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3件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1950-03-07 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第10号

次にペガワト地区第五分所、次にタシケント地区九分所、同じくアングレン地区第六分所、次に最後のカラカンダ地区九分所、及び十五分所を経て、最終集結地ナホトカ第三分所に移つて行つたものであります。  ベガワトの第一分所入所年月日は、昭和二十年十一月二十五日であります。

日高清

1950-03-07 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第10号

国民は全員が一丸となつて在ソ同胞引揚げ促進運動に乘り出しておる、あなた方の帰りも近いと思いますという、あるいは兄から、あるいは母から、あるいは自分の妻から届けられたことが、タシケント地区あるいはカラカンダ地区においてありました。それからソ連の大使館の前における何か引揚げ促進に関するデモと申しますか、こういうようなことがあつたことが一回耳に入りました。

日高清

1950-02-23 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第13号

私はその柵の所に立つておりまして、どこから来たのだということを聞きましたら、実は五年の刑でシベリアに送られたけれども、三年で出て来て、三百円のルーブルの金を貰つて放り出された、日本に帰して呉れと言つたところが、金を持つて極東に行つてはいけない、タシケント地区に行けと言われて汽車に乗つて来たが誰も雇つて呉れないし、タシケント收容所行つたところが、アングレンに日本人が沢山いるからアングレンに行けということで

久保田善藏

1950-02-23 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第13号

委員長岡元義人君) 久保田証人に申上げますが、先程も各委員から注意がありましたが、各委員はすべての收容所の状況は、その都度資料を持つておりますので、只今穗積委員が聞かれたカラガンダタシケント地区に残つておる者はどのくらいだ。それだけお答え願えればよいのであります。

岡元義人

1950-02-06 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第10号

四九年の九月には、大体アングレンに三百七十名、それからタシケント地区に残りの、千五百名から引きました千二百数十名という者が集まりました。アングレンには主として、さつき申しましたいわゆる無線探査像寛城子の八六部隊、国境に勤務する憲兵、こういうような者、それから抑留者の大部分という者が残りました。

尾ノ上正男

1950-02-06 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第10号

証人尾ノ上正男君) ナホトカを立ちましてから以後、まだいると私が考えますのは、ハバロフスクに千五百乃至一千六百、カラガンダに千二百と、団体懲罰を受けておるもの四百名、タシケント地区に受刑しておると思うもの六十名、それから樺太において刑罰を……犯罪を犯し八十ハロタスク附近に、おいて受刑し、受刑後ウズベツク共和国の中に入つておると思うもの約数十名、それが今日のものであります。  

尾ノ上正男

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