1987-04-22 第108回国会 衆議院 本会議 第13号
そのときに、亡くなられたホー・チ・ミン大統領が、今ベトナム人民を殺し、また破壊し尽くす、燃やし尽くす、この武器はポール爆弾とナパーム弾です、そのナパーム弾が日本でつくられております、ホー・チ・ミン大統領はそうおっしゃいました。それで、私は、まさかそういうことはないと思って調べてみました。そうしたら、そういう事実があったのであります。
そのときに、亡くなられたホー・チ・ミン大統領が、今ベトナム人民を殺し、また破壊し尽くす、燃やし尽くす、この武器はポール爆弾とナパーム弾です、そのナパーム弾が日本でつくられております、ホー・チ・ミン大統領はそうおっしゃいました。それで、私は、まさかそういうことはないと思って調べてみました。そうしたら、そういう事実があったのであります。
しかもその際に、彼らが持っていたベトナムの国旗が奪い取られたり破かれたりしたということ、また中にはホー・チ・ミン大統領の写真を持っていたけれどもこれも奪い取られたというようなこと、これも主権を侵されたという点で義憤を感じているようであります。当然のことであります。これは逮捕の際のことであります。 それから今度は護送される際の暴行、さらに取り調べ、留置された状況の中での暴行があります。
この際に、正門の外におりました約二十人ぐらいのベトナム留学生が、警察官の制止を無視いたしまして、これを突破して正門からさらに館内に入って邸内に座り込むというような形でございまして、ここでベトナム解放戦線の旗とかあるいはホー・チ・ミン大統領の写真等を掲げて気勢を上げるというような状況であったわけでございます。
〔委員長退席、理事杉原一雄君着席〕 ちょっと回りくどいような話をいたしますが、ベトナム民主共和国のホー・チ・ミン大統領がなくなります四カ月前に、まだ侵略者を撃退するのには十年かかるだろう、しかしわれわれは勝利する、勝利した暁においてはわれわれの国土を数倍美しい国土にしよう、ということを言い残して世を去っております。
一九五四年のジュネーブ協定は、当時、ホー・チ・ミン大統領の率いるベトミンが、フランス侵略軍を打ち破ったあとのベトナムについて、北緯十七度線を暫定的な軍事境界線として停戦を実施し、すみやかに南北統一の総選挙を行なって、ベトナムの新しい政権をきめることにしていたのであります。
長い間革命をやって今日の中華人民共和国をつくり上げたリーダーの一人として、ちょうどホー・チ・ミン大統領やドゴール大統領を愛国者として尊敬したように、私も個人としてはそういう過去の業績については非常に敬意を表しておるのであります。しかし、私を変わったと言われますけれども、周総理のほうも変わられたのじゃないか。
私は、かつてハノイにおいて故ホー・チ・ミン大統領に会いました。彼の意見をたたいたのでございますが、彼は、決してインドシナ半島の、アメリカが考えているような共産主義化を求めてない。むしろ、インドシナ諸国が中立化することを求めている。東の陣営からも西の陣営からも侵されない、全く中立化地帯をつくることを求めておるということを申しました。
○大柴委員 それは人の国のことですからいろいろあるでありましょうけれども、実は私は、一昨々年でありますか、ベトナムのホー・チ・ミン大統領をたずねたことがあるのであります。
もし、じゅうたん爆撃無差別爆撃がハノイ、ハイフォンに集中されるならば、ホー・チ・ミン大統領は非常に自主、独往の人であるけれども、背に腹はかえられず、中共に大軍の応援を求めるというようなことになったならばたいへんだとわれわれは思った。もし内陸深く米中衝突の危機が始まれば、台湾海峡、東シナ海が封鎖されて、大戦勃発の可能性がないとは限らぬというのが昨年の一、二月の景況でございました。
