1990-04-18 第118回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第3号
次に、東欧の変化の本質でございますが、時間の関係で当初予定していたよりも簡単に結論のみをたどる言い方をさせていただきたいと思いますが、御承知のとおり東ヨーロッパ諸国は第二次大戦後ソ連赤軍の力によって共産党の支配下に置かれ、ソ連圏に属したわけでありまして、東欧諸国民にとりまして、共産主義とはロシア帝国主義の同義語であり、自国の共産党はそのかいらいにすぎなかったわけでございます。
次に、東欧の変化の本質でございますが、時間の関係で当初予定していたよりも簡単に結論のみをたどる言い方をさせていただきたいと思いますが、御承知のとおり東ヨーロッパ諸国は第二次大戦後ソ連赤軍の力によって共産党の支配下に置かれ、ソ連圏に属したわけでありまして、東欧諸国民にとりまして、共産主義とはロシア帝国主義の同義語であり、自国の共産党はそのかいらいにすぎなかったわけでございます。
この事件は、いま大臣が概略をお答えしたところでございますが、ソ連赤軍の諜報機関の指揮統制のもとに、当時の駐日ドイツ大使顧問のゾルゲを中心といたします外国人数名、及び当時の内閣の嘱託でございました尾崎秀実を中心とする日本人約三十名が、昭和九年ごろからわが国の政治、外交、経済、軍事等各般にわたる機密を探知収集しまして、これを短波無電等によりましてソ連の方に通報し漏らしていたと、こういう内容でございます。
要するにこの事件は、ソ連赤軍の諜報機関であります同赤軍第四本部の指揮統制のもとに、駐日ドイツ大使顧問リヒャルド・ゾルゲを中心とする外国人四名及び尾崎秀実を中心とする日本人約三十名が、昭和九年ごろからわが国の政治、外交、経済、軍事等、各般にわたる機密を探知収集し、これを短波無電、写真フィルム等により、赤軍第四本部を通じてソ連政府、同国共産党中央委員会及びコミンテルン本部等に通報漏洩していた、こういうものでございまして
終戦と同時に、樺太特務機関におりまして、ソ連赤軍の最高指揮官であるエヒモフ少将と、軍使として会談しました。そうして、占領地における占領軍政の網が張られたときに、私は逮捕されて、豊原の刑務所に送られました。そうして、軍事裁判によって十五年を受けたのであります。