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19件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1987-04-22 第108回国会 衆議院 本会議 第13号

そのときに、亡くなられたホーチ・ミン大統領が、今ベトナム人民を殺し、また破壊し尽くす、燃やし尽くす、この武器はポール爆弾ナパーム弾です、そのナパーム弾日本でつくられております、ホーチ・ミン大統領はそうおっしゃいました。それで、私は、まさかそういうことはないと思って調べてみました。そうしたら、そういう事実があったのであります。  

楢崎弥之助

1975-06-04 第75回国会 衆議院 法務委員会 第23号

しかもその際に、彼らが持っていたベトナムの国旗が奪い取られたり破かれたりしたということ、また中にはホーチ・ミン大統領写真を持っていたけれどもこれも奪い取られたというようなこと、これも主権を侵されたという点で義憤を感じているようであります。当然のことであります。これは逮捕の際のことであります。  それから今度は護送される際の暴行、さらに取り調べ、留置された状況の中での暴行があります。

青柳盛雄

1975-05-07 第75回国会 衆議院 外務委員会 第16号

この際に、正門の外におりました約二十人ぐらいのベトナム留学生が、警察官の制止を無視いたしまして、これを突破して正門からさらに館内に入って邸内に座り込むというような形でございまして、ここでベトナム解放戦線の旗とかあるいはホーチ・ミン大統領写真等を掲げて気勢を上げるというような状況であったわけでございます。  

大高時男

1973-05-11 第71回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第4号

委員長退席理事杉原一雄君着席〕  ちょっと回りくどいような話をいたしますが、ベトナム民主共和国ホーチ・ミン大統領がなくなります四カ月前に、まだ侵略者を撃退するのには十年かかるだろう、しかしわれわれは勝利する、勝利した暁においてはわれわれの国土を数倍美しい国土にしよう、ということを言い残して世を去っております。  

西村関一

1971-03-08 第65回国会 参議院 予算委員会 第10号

長い間革命をやって今日の中華人民共和国をつくり上げたリーダーの一人として、ちょうどホーチ・ミン大統領ドゴール大統領愛国者として尊敬したように、私も個人としてはそういう過去の業績については非常に敬意を表しておるのであります。しかし、私を変わったと言われますけれども、周総理のほうも変わられたのじゃないか。

中曽根康弘

1970-05-09 第63回国会 参議院 外務委員会 第11号

私は、かつてハノイにおいて故ホーチ・ミン大統領に会いました。彼の意見をたたいたのでございますが、彼は、決してインドシナ半島の、アメリカが考えているような共産主義化を求めてない。むしろ、インドシナ諸国中立化することを求めている。東の陣営からも西の陣営からも侵されない、全く中立化地帯をつくることを求めておるということを申しました。

西村関一

1969-02-12 第61回国会 衆議院 予算委員会 第9号

もし、じゅうたん爆撃差別爆撃ハノイハイフォンに集中されるならば、ホーチ・ミン大統領は非常に自主、独往の人であるけれども、背に腹はかえられず、中共に大軍の応援を求めるというようなことになったならばたいへんだとわれわれは思った。もし内陸深く米中衝突の危機が始まれば、台湾海峡、東シナ海が封鎖されて、大戦勃発可能性がないとは限らぬというのが昨年の一、二月の景況でございました。

川崎秀二

1968-04-08 第58回国会 参議院 予算委員会 第16号

去る三十一日のジョンソン大統領ベトナム和平に関する演説、これに呼応いたしまして、三日の深夜、ベトナム民主共和国政府和平の話し合いに応ずるという柔軟な声明、さらに四日の夜、キング牧師が暗殺せられて、アメリカの社会はかなりの混乱を来たしたという情勢の中にありまして、私はベトナム戦争をめぐるところのジョンソン大統領ホーチ・ミン大統領の両極に見る苦悩を越えた政治家理性的決断、あるいは犠牲的決断というものに

西村関一

1966-12-19 第53回国会 衆議院 予算委員会 第3号

また、ホーチ・ミン大統領とも旧知の仲であるといわれておりまするサントニー前在郷軍人相を派遣いたしまして、北越側要路者に接触せしめておる。また、そういう表面的な動きと相呼応して、いろいろ陰でベトナム平和探求のための独自の努力を払っておられると思われるのであります。また、ドゴール大統領自身も、一九六三年の夏以来、インドシナ中立化による平和回復を提案いたしております。

小坂善太郎

1966-07-19 第52回国会 参議院 大蔵委員会 第3号

ところが、一昨日ホーチ・ミン大統領は、「米国の侵略者は彼らの条件でわれわれを交渉の座に着かせようと、北ベトナムに対する空からの攻撃を公然と重ねてきている。しかし、北ベトナムは屈服しないだろう。戦争がさらに五年、十年、二十年、いやそれ以上続こうとも、ハノイハイフォンその他の都市や企業が破壊されようとも、ベトナム人民はびくともしない。

須藤五郎

1966-07-19 第52回国会 衆議院 予算委員会 第2号

先般のハノイハイフォン石油貯蔵庫カムラン湾に対する北爆のエスカレートを契機として、また一昨十七日には北ベトナムにおいて三つの重大発表があり、その中でもホーチ・ミン大統領演説は、全国土焼土と化するも徹底抗戦の強硬なる声明であり、ベトナム紛争戦火拡大が今日ほど憂慮されるときはないと存ずるのであります。

小平忠

1966-07-18 第52回国会 衆議院 予算委員会 第1号

けさ新聞は大々的にホーチ・ミン大統領が、世界の国民に向かってのアピールを報道いたしておるのであります。そのアピールによりますと、北ベトナムアメリカに対して徹底的に抗戦をする。たとえ戦争が何年続こうとも十年続こうとも、二十年続こうとも、この北ベトナムが破壊し尽くされようとも、降伏は断じてしない。

野原覺

1966-02-09 第51回国会 衆議院 予算委員会 第9号

椎名国務大臣 けさ新聞報道によりまして、北ベトナム大統領からインド大統領にあてて書簡が発せられたというようなことが出ておりますが、どうもわれわれの判断するところによりますと、一月の二十四日に北ベトナムホーチ・ミン大統領が各国の首脳あてベトナム戦争に対する考え方を述べておる。

椎名悦三郎

1966-02-09 第51回国会 衆議院 予算委員会 第9号

についてのお尋ねでございますが、すでに御承知のように、国連安保理事会におきましても、わが国が当番議長国としてこれを運営しておるのでありますし、また、ハワイにおけるアメリカベトナム等現地首脳との会談もジョンソン大統領が開催しておりますし、さらに、新聞の報ずるところでは、これを契機にいたしまして、ハンフリー副大統領がさらに東南アジアに出かける、こういうことも言っておりますし、また、北のほう、ホーチ・ミン大統領

佐藤榮作

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