを想起し、われわれは断じて前車の轍を踏むべからざることを痛感するものであります。  

中川俊思

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