1991-03-26 第120回国会 参議院 文教委員会 第4号
そういうことから、我が国においても称号を考えた方がいいのではないかということになったわけでありますが、ただ御指摘ございましたように、これは諸外国においても、短期の高等教育機関について学位を出すということは、基本的には私どもとしては承知をしてないような状況でございまして、アメリカにおきましても、それからイギリスにおけるポリテクニクにつきましても、それは学位、デグリーということではなくて、称号という取り
そういうことから、我が国においても称号を考えた方がいいのではないかということになったわけでありますが、ただ御指摘ございましたように、これは諸外国においても、短期の高等教育機関について学位を出すということは、基本的には私どもとしては承知をしてないような状況でございまして、アメリカにおきましても、それからイギリスにおけるポリテクニクにつきましても、それは学位、デグリーということではなくて、称号という取り
現在でも高等専門学校卒業生が外国へ留学をするというときには、それが何らのデグリーも持たない、称号も持たないということで、当該留学先の大学から文部省に対して証明を求められるということがございます。担当の課長が、高等専門学校というのはこういう学校である、この卒業生はこういうふうな卒業資格で卒業した者であるという証明を出して、初めて留学が認められるということがございます。
ところがもう一方、日本に来てデグリーを取りたい、学位を取りたいというもう一つの志向があります。実学をやって学位を取りたいと、これに対しては非常に現状では対応が難しいというのが実態なんです。これは、大学というものはやっぱりそれぞれ国により歴史が長いわけですから、例えばアメリカのような国を見ますと、アメリカの場合には大学に物すごくたくさん種類があります。
そんなことからしますというと、こういうものに対する船員をあっせんする団体やらいま出てもおりますし、そして、いかにまた残った諸君が効率よく、余りいま下の方のデグリーでやったやつを資格をよけい取らして給与をよくして安定させるかという形をいまとろうとしているわけです。その間のずれがいまのような話になっておりますので、問題はそのずれをどうなくしていくかということを注目しているわけであります。
○国務大臣(長谷川峻君) 全日海の諸君とも会いまして、そういう問題については一番熱心なのが全日海ですから、その諸君がこういう状況をどう見ているのか、同時に、このデグリーの問題が大変問題になっていますから、それらとあわせつつ、いかにわが国内に腕のあるところの海員諸君が遊ばないようにするかということをやっておりますから、その中にいまのお話のやつがどんなふうに組み込まれているか、どんなふうな欠陥があるか、
博士につきましても、優秀な学生は三年でドクターのデグリーがとれるというようなことも可能になりました。また、学部と大学院が密接に対応しなくてもいい。大学院の専任教官というものも置けるようになり、大学付置の研究所にも大学院が置けるというような形になりました。学術博士というような新しい学位を設けたのもその一つでありましょう。
オーストラリアと日本との問においてそういうことが将来起こり得るのかどうか大きな問題でありますけれども、本当の文化交流をやろうという場合には、いまおっしゃったデグリーの評価について、第一の技術的な評価よりも、やはり社会的な評価の方が実は非常に重要なんじゃないかと思うのですね。
たとえば東南アジア諸国の場合、かつての宗主国の大学のデグリーを非常に権威あるものと認めて、日本の大学のデグリーなどは余り高く評価しないというような傾向がよくあるというように聞いております。恐らく日本の大学も、逆に東南アジア諸国の大学の卒業生を余り高く評価しないというようなこともあるのじゃないか。
○若松政府委員 日本の医学博士というのは、博士という称号で、学位でございまして、世界にもデグリーというような、いわゆる学位に相当するものが方々の国にございます。しかしそれがいわゆる一般大衆に診療能力と結びつけて考えられている国はあまりないと思うのです。むしろアメリカにおきましても欧米におきましても、診療能力を判定する名称といたしましては専門医制度がむしろ普通でございます。
フーレスト・デグリー、できるだけ精一ぱいな程度においてということも書いてございますので、もちろんこの言葉を強くとりますと、各国は無理をしても、どういう場合でも、ほかのものは全部犠牲にしてということにとる心配があるわけであります。