1975-02-12 第75回国会 衆議院 法務委員会 第1号
〔委員長退席、大竹委員長代理着席〕 それから、先ほど冒頭に申しましたように、清水栄氏のつくった無届けデモ取り締まり報告書とか、あるいは拳銃使用発生の報告書というようなものは、しばらく検察庁のほうでしまい込んでおかれて公判廷には出なかったのでありますけれども、三十七年の二月十六日にこれが公判廷に明らかになる。つまり、一審の証言は三十一年の八月ごろから始まっているわけですね。
〔委員長退席、大竹委員長代理着席〕 それから、先ほど冒頭に申しましたように、清水栄氏のつくった無届けデモ取り締まり報告書とか、あるいは拳銃使用発生の報告書というようなものは、しばらく検察庁のほうでしまい込んでおかれて公判廷には出なかったのでありますけれども、三十七年の二月十六日にこれが公判廷に明らかになる。つまり、一審の証言は三十一年の八月ごろから始まっているわけですね。
第四番目に、七月二十六日の四谷におけるデモ取り締まりについての経過、その適用法規について説明しろというお尋ねであったと思います。
赤澤国家公安委員長は十九日の閣議で、十七日の佐世保での警察のデモ取り締まりについて、全般的に見て警備に行き過ぎはなかったと確信している、一般の市民や報道陣にけが人が出たが、これは遭遇戦、白兵戦のさなかではやむを得ない事態と思われると述べたと新聞は伝えているが、われわれは看過できない。遭遇戦、白兵戦ということばは一体どこから出たのか。まさか佐世保は戦場ではあるまい。
一体、県警のデモ取り締まりの特別訓練というのは、特訓というのは何だ。ところが、これがまた、最初は、いやそういう特別訓練はやっておりません、災害対策だとか雑踏だとかの整理に備えて訓練をやっているのです、こうお答えになった。だんだん実例に則して、たくさんの資料がございますが、詰めていった。
今回のデモ取り締まりに従事しました警察官の数は、交通警察官が大体二百二十名程度。これは路線が四路線ございましたから二百二十名。それから待機いたしました数が三百八十。それから機動隊が二個中隊四百五十名でございます。したがいまして、隊長全部含めましておおよそ七百名という数字でございます。
末松という隊長は、国会周辺のデモ取り締まりでもなかなか活躍をしておる、近藤勇のような隊長でありますが、少し知性に欠くるところがあるというか、教養に欠くるところがあるんじゃないかと思われるほど、法匪といってもいいぐらいに、公安条例を形式的に解釈しているという率直な感じを私は受けたんですが、今の場合、当時の状況がどうあっても、出迎えに来ておるのは、反対派の連中がわずかばかりで、宿舎へ着いてからの後の行動
それから国会周辺のデモ取り締まりのあの法律も、これも廃案になっておるのですよ。そうすれば、国会の周辺にわたって示威行進をやる自由はあるじゃありませんか。憲法二十一条によって、その表現の自由があるじゃありませんか。表現とは一体何ですか。表現とは、自分の意思を表示することなんです。シュプレヒコールだって一つの表現の一種じゃありませんか。
第二の問題は、先般の国会乱入事件の状況を見ておりますると、一番先頭に立っておるものは全学連の諸君であったかと存じますが、その後の全学連の首脳部の言動を見ましても、これらの諸君は、初めから法規を無視するということをやっていたように思うのでございますが、初めから法規を無視するというような人たちのデモ取り締まりのために法律を作るということが、一体どれだけの効果があるのかどうか。
○政府委員(竹内寿平君) 現行法においては御承知のように、都公安条例がさしあたりデモ取り締まりの基準になる法令でございます。そのほか道路交通取締法あるいは刑法の往来妨害罪あるいは軽犯罪法あるいは暴力行為等処罰に関する法律、公務執行妨害罪といったようないろいろな法律がございます。
ただ国会周辺のデモ取り締まりという問題ですが、先ほどのいろいろなやりとりを伺っておると、何かここでもう少し周辺の範囲を広げていったならば防遏できるような考え方を持っておられるように私思うのですが、そんなことでやり得るというふうに考えておられるのかどうか。五十歩百歩ではないか、もっと問題は深いところにあるのではないかと私は思うのですが、この点さらに一つ伺っておきたい。
次に、国会周辺の多数のデモ取り締まりの問題につきましては、イギリスやアメリカその他の例をあげて御質問になりましたが、かねてこの問題につきましては、昨年以来自民党と社会党の間におきまして話し合いが行なわれている問題でございます。