2011-08-03 第177回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号
意見を述べる前に、個人的なことで恐縮でありますが、私は、北方領土の一つである国後島の生まれであり、終戦後三年間、旧ソ連占領下での生活を余儀なくされ、昭和二十三年、一九四八年、最後の引き揚げ船で旧樺太を経由し函館に上陸し、親類を頼って現在地に住まいし、朝に夕に二十六キロ対岸の国後島を指呼の間に臨みながら、自由に往来のできない悔しさの中で六十三年が経過し、現在に至っております。
意見を述べる前に、個人的なことで恐縮でありますが、私は、北方領土の一つである国後島の生まれであり、終戦後三年間、旧ソ連占領下での生活を余儀なくされ、昭和二十三年、一九四八年、最後の引き揚げ船で旧樺太を経由し函館に上陸し、親類を頼って現在地に住まいし、朝に夕に二十六キロ対岸の国後島を指呼の間に臨みながら、自由に往来のできない悔しさの中で六十三年が経過し、現在に至っております。
○義家弘介君 ソ連占領後、一万七千二百九十一人の島民が島を追われましたけれども、平成二十年三月末で、元居住者は七千七百九十七名、平均年齢はもはや七十五・二歳になっています。だからこそ、この問題について具体的に、例えば九〇年代はかなり大きな進展がありましたけれども、二〇〇〇年代に入ってからどのような状態になっているのか。
しかしながら一九四九年に、米英仏占領地域にドイツ連邦共和国、ソ連占領地域にドイツ民主共和国がおのおの樹立されたわけでございますが、この時点でも、米英仏ソはあくまで将来の全ドイツ問題の解決に対する責任と権利を留保するとの立場をとったわけでございますが、事実上はドイツは分断国家になったわけ でございます。
敗戦直前、約二万人の朝鮮人が北海道などの炭鉱に移動されましたが、戦後、ソ連占領下のサハリンには約三十万人の日本人とそれから約四万三千人と言われる朝鮮人が残ることになった。 このうち日本人は、一九四六年十二月に成立したソ連地区引揚に関する米ソ協定というのがあって、これによって二十九万二千五百九十人が引き揚げました。
○西村関一君 ドイツの場合は、いままで東のドイツにつきましては、西のドイツ連邦共和国側は、ソ連占領地区といって東のドイツ民主共和国を認めなかったのでございますが、最近ではこれを認めて、やはり国名を使って、二つのドイツということで折衝をしております。両ドイツがそれぞれ交流を密にしようと、いろいろな外交問題その他、内政問題について折衝している。
しいて説明を入れるとしても、ソ連占領地域という規定をする可能性がある、こういうことが新聞社を通じてはっきりと回答がある。
また釧路の海上保安部におきましては、その担当区域がソ連占領下の千島、歯舞諸島と直接接しており、日ソ国交回復後も依然領海侵犯を理由とする被拿捕事案の発生や、密出入国事案の発生が生ずるおそれある現状にかんがみ、航海上、また漁撈上の障害排除のため、推定危険区域までは哨戒する要があるであろうということでありました。
終戦当時、ソ連により強制労働に服さしめられた邦人は五十七万五千人、ソ連占領下の死亡者は約十八万三千人、収容所内での死亡した者は四万一千五百八十八名、現在は抑留邦人、消息不明者を含めて一万五十二名、しかるに、ソ連は抑留者一千五十三名と発表をいたしております。また、日ソ開戦の実情から、日本に戦犯者はないのに、ソ連は共同宣言において、「有罪の判決を受けたすべての日本人の釈放」と規定しております。
終戦当時、満州、北鮮、千島、南樺太のソ連占領地域には軍民合せて二百七十二万六千名の邦人が居住しておりました。ソ連はこれから各地の日本軍人の武装解除を行いまして、約五十七万五千人と推定される邦人をシベリア、外蒙、中央アジア等に移送しまして、収容所に拘置して、建設、雑役その他の労役に従事させておったものであります。
それを拝見しますと、全部で八万五千四十五名の氏名が判明している、そのうち五万六千二十四名は生存確実である、さらにそのうち一万四千五百名は千島、樺太を含むソ連占領下にある。ところが、昨年の十二月一日から本年の三月までにソ連地区より引揚げて来た者は、御承知のように千二百二十四名であるというようにわれわれは今までの報告によつて了承しております。
最後に無頼の徒に近い人と指摘された小生の自己紹介をする事とす 土木技術者であり在鮮三十余年土木請負を業とし終戦当時は、北鮮江界の水力発電建設工事に当り其の為めソ連占領下金日成政治下で十一カ月間を過し共産主義の如何なるものかを体験し、肝にめいじてリユウクサック一つで引揚げ、帰郷後は健康勝れざるにより本業を断念し僅かばかりの所有農地を唯一の資産とし、農を営みかたわら本町の駐在員として町行政の末端事務を
全くソ連並びにソ連占領軍下にある地域がそういう状態になつて参つておりますから、この問題が起つて来た次第でございます。アナタハン島等において現に生存者があつて、そしてすでにこれらは死亡しておると処置をいたして来たのではないか、そういう関係から。
相当問題にされて参りましたし、さらに東欧の情勢にかんがみまして、先般アメリカがユーゴ援助の方針を明らかにいたしましたのと、これらの点を考えて参りますと、ソ連の不利と見られる最近の一般情勢が今回の声明発表の重要な背景であろうと見られておりますが、アメリカ国務省のスポークスマンはこの点につきまして、この声明は来るべき第二回平和擁護協議会の開催——これはもう時間的に去る二十一日から二十六日までベルリンのソ連占領地区
その歯舞群島の先に色丹の島がございまして、これは千島列島と我々が考えられるカムチヤツカから続きまして、得撫、擇捉、国後に至る本系の列島と全く地層の構成を別にし、又その位置も異つておる所でございますが、この歯舞群島も全部今日ソ連占領下に置かれてございます。そうしてその最短距離は納沙布岬の沖に一番近い島に水晶という島がございます。この水晶島との間の距離が約八キロくらいであります。
○佐々木(盛)委員 私は外務当局並びに法務当局に対して、千島にある残留同胞にして、ソ連軍の密令を受けて北海道、内地へ潜入して必要なる調査を終えたる後、再びソ連占領下の千島へ帰つて行く者があることを、北海道新聞その他において報道しておるのでありますが、この問題に関連して承りたいのであります。