1975-06-24 第75回国会 参議院 社会労働委員会 第19号
そのときをよくずっと振り返ってみますと、いまトルーマン書簡にもあったとおり、私は日本の戦争の犠牲者、人柱に広島、長崎がなった。同時に、厚子爆弾という人体試験の世界的な人柱になっておるという点がどうしても私は歴史の証人としてぬぐい去ることのできない、私は自分の体験をこうして持っておるわけであります。医学的にどう、科学的にどうと、そういう才能は私はありません。
そのときをよくずっと振り返ってみますと、いまトルーマン書簡にもあったとおり、私は日本の戦争の犠牲者、人柱に広島、長崎がなった。同時に、厚子爆弾という人体試験の世界的な人柱になっておるという点がどうしても私は歴史の証人としてぬぐい去ることのできない、私は自分の体験をこうして持っておるわけであります。医学的にどう、科学的にどうと、そういう才能は私はありません。
○浜本万三君 最後に、最近中国新聞に「トルーマン書簡」というのが連載をされておるのですが、たまたま六月十二日のその記事にこういうことが載っております。「八月六日の原爆投下後、数日して日本は降伏しましたが、その時点で軍が推計したところによると、少なくとも二十五万人のわが軍将兵と二十五万人の日本人が死なないですみ、どちら側もその二倍を上回る重傷者が出ないで終わったとのことです。
トルーマン書簡では、「本年度予算の大綱は決定済みで、今から対日クレジツトを計上することは不可能である。欧州諸国との関係もある。大統領としては予算の混乱と国際紛争をかけてもやると言うことはできない立場にある。従つて日本政府としては日本国民の努力を結集して先ず自力による復興と建設に邁進されたい。」と、引導を渡しているのであります。自力とは何を意味するのでしようか。