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15件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1978-04-05 第84回国会 衆議院 外務委員会 第11号

この間、私はタイへ行ってきましたが、フォンサリ州のムンゲンというところまで雲南省から八レーンの高速道路がついて、ラオスから、いまタイ国、ビルマに中国人のゲリラがどんどん入ってきているということを聞きましたが、その人に聞いた話では、いまでもカンボジアのプノンペンにはソビエト人が十一人、大使館の閉ざされたとびらの中にいる、北方には二百人のソ連将校がいる、こういうことでございました。

中山正暉

1978-02-01 第84回国会 衆議院 予算委員会 第4号

例えばある者はソ連将校に拳銃で威嚇されつつ、木銃で数十回も殴打された。気絶すると水をかけられ、蘇生すると再び拷問を受けた。更に裸体にされた上、電線で束ねた鞭で殴打された。またある者は陰部を蹴られ、頭をコンクリート壁にうちつけられて失神させられること数度に及んだ。水を浴びせられて蘇生すると、更に背部や腹部を何度も蹴られ、出血して昏倒した。

小林進

1950-04-27 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第28号

そして今参議院なり衆議院において、カラカンダにおけるソ連将校が言われたあの問題が起きておるから、帰つたらみんなでそれのもみ消し運動をやらなければならないということがきめられたということを言つておる。その後共産党がいろいろとこの問題のもみ消しのために活動されておるということを聞いております。共産党としては、徳田要請真実でなければ、真実でないことを確めることに努力すべきだと私は思うのであります。

佐々木秀世

1950-04-13 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第25号

石田(一)委員 そういたしますと、その中にはこのソ連将校の言つたことを。日本人の菅氏がこれを通訳した。この通訳を聞いて反動と目されない人もあり、反動と目されている人もある。こういうのであれば、この日本語に通訳された言葉自体をそれぞれ自分に関連して解釈して、外でこれを皆さんにお話する。たとえばあなたのただいま御証言になりましたように、これはどうだかわからぬ。

石田一松

1950-04-10 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第23号

そのはがき政治部員ソ連将校上級中尉)から病院民主グループ委員長石田へ、さらに宣伝部長崔景勝に渡された。崔はそのはがき本人に渡すとき多くのアクチーブを連行し、十号室の病床に来て曰く「大きな声で読め」と。そしてその書面に対し批判を下すとともに、本人を徹底的に吊し上げた。そのため相磯は思いつめ、黒パンや蕪麦の食事にすら喉を通らなくなり、急速度に衰弱惡化した。

内藤隆

1950-04-06 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第20号

高木(松)委員 そこでソ連将校その他の人の言葉、またその言葉を訳されて日本抑留者の耳に入つたアカハタのそういう転載、しかもその転載は時間的に見て相当の速度転載されていたというような事実からして、日本共産党ソ同盟との間の連絡は緊密にあつたとお考えになりますか、その点はどうです。

高木松吉

1950-04-01 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第16号

吉田証人 私が墓掃除ソ連将校と一緒に行つたときに、われわれに少々草を刈らせて、墓標の整理をしたということくらいが捕虜監理局のとつた処置じやないかと思います。ただ墓場一つにくい三つ植えなければいかぬというところに、大きな疑問を持ちましたが、監理局としては、やはり死んだ人の墓の員数を合せる、そういうことでやつたものではないかと思います。

吉田幸平

1950-03-18 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第16号

原虎一君 証人はこの九十九地区カラカンダ收容所以外で、そういうソ連将校なりソ連側が、いわゆる等は要請と言いますか、今マ中尉日本人のいつ帰還できるかという質問に対して答弁したようなことを、演説し若しくは話すことでその当時そういう言葉を聞いたことがありますかどうか。

原虎一

1950-02-18 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第12号

次に、ソ連地区における満刑者の状態でございますが、これも只今まで舞鶴におきまして調査した範囲におきましては、樺太地区等から送られました受刑者の中で、ソ連将校がナホトカまで連れて来た者は、これは正規ら書類は勿論ございませんけれども、今までのところ一人しかおりません。

岡元義人

1950-02-06 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第10号

そこでは大なる調査を受けることなく、十一月二十五日に更にカザンの日本将校の勤務いたしております発電所ラーゲルに約一週間おりまして、十二月一日同地を出発、汽車で單身ソ連将校の附添いの下に、モスコーの七千二十七ラーゲルというところに参りました。参つたのは十二月三日であります。

種村佐孝

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