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56件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2013-12-04 第185回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

とりわけ、ソ連のスターリンが領土拡張主義に走り、そして千島列島ソ連参戦条件として領土を奪い取るということになったと思うんですよね。サ条約ソ連が参加していないというのはそのとおりでありますが、サ条約の第二条で、千島放棄という、日本政府国際条約で明らかにされているわけですね。  

赤嶺政賢

2009-05-22 第171回国会 衆議院 外務委員会 第11号

当時の終戦条件ソ連参戦等があったと言われておりますが、本来の国際社会のあり方からいって、千島は放棄してはならなかったと私は考えております。  そこで、交渉するに当たって、これはもう放棄してしまったんだから、交渉の場ではなかなか言えないということはわかります。しかし、日本全体として、このような正しい観点に立って主張をしていくべきだというのが私の基本的な見解でございます。

池田元久

2005-03-22 第162回国会 参議院 総務委員会 第8号

頼みの関東軍本土決戦に備えて日本に、本土に呼び返されるとか、あるいはソ連参戦を知ると早々に退散して、中国に残された人たちは戦渦の中で筆舌に尽くせぬ辛酸をなめました。敗戦後も、外務省は在満邦人が現地にできるだけ定着するようにとの方針を出しておりまして、一九五九年、特別立法により、日本政府から一度の捜索調査も受けることなく、中国残留孤児らは戦時死亡宣告されて戸籍から抹消しました。

吉川春子

2004-03-02 第159回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

昭和二十年八月九日のソ連参戦後におきまして、これらの人々は居住地を追われることとなりまして、避難する途中あるいは収容所において死亡するなどの事態が生じたところでございます。  このような状況の中で、生活手段を失い、中国人の妻となるなどして中国にとどまった婦人等中国残留婦人等と言っております。

新島良夫

2000-04-20 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第7号

これを受け取ったワシントンのアメリカ政府では、トルーマン大統領のもとで御前会議を開きまして、一部、バーンズ国務長官のように、我々がポツダム宣言を出したときは原爆投下前だった、ソ連参戦前だった、それ以後この二つの要因によって我々は優位になった、だのにこういうふうな新たなる修正を加えて配慮する必要はないという主張をする人もおりましたが、スチムソン陸軍長官や何かが中心になって、日本は、ここまで来て、こんな

五百旗頭真

1995-03-28 第132回国会 参議院 逓信委員会 第7号

アメリカの当時のあれから何か全部入れて、サイパンの方からビルマ、あるいはソ連参戦いろいろ出ておりましたけれども、実に立派なドキュメントだ。広く見てほしい。戦訓として見てほしい。今の自衛隊の幹部にもそういう思いでやったわけですが、最後のまとめの言葉、これは非常に憤りを感じながら聞いておったわけでございます。  

守住有信

1988-03-22 第112回国会 参議院 逓信委員会 第2号

○国務大臣(中山正暉君) 御指摘になりました「わかりやすいソ連史」というのは、私が昭和五十七年に衆議院の外務委員長をやっておりますときに書け書けとおだてられて書いたものでございまして、私も中学校一年生のときに終戦を迎えましたので、そのときのソ連参戦の日、八月九日のむなしい思いみたいなものがずっと後を引いておりました。

中山正暉

1985-05-21 第102回国会 参議院 内閣委員会 第11号

先ほど二千数百名と言いましたが、その大部は、いろいろありますけれども、その大部ソ連参戦と同時に関東軍指揮下に入ったときの生存者の問題なんです、問題は。もちろん死亡者の問題もあります。作戦指揮下になかった戦死者の問題もありますけれども大部分はそれなんです。ですから、先ほど言いましたように、この問題は単なる個々の法律上の問題じゃないんです。

堀江正夫

1985-04-18 第102回国会 衆議院 社会労働委員会 第16号

したがいまして、そういう過去の具体的な事例を調査するようにというのが附帯決議の御趣旨かと思いますが、私どもはそういう開拓団方々実態にかんがみまして、援護法適用に当たりましては、要するに、ソ連参戦以前は軍事に関する業務上の負傷あるいは死亡というものについて援護法適用をやっておるわけでございます。

