運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
8件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1

1955-12-15 第23回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

四七年、八年を境とする在ソ民主運動の極左的公式主義的なあの偏向、過激な運動のために、幾百の者が刑を受け、幾百の者が死に、幾千幾万の者が涙をのんでこの苦しみに耐えたということをわれわれ自身が知るがゆえに、われわれはこの行為を許すことができなかったのであります。  そこで私は帰ってきて、あの当時の訪ソ議員団人たちが、どういうふうにハバロフスクの状況を伝えていられるか、私は非常に興味がありました。

佐々木正制

1950-04-30 第7回国会 衆議院 本会議 第45号

帰還者諸君は全員が一人のごとく民主民族戦線の戦列に加わり、英雄的共産党の旗のもとにその全力をささげ、必要とあらば、アメリカ植民地支配者とその売国的従僕どもに、生命をもなげうつて闘わんことを銘記せよ、と激している事実、また同年七月十五日の日本新聞で、日本共産党創立二十七周年記念日に寄せて、ソ同盟帰還者徳田書記長に対し、民主民族磯線の鉄の闘士たらんことを厳粛に宣誓している事実、これらはすべて、在ソ民主運動

鍛冶良作

1950-04-28 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第21号

ソ民主運動実態というものを、思想の上から、或いは運動形態の上から、或いはいろいろな実際のその段階々々におけるところの闘争、そういつたものを具さに実態を調査せられて、そうして在ソ民主運動というものがどういうふうなものであつたかということをもつと科学的に、緻密に帰還者の希望を若しくは各人の証言をもつと広範囲に拡げて、一つの科学的な資料というようなものを得られましたならば、ああいう事実は私は当然その

池田正人

1950-04-08 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第22号

鍛冶委員長 それから第一、第三第三とあつて、次のページ第三に、在ソ民主運動の特質としてあげておかねばならぬのは、その闘争の種類と形態の特異なこと、すなわち当時野坂の言つておるように、在ソ民主運動の任務は旧ファシスト的将兵ファシスト思想革命であり、反ファシスト的意識変革または民主的人間変革にあることである、かように述べておられますね。

鍛冶良作

1950-04-08 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第22号

安部委員 あなたの、前衛相川春喜の「在ソ民主運動の一決算」という文書の中に、先ほど委員長が指摘したように、在ソ民主運動の特徴としてあげておきたいのは、プロレタリア国際主義の基調に立つていたことである。こういうことを書いていますな。それは日本において、現在占領治下においては共産党の政権というものは樹立することができないであろう。

安部俊吾

1950-04-06 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第20号

小島証人 綱領とか何かいろいろあつたようですが、自分の記憶しておるのは第一番目に、引揚げの促進のためにわれわれは生きて帰つただけであれなんだから、とにかくがんばろうということ、それから二番目に在ソ民主運動を徹底的に暴露しようということ、それから呼びかけとして、とにかく日本人に立ち返つてくれ、あまり日本人同士がかみ合つたもんですから、とにかく白紙の日本人に返つてくれという呼びかけであつたと記憶しております

小島清

1949-12-24 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第6号

又この第四面においてそのとき展開されておる在ソ民主運動成果欠陷が暴露されております。結局この成果によつてシベリアにおける各御主運動が展開され、又日本新聞欠陷として発表されたことを克服するために運動が展開されて行きました。でありますからこの四面記事によつて日本新聞シベリア民主運動を展開し、指示していたということを表現できると思います。以上簡單に申上げます。

一ノ瀬喜三郎

1949-12-24 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第6号

従つてそうしたところから出て来たレポ、こうしたものが日本新聞の紙面において出されて他の收容所において取上げられて、又新らしい運動形度新聞に発表されたという意味において、日本新聞は確かに在ソ民主運動を指導しました。併しながら日本新聞がこれを上からこうこうせよと言つたところで民主運動は起り得ないのであります。そうした民主運動はあり得ないということを再度申上げたいのであります。

宗像創

  • 1