去る三十一日のジョンソン大統領のベトナム和平に関する演説、これに呼応いたしまして、三日の深夜、ベトナム民主共和国政府の和平の話し合いに応ずるという柔軟な声明、さらに四日の夜、キング牧師が暗殺せられて、アメリカの社会はかなりの混乱を来たしたという情勢の中にありまして、私はベトナム戦争をめぐるところのジョンソン大統領とホー・チ・ミン大統領の両極に見る苦悩を越えた政治家の理性的決断、あるいは犠牲的決断というものに
私が三年前にハノイを訪問いたしましたときに、ホー・チ・ミン大統領は、日本政府が招待するならば日本へ行ってもいいということを言明したのであります。
また、ホー・チ・ミン大統領とも旧知の仲であるといわれておりまするサントニー前在郷軍人相を派遣いたしまして、北越側の要路者に接触せしめておる。また、そういう表面的な動きと相呼応して、いろいろ陰でベトナム平和探求のための独自の努力を払っておられると思われるのであります。また、ドゴール大統領自身も、一九六三年の夏以来、インドシナの中立化による平和回復を提案いたしております。
私は、アメリカの側もホー・チ・ミン大統領の側も今日ぎりぎり結着のところまでまだいってない、やはりお互いに最後の平和のチャンスをつかもうということで、それぞれがステーツマンシップを発揮して慎重に行動しておると思うのです。
ところが、一昨日ホー・チ・ミン大統領は、「米国の侵略者は彼らの条件でわれわれを交渉の座に着かせようと、北ベトナムに対する空からの攻撃を公然と重ねてきている。しかし、北ベトナムは屈服しないだろう。戦争がさらに五年、十年、二十年、いやそれ以上続こうとも、ハノイ、ハイフォンその他の都市や企業が破壊されようとも、ベトナム人民はびくともしない。
先般のハノイ、ハイフォンの石油貯蔵庫、カムラン湾に対する北爆のエスカレートを契機として、また一昨十七日には北ベトナムにおいて三つの重大発表があり、その中でもホー・チ・ミン大統領の演説は、全国土焼土と化するも徹底抗戦の強硬なる声明であり、ベトナム紛争の戦火拡大が今日ほど憂慮されるときはないと存ずるのであります。
けさの新聞は大々的にホー・チ・ミン大統領が、世界の国民に向かってのアピールを報道いたしておるのであります。そのアピールによりますと、北ベトナムはアメリカに対して徹底的に抗戦をする。たとえ戦争が何年続こうとも十年続こうとも、二十年続こうとも、この北ベトナムが破壊し尽くされようとも、降伏は断じてしない。
私は昨年の一月にホー・チ・ミン大統領に会いました。ホー・チ・ミン大統領は、インドシナ全体を中立化地帯にするということに対して平和会議を招集されるならば、いつ何どきでもそのテーブルに着く用意がありますということをはっきり私に言明いたしました。
私が昨年の一月に北のベトナム民主共和国に参りまして、ホー・チ・ミン大統領に会い、各階層の指導者や各階層の人々に触れて、北のベトナムの状態をアメリカで話をいたしますと、非常に多くの人が耳を傾けてくれました。そういうことは知らなかったと申しました。
昨日、ホー・チ・ミン大統領のインドに対する書簡も発表されて、非常に日本としての役割りの重要な時期です。きょうが重要である、明日が重要であり、この一週間というものが私は非常に重要だと思うので、伺っておきたいと思うのであります。
○椎名国務大臣 けさの新聞報道によりまして、北ベトナム大統領からインド大統領にあてて書簡が発せられたというようなことが出ておりますが、どうもわれわれの判断するところによりますと、一月の二十四日に北ベトナムのホー・チ・ミン大統領が各国の首脳あてにベトナム戦争に対する考え方を述べておる。
についてのお尋ねでございますが、すでに御承知のように、国連安保理事会におきましても、わが国が当番議長国としてこれを運営しておるのでありますし、また、ハワイにおけるアメリカ、ベトナム等現地の首脳との会談もジョンソン大統領が開催しておりますし、さらに、新聞の報ずるところでは、これを契機にいたしまして、ハンフリー副大統領がさらに東南アジアに出かける、こういうことも言っておりますし、また、北のほう、ホー・チ・ミン大統領