2015-07-30 第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第5号
現地のガイド兼通訳が大慌てで大きな声で日本のテレビクルーだ、こう名のりましたら、ゲリラはおもむろに銃口を下に下げました。だけれども、本当にこのときはほっとしましたけれども、引き金に手が掛かっているわけですから、どうなったか、生きた心地もなかったわけですけれども。
現地のガイド兼通訳が大慌てで大きな声で日本のテレビクルーだ、こう名のりましたら、ゲリラはおもむろに銃口を下に下げました。だけれども、本当にこのときはほっとしましたけれども、引き金に手が掛かっているわけですから、どうなったか、生きた心地もなかったわけですけれども。
右にありますのが、一九九二年、これちょうどテレビクルーも入ったりして本当に注目も集めてまいりましたし、国の助成金や、府や京都市等からもたくさんの事業補助なんかも受けて頑張っている商店街という姿がよく出ている写真だと思います。これは先日、平日ですけれども、二〇一三年、左手にある写真が、今の同じ場所、ほぼ、を撮った写真となっておりまして、本当に人っ子一人歩いていないという状況なんですね。
そして、その現場には大量のお酒を飲んだトラックの運転手がふらふらと歩いている姿、これたまたま偶然テレビクルーが取材をしておりまして、映像がありました。本当に衝撃的な映像だったと思います。私もそのニュースを伝えて、本当にこういう事故が起きることが信じられないというふうに思いましたし、そして何よりもこの事故の罪が業務上過失致死という、そういうことでしたね。
途中で彼らがその様子をビデオに撮るまで、テレビクルーがテレビ撮るまでやらなければ、向こうは抵抗する、暴れる、公務執行妨害罪になるというふうにやっぱり考えますよ。 海上保安庁長官も嘆いていましたよ。海上保安庁のビデオ、とても活動家が警察官の脇で旗を振っているあの映像は出せませんでした、だから今回の三十分ビデオにはそれはカットしましたと、海上保安庁長官は自ら言われていましたよ。
○佐藤正久君 やっぱり、不法上陸を標榜してくる、しかも灯台を壊すということまで言ってくる、テレビクルーも一緒に同乗させる。官房長官、これ普通、入管法六十五条の不法滞在者を外に出す、この趣旨とはやっぱり違うと思いますよ。しっかりこの部分については、与野党超えて、一緒になっての法案をやっぱり整備する、私は必要だと思います。いかがですか。
渡辺大臣は、自らテレビクルーを引き連れて現場に乗り込んでいかれたテレビ作戦、いわゆる国民に対するPR効果をどう認識、評価されているでしょうか。ここで大臣がねらわれていたものは何だったんでしょうか。そして、それは期待どおりの功を成したと思われているのかどうか、お考えをお聞かせいただきたいと存じます。
また、テレビクルーを連れていくというのはどの場面だったか分かりませんけれども、例えばこの間も独法改革の一環として私のしごと館というのを見てまいりました。これも別に私の方から頼んだわけではございませんが、メディアの皆さん方が大挙して取材をしていただいたわけでございます。こういう機会はまさに国民の皆さんに問題について分かっていただく非常にいい機会であろうかと思っております。
こういった旅行番組に関連いたしまして、海外の記者、テレビクルー、こういった方々を招請いたしまして、日本の観光資源を紹介する記事、そしてテレビ番組の作成を支援するというようなことをさせていただいております。 また、国際旅行博覧会というのが世界じゅうで開かれております。これは、いわゆる観光先進国と言われるようなところの国々も参加しているものでございますが、こういうところへの参加。
また、平成九年九月より、常駐のテレビクルー以外の自社のクルーが院内で取材をする場合、常駐の責任者から要請を受け、警務部で標識票を発行し装着させ、責任所在の明確化を図っているところでございます。 過去における院内での取材方法をめぐるトラブルは、先生方への過度の取材により、先生方の活動に支障を来すものでございました。
それからもう一つ、現地の方々にやはり理解をしていただくためには、現地の例えばテレビクルーだったり新聞報道関係者に日本に来てもらって、日本の魅力を自分たちで取材して流してもらうことが、これが一番効果的だと考えておりまして、例えば香港のフェニックステレビのチームを呼んだり、それから、例えば観光関係者の、観光関係の報道を担当している人たちに日本に来てもらったりという招待作戦を今展開しているところでございます
ただ、これ、テレビでも何度か放映はされておりますし、そしてテレビクルーも乗せているわけですね。今までそのようなことはやったことがない。これは私どもとしても大変な負担を行いまして、嫌だと言っているわけじゃありません、海上自衛隊、大変な負担を行いまして、テレビのクルーあるいは新聞社の方々、皆さんに乗っていただいているわけであります、安全にも配慮しながら。
皆様御記憶のことと思いますが、天安門事件は一九八九年六月四日未明、真夜中に起こったわけでありますが、当時、北京にはそのしばらく前に行われましたゴルバチョフの歴史的な訪中を取材するために非常に多数のテレビクルーがおりまして、彼らが天安門事件に至るまでの民主化要求運動に非常に興味を持って、これを詳細に報じておったわけであります。