2014-02-10 第186回国会 衆議院 予算委員会 第5号
この関連で、ベトナムにおける人口増加、あるいは高度医療へのニーズの高まりに伴って、日本式の医療マネジメントを取り入れて、チョーライ病院の分院を日越友好病院として建設したいという構想、これはベトナム側より提示されております。 両国関係のさらなる強化、我が国のすぐれた医療技術の活用、こういった観点から、ぜひ我が国としましてはこの構想を推進したいと考えております。
この関連で、ベトナムにおける人口増加、あるいは高度医療へのニーズの高まりに伴って、日本式の医療マネジメントを取り入れて、チョーライ病院の分院を日越友好病院として建設したいという構想、これはベトナム側より提示されております。 両国関係のさらなる強化、我が国のすぐれた医療技術の活用、こういった観点から、ぜひ我が国としましてはこの構想を推進したいと考えております。
小さな少女がロケット弾の破片に当たって手術を受けたり、こういうようなことを実際に見てまいりましたけれども、こういうような中で、やはり日本とベトナムの関係というのは、こういう長きにわたっての医療、特に、チョーライ病院を通じた、こういうような医療援助に培われてきたんだろうというふうに思っております。
まず、医療に関してでありますが、北部ハノイの拠点病院であるバックマイ病院と南部ホーチミンの拠点病院であるチョーライ病院を視察をいたしました。両病院とも日本からの無償援助によって当時最新の機材を導入をしたものの、その後更新費用を工面することができないようで、特にチョーライ病院におきましては一九七〇年代に供与した機材が現役で稼働しておりました。
それから、やはり木庭委員のおっしゃったチョーライ病院なんですけれども、これはJICAの技術協力のプロジェクトで、例えばケニアでやっているジョモ・ケニヤック農工大学とか、タイのモンクット王工科大と並んで非常に歴史の古いプロジェクトで、サイゴン陥落の直前まで日本の専門家と調査員がいたプロジェクトでございます。
ベトナムのところでは、真っ先にチョーライ病院などがございまして、私も過去に関係しておりますいろいろな医療関係の問題については大変興味深く見せていただきました。 先生方が御訪問されました国々については、私も全部の国に二、三回は訪問させていただいているのでございますが、特にODA、また経済協力という関係につきましても大変興味深く思っております。ベトナムには日本人のお漬物屋さんが出たりしております。
私は実は一九九一年にもこのチョーライ病院を訪れ、今回が二回目でございました。チョーライ病院というのはベトナム戦争後、日本がベトナムとのある意味じゃ一つの新しい経済案件というか、両国の交流の機関として設置してつくったものでございました。 ところがこのチョーライ病院、建設が終わった後に実はベトナムとカンボジアの問題が起きました。以来援助が日本として途絶えてしまいました。
具体的にはチョーライ病院というのは非常にいい例でございます。従来から三、四回にわたりましてこれの無償援助の、増改築に対する病院の援助、その後は医薬品の援助等を行っております。
○国務大臣(安倍晋太郎君) これは純粋な人道的な問題ですし、チョーライ病院については日本もいろいろな面でこれまでかかわり合っておりますし、協力もしておりますから、向こうからそういうことがあれば、これはあくまで人道的な援助として十分考えていい案件だと思います。
○秦豊君 外務大臣、そのチョーライ病院ですね、仮に浅尾さんに対しても正式なランクで、例えば向こうの外務大臣が要請してきて球が返ってきた場合、これは認めてもよろしいというふうな御判断をお持ちですか。
もちろんしかし、人道的な援助については、日本がかつて南北に分かれていたときの時代から援助しておりましたチョーライ病院等に対する援助は、これは今後とも引き続いてやっていかなきゃならぬと思います。
例えばチョーライ病院とかラオスの製薬センターに対する人道的な援助、こういう問題についても冷ややかな反応が見られますし、あるいはまた十二月には外務審議官もベトナムを訪れておるわけでありますが、その際にタク外相に、日本に来る意思があるならば日本としては受け入れるという考え方を示されたやに実は承っておるわけであります。
○政府委員(柳健一君) 先ほど申し上げましたように、ベトナムに対する援助はいま中断しておりますけれども、チョーライ病院という、かつてわが国が援助いたしました病院のいわばフォローアップの問題といたしまして、同病院が医薬品等の非常に深刻な不足を来しておるということがわかりましたので、実はもうたしか三年近く前だと思いますが、それがわかったときに、わが方としては全く純人道援助の見地からこれを援助しましょうということを
ただいまのも一つのりっぱな施設だと思いますが、チョーライ病院なんといいますのも、非常に大きな病院を日本の援助によって建てた。しかし、いまここにはもう医療機器もなければ医療品もない。まあ病人が収容されておるかもわかりませんけれども、あとはどうなっておるかわからぬ。宝の持ちぐされというふうな感じがあるわけです。やはりベトナムの人々にとりましては、日本がやってくれたんだという気持ちがそこに残っておる。
○馬場富君 それからもう一点外務省に、海外技術協力として南ベトナムに、チョーライ病院の関係でございますが、医薬品が援助されておりますが、この状況を説明していただきたいと思います。
