1997-03-25 第140回国会 衆議院 安全保障委員会 第5号
十五年と申しますけれども、ソ連革命からもうこれで七年目に入っておりますので、あとちょうど半分しか残っていない。確かに、この半分でロシアというのは非常にしっかりするだろうと思います。 情勢というのは、今は一番ロシアが弱い時期でございますけれども、これはどうなるか全く将来のことはわからない。
十五年と申しますけれども、ソ連革命からもうこれで七年目に入っておりますので、あとちょうど半分しか残っていない。確かに、この半分でロシアというのは非常にしっかりするだろうと思います。 情勢というのは、今は一番ロシアが弱い時期でございますけれども、これはどうなるか全く将来のことはわからない。
しかし、恐らくこの紛争にしろ混乱にしろ、そういった一連のいわゆる一九八九年の東欧・ソ連革命以来続いている今日の事態というのは、国際社会における地殻変動のあらわれにほかならないというふうにとらえてよろしいかと思います。 時間が非常に限られておりますので、なるべく簡単に申し上げたいと思いますが、大きく言って私はきょう三つのことを申し上げたいと思うんです。
私はその点は、まさにことしは日ソの国交回復三十周年である、来年はソ連革命七十周年である、この重要な節目のときに、中曽根総理が懸案のこの問題を解決しようという姿勢には深い敬意を持つものであります。 ところが、申し上げるまでもなく、来年一月の訪日というのは、これは西山欧亜局長とソ連の代理大使の間で、日本としては招請を取りやめざるを得ないということで合意をしたわけであります。
ソ連革命の中において非常に苦慮してきたブレジネフさんなり、あるいはレーニン研究所の所長でありレーニン大学の学長であって、マルクス・レーニン主義というものに一貫性を持ってきた長老のスースロフ氏なんかが生きている限りは、そういう冒険政策によってソ連を内部から崩壊に導くようなことは私はできないと思うんですが、われわれが国土防衛に対しては責任を持つことが必要であるけれども、いたずらにソ連を刺激し、ソ連をして
つまりソ連革命が起こった後に、これは日本を含めて出兵したわけです。
そのソ連の予算書の中におきます軍事費用はどうなっているかということが最も基本的でございますが、これはソ連革命以来の分析家の一致した見解でございますけれども、これは決して実情を反映していないということになっておりまして、これに対しましてはいろいろ算定の方法がございます。
これはテレビ朝日はよく御存じだと思うのですが、午前中の質問の中にもありましたように、今度ソ連革命記念日行事を延々と二時間にわたって報道したというのも、この契約書の前文の政治条項に非常に忠実に合ったからだというふうに私は見ておるのです。
その内容を申し上げますと、「今年はソ連革命六十周年に当り、その革命記念日の歴史的な行事にわが国のテレビ界も各社こぞってソ連へ中継許可を願い出ていた。ところがここで困ったのは、モスクワ五輪中継をめぐってテレビ朝日と敵対していた日本テレビ。同テレビは今年四月「拝啓、テレビ朝日さま……オリンピックは二十五億円で見るネウチがありますか?」
しかし、わが方としては、操業海域の問題あるいはクォータの問題、まあじっくり時間をかけて交渉もしたいということでございまして、これは十一月の上旬ということでございましたが、その後向こうから連絡がございまして、向こうからソ連革命記念日、記念祭等もこれありということで、十一月十四日から交渉を再開をいたしまして、クォータの交渉並びに漁業協力協定、この二つの案件を代表団を送りまして交渉することになったわけでございます
ソ連においても一九〇五年の革命失敗後におけるレーニンが、やはり国外に出て世界を見て、そこにソ連革命の中においてもレーニンだけの柔軟な、断固とした意思は持っているけれども幅の広い、他民族に対しても愛情を持った革命的指導者は私は少ない。
そうして後に判然といたしましたることが、あのソ連に対するところの、ソ連革命成立以来の重大事件でございましたポーランド、ハンガリーの反ソ動乱でございます。
これは国交調整の実例ではございませんが、ソ連革命があって全然国交も何もなかった。そのうちに国交を回復する日ソ基本条約というものをこしらえました。これはまあこの問題の初めに出ましたように四年半もかかっておる。容易なことではございません。私はそれに関係をしないこともございませんでしたが、なかなか容易なことではない。
たとえば過去において経験を持っておりますが、ソ連革命後において日ソ関係の正常化をいたしました日ソの基本協定というものを、五年もかかって北京で協定をいたしました。その基本協定には通商条約をこしらえるということ、しかしそれはそのときに解決をせずして、将来の交渉にゆだねたのであります。しかしその将来の交渉はついに成立をいたしませんでした。
現に共産主義的な革命としまして中国において、又東ヨーロツパ諸国において起つておりますが、これに対して果してソ連革命当時のようなテロが行われたか。あのもの好きなリーダース・ダイジェスト一派の者すら取上げておりません。