1991-03-14 第120回国会 衆議院 予算委員会 第23号
○岸本政府委員 サハリンからの引き揚げは、昭和二十一年の十二月のソ連地区引揚げに関する米ソ協定の成立によりまして開始されたわけでございまして、二十四年の七月までの間に約二十九万二千人の引き揚げが行われたところでございます。
○岸本政府委員 サハリンからの引き揚げは、昭和二十一年の十二月のソ連地区引揚げに関する米ソ協定の成立によりまして開始されたわけでございまして、二十四年の七月までの間に約二十九万二千人の引き揚げが行われたところでございます。
従いまして、先ほどちよつとソ連地区引揚げの方々の問題に触れましたときに申し上げたのでございますが、一般の国内職業のあつせん状況、成績から申しますれば格段の成績を上げておるとわれわれは考えておるのでございます。
私たち派遣団は、この興安丸を迎えるべく十一月三十日の夜東京を出発、十二月一日の朝東舞鶴に着きましてただらに援護局のさん橋より舟で興安丸に行き、最初のランチが出ますまでの間長谷川梯団長と懇談いたした後、ランチでさん橋へ参り、引揚者の諸君をお迎えいたしたのでありますが、過般の中共地区引揚げ、または昭和二十五年のソ連地区引揚げの場合と異なりまして、今回の引揚げはまことに穏やかでありまして、迎える者も迎えられます
あるいはソ連地区引揚げに関する協定で米ソ間できめることもけつこうでありましよう。あるいは極東委員会でこの問題を究明することもけつこうでありましよう。
従つて本問題は、一九四六年十二月の、ソ連地区引揚げに関する米ソ協定に基いて行わるべきものであつて国連が關與すべき問題ではないと考えるのであります。不幸にしてこれが今回国連で決議せられましたことは、将来の国際紛争の種を一つふやしたことでありまして、日本国民として、まことに遺憾にたえないところであります。