○馬場富君 じゃ、ここで二、三経済援助の点で質問をいたしますが、南ベトナムの当時にチョーライ病院建設の援助がなされておりますが、この状況を御報告ください。
○政府委員(梁井新一君) わが国は、昭和四十六年から三年間にわたりましてベトナム共和国政府、当時の政府でございますが、サイゴン郊外のショロンにチョーライ病院と申します前からあった病院でございますけれども、その全面改築計画に協力いたしまして、約四十六億円の援助で新しい病院をつくったわけでございます。その病院には別に八億四千万円相当の医療機材の協力を行っております。
それから、チョーライ病院に対します医療協力につきましては、これはその当時予定しておりましたお医者さん方の都合がつかないというようなこともございまして、いまは延期しているという状況でございます。 それから、お米の問題につきましては、アジア局長の方からお答えをいたします。
そのほかに米を十五万トン、それからチョーライ病院に対する医療技術の援助をやるというような取り決めをされたというふうに聞いておりますが、この事実の関係はどうでしょうか。
私、昭和四十六年十月に、前の衆議院議長、文部大臣の松田先生と一緒に日本の経済協力でやったチョーライ病院、カントー職業訓練所を二人で視察をしたことがあります。そのときに南ベトナムの首脳部と連日会談をして、これらの国に対する不幸な人々の救援に私自身も大変意欲をわかしたのですが、恐らく政府首脳部の皆さんの中に戦争の結末でいま悲惨な運命に遭っておる人、それはどこかへ亡命しておる。
○受田委員 日本が経済援助をしたチョーライ病院、カントー大学あるいは孤児の職業訓練所、これは国費でお手伝いをした。これらの機関はいまどうなっておるのでございますか。
それからサイゴンにございますチョーライ病院につきましては、これは新聞情報などにも出ておりますけれども、日本が提供いたしましたチョーライ病院は七百ベッドの病院でございますけれども、その一部は病室として使われておるということはわかっております。カントーの状況についてはつまびらかにいたしません。
南ベトナムのサイゴンの国立チョーライ病院がこのほど完成をしたと聞いておるわけでありますが、これはどなたでもいいんですけれども、どのような経過になっているのか。また、かなりの数の医師や看護婦、技術者等が日本で教育訓練を受けている、その実情はどうなのか。また、技術面ではさらに日本からの援助を非常に要請をしている。
○説明員(鹿取泰衛君) 南ベトナムのサイゴンにございますチョーライ病院に対する援助でございますが、この件は、昭和四十六年に先方の政府から要請がございまして、もともとこのチョーライ病院というのは総合病院でございますが、これを全面的に改築をしてくれないかという要請がございました。
○御巫政府委員 わが国の南ベトナムに対します援助は、先ほども申し上げましたように、もっぱら緊急に必要な難民の救済でありますとか、戦災をこうむっております孤児の救済であるとか、そういったような人道的な援助に向けられておりまして、たとえば難民住宅につきましては、二年間の計画を立てて建設をする、チョーライ病院につきましても、三年か四年にわたる計画をたてておりまして、その計画が、初めの年から見ますと二年度、
これは先ほど申し上げました難民住宅、それからチョーライ病院、孤児の職業訓練所、それからダニムダムの若干の修復の費用、それからケネディラウンドに基づきます食糧援助というものを含んでおります。
第三点のチョーライ病院の件でございますけれども、チョーライ病院はまだ完成しておりませんし、また診療開始をいたしておりませんけれども、ねらいといたしましては難民に限らず一般の民衆でございます。いわゆる施療病院といたしまして、広く民衆に開放されるということでございます。
それから三番目は、外務省の経済開発特別援助費によりまして、四十五年度を初年度といたしまして南ベトナムにチョーライ病院というのが改築工事をやっておりますけれども、この改築されておるチョーライ病院、現地のこの病院を現地の赤十字社が難民救済活動の根拠地として使用しているのではないか、使用しているのかどうかという問題です。
それからまたアジア諸国におきます経済社会基盤強化のために、従来から無償で援助をやるという計画を持っておりますが、これらにつきましても、たとえば現在も続けられております南ベトナムにおきますチョーライ病院の改築等の事業に無償協力をいたすという金額を計上してございます。 以上が、第二番目の重点であります経済技術協力関係のおもな項目でございます。
それから従来も、いまプレクトノット・ダムのことについて御言及いただきましたから、これは省略いたしますが、たとえばベトナムにつきましても、御承知のように、難民用の住宅建設のために協力贈与を行なっておりますし、それからチョーライ病院の全面改築計画、それからダニムダム、これはそもそもが賠償からの援助でございますけれども、無償援助に着手をしておるというようなわけでございますし、また、ラオスについて申しますならば
技術協力におきましては、いま先生おっしゃいましたように、向こうの病気だとか、けがだとか、そういったようなものに対する直接の援助のほかに、そこにおります人たち、人間、いわゆるお医者さんとか看護婦さんといったものを教育することによって、そこの技術を発展させていくという方法がまた非常に大切だ、こう思うのでありまして、われわれ事業団といたしましては、そういう意味から病院に日本の先生方を送って――たとえばチョーライ病院