1975-11-11 第76回国会 衆議院 商工委員会 第1号
なぜこういうはめになったかというと、エー・ピー・オーの大野という人に丸め込まれ、五月三十日に営業資金貸し付けということで四ッ橋の栄信商会という高利貸しより六万四千円借りました。三カ月で利息は約一万円くらいでした。営業資金は六万五千円であって、手付内金としてまず一千円払っていたのです。納入日は六月一日、七月一日、八月一日各二万四千九百六十円でした。
なぜこういうはめになったかというと、エー・ピー・オーの大野という人に丸め込まれ、五月三十日に営業資金貸し付けということで四ッ橋の栄信商会という高利貸しより六万四千円借りました。三カ月で利息は約一万円くらいでした。営業資金は六万五千円であって、手付内金としてまず一千円払っていたのです。納入日は六月一日、七月一日、八月一日各二万四千九百六十円でした。
○内村(信)政府委員 先ほどは先生の御要望によりまして、特に財界に関係のある人だけを述べよという仰せがございましたので申し上げたのでございますけれども、そのほかには一ッ橋大学の名誉教授の中山伊知郎先生をはじめといたしまして、あるいは都留先生、大来先生その他学者の方もおられますし、ウエートとしては必ずしも経済界の意見のみが反映されるというものではない。
また社会保険旬報の昨年の一月一日号の中の、大橋武夫先生と一ッ橋の高橋教授とここにおいでの滝井先生との座談会におきまして、厚生省が合理的々々々と言った甲表について、大橋先生はあの当時医療費のワクが将来拡大しないために甲表を作ったのだということを正直に述べておられます。