1969-03-24 第61回国会 参議院 予算委員会 第18号
協会には、テーマ委員会という茅先生が委員長になっておりますものと、それからテーマ展示のプロデューサーとして岡本太郎さんと、二人、中心になる人物がおいでになりまして、これらの先生方と相談をいたしまして最終的な展示をいたす予定になっておる次第でございます。
協会には、テーマ委員会という茅先生が委員長になっておりますものと、それからテーマ展示のプロデューサーとして岡本太郎さんと、二人、中心になる人物がおいでになりまして、これらの先生方と相談をいたしまして最終的な展示をいたす予定になっておる次第でございます。
その後当初の案で検討いたしましたあと、テーマ展示あるいは催しものの計画であるとか、消防あるいは警備計画の問題であるとか、それから会場の路線を決定しなければならないとか、いろいろな必要な新しい所要資金の問題が出てまいりまして、そういう関係もございまして、所要資金額がふえてまいりました。
また協会のほうでも独自にテーマ展示の一部といたしまして、戦争と平和の展示を企画をしておられます。この部分にも原爆に関連したものがあることになるかもしれません。私どもといたしましては、先ほど申し上げました日本館のものとよく調整をしたい、こういうふうに考えております。
それが非常に将来における都市というものの発展と、それからその中におけるいろいろな人々の生活の調和を考えました形においての未来の都市計画をその中で実現していきたいというふうなことを考えておりますし、それからまたテーマ自体の具体的なあらわれ方といたしましては、テーマ展示地域というものをシンボルゾーンの中に設けまして、過去、現在、未来にわたってのいろいろなテーマ並びにそれに基づきまするサブテーマの展開をやっていくというふうなことで
そのとおりでございますが、ただ、これは決して値上がりとかそういうふうなものではなく、二百三億の運営費をきめました当時には、たとえば催しものであるとか、あるいはテーマ展示であるとか、警備計画とか、こういうようなものが、プロデューサーはきまっておったのですが、具体的の計画が全然きまっておらなかったのであります。
その間において何が上げる条件になって伸びてきたかというと、いわゆる一流芸術の催し費に対する二十億、岡本太郎さんの担当のテーマ展示の五億、広告宣伝が五億というような形の中でその必要経費が伸びてきたことによって二百五十円上げる。これはわずか八カ月の問ですよ。これからこれで上がらないという保証はないでしょう。
○菅野参考人 岡本太郎画伯にプロジューサーになっていただきまして、テーマ展示に関することをお願いいたしておるのでございまして、だんだんとその構想が固まりまして、少なくとも本月中には正式にそれをきめる段階になると思いますが、費用の点につきましては、岡本さんともよく相談いたしまして、その計画を実現するのに差しつかえない程度に下げてもらいまして、それに必要な費用はこちらは出しましょうということで、今度の運営費