入江慧

1984-05-08 第101回国会 参議院 内閣委員会 第10号

そこで、私はあえてさかのぼって研究してほしいと言いましたのは、この「応召確認の件」でいきますと、一九四五年のソ連参戦のときだけに限られているわけじゃありませんけれども、要約をされているわけです。実際はその以前から同じ状況にあったということをまず第一に認識してほしいということです。どう直すかという話はこれからの問題です。その点はどうなんでしょうか。

穐山篤

1984-05-08 第101回国会 参議院 内閣委員会 第10号

ただ、先生おっしゃいました死亡者につきましては、これはソ連参戦前、旧満州におきまして日満共同作戦擾乱地戦闘に参加してここで亡くなった人はその日付で日本軍人身分変更をするという陸軍内規がございまして、そういう内規があるものでございますから、例えばソ連参戦後に戦闘で亡くなった方、それからシベリア抑留中に亡くなられた方、こういう方はその時点で日本軍人身分変更しているということでございます。

森山喜久雄

1984-04-19 第101回国会 衆議院 内閣委員会 第9号

私は、当時、ソ連参戦、満州ソ連軍が入ってくるという状況のもとでは、ノーマルな形でソ連に送り込まれた抑留者等満州等に送られるケースというのは、南満まで含まれて送られるというケースは少なくて、恐らくこれは北満あるいは北朝鮮というふうな国境地帯関係図們、綏芬河、こういう国境地帯関係で送られてきたのが四万七千ということであろうかと思いますが、実態はそういうことではないのですか。

角屋堅次郎

1981-04-09 第94回国会 衆議院 社会労働委員会 第7号

ただ、一般開拓団方々につきましても、個個の人によりましては、特にソ連参戦以後になりまして大変な混乱の時期に、実際に戦闘に参加しておられるというケースがあるとするならば、それはすでに援護法の上で「戦闘参加者」という概念がございまして、そこの規定によりまして遺族年金なりあるいは障害年金を出すということになっております。

持永和見

1980-11-05 第93回国会 衆議院 外務委員会 第6号

岸本説明員 北朝鮮地域におきまして、主としてソ連参戦後の終戦直前から非常に混乱があったということでございます。そこに住んでおられた方々が、食糧の不足でありますとか伝染病、また越冬期におきましては非常に厳しい寒気等によって非常に窮乏をきわめたという実情にあったということは十分承知しているわけでございます。

岸本正裕

1980-03-25 第91回国会 参議院 社会労働委員会 第4号

片山甚市君 継続性はまだ考えられぬ、今度行って失敗したら大変だから失敗せぬようにする、こういうことで御答弁があったことと思いますが、厚生省の調査によれば、中国東北地区、旧満州地区死亡した日本人は、ソ連参戦の二十年の八月の九日以後だけでも二十四万人余り、軍人軍属はそのうち六万六千、残り十八万人が婦女子を含む民間人であったそうですが、遺骨収集ども可能であるのか、慰霊団派遣を機に遺骨収集についての見通

片山甚市

1980-03-06 第91回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号

次に、前々から問題になっております満蒙開拓青少年義勇軍あるいは義勇隊と呼んでおりましたけれども、これは制度創設以来ソ連参戦後に至るまで、一応義勇軍もしくは義勇隊については援護措置がとられることになっております。ただ、争いがございますのは、満蒙開拓青少年義勇隊というのは開拓団も含むのだというのが私どもが聞いている事柄でございます。

森井忠良

1979-04-24 第87回国会 参議院 社会労働委員会 第5号

それからその次の問題は、いま申し上げましたように、昭和十六年からソ連参戦昭和二十年八月九日までの間、具体的に義勇隊開拓団がそれぞれの地域に入植をしているわけですけれども、これが農業作業とか、あるいは警備の問題だとか、あるいは戦闘状況だとか、さらには、その間に死亡者もおれば疾病もした人もあるわけですから、その具体的な事実関係について十分に調べる。

穐山篤