1956-02-18 第24回国会 衆議院 外務委員会 第8号
なぜかというと、あなたも御存じのように、去年ジュネーヴで四巨頭会談が行われたときに、ソ同盟側からは原子爆弾の生産禁止、実験、使用禁止、この提案が行われたときに、アメリカの方からは、それよりもまず軍縮をやろうじゃないか、その軍縮の具体的な案としては、空中査察の問題を考えていこうじゃないか、こういうような形で、結果において原爆実験、使用の禁止という問題がうやむやになって終っているわけです。
なぜかというと、あなたも御存じのように、去年ジュネーヴで四巨頭会談が行われたときに、ソ同盟側からは原子爆弾の生産禁止、実験、使用禁止、この提案が行われたときに、アメリカの方からは、それよりもまず軍縮をやろうじゃないか、その軍縮の具体的な案としては、空中査察の問題を考えていこうじゃないか、こういうような形で、結果において原爆実験、使用の禁止という問題がうやむやになって終っているわけです。
ソ同盟側には、引揚げの問題で何の秘密もありません。戰犯との文通もできるといつています。 先日、日本から自由党の元大臣も含めて有力者を国賓としてソ同盟に招きたいと言つて来ているのに、最後まで鉄のとびらをおろして、ソ同盟に有力者が渡ることをおそれ拒んだのは日本政府だということを忘れてはなりません。
連合国の一国としてのソ同盟側としては、そういう判断をなし得ると思います。またそれによつて降伏文書に基いて必要な措置をとることを、日本国政府に対して指示する権限は、私はあると思いますが、この点はどうなんですか。
要するにこれはソ同盟側のこういうことを言つたかどうかということの別の裏づけがあれば、これは真実性は確かにありましよう。しかしながらそういうほかの日本人から聞いたことよりは真実に近いでしようね。
そしてわれわれは次の戰争が起つた場合には、スターリン戰士としてソ同盟側に参戰するというぐあいに……。
○亀澤証人 そのカルテはソ同盟側にはできております。日本側も作成しておりましたけれども、それは日本に持つて帰れませんでした。
そういうふうなソ同盟側のはつきりした発表があるのに、政府の方でこまかいところは推定もあるが、しかし大体の数字は確かなものであると主張しておるのですが、一体その点は実際にどういうふうにしてお確かめになる方法があつたのですか。
併し部屋がないものでありますので、一般の人と共に起居をしておりましたが、食糧、又は将校としての取扱い、所外作業の強要、強制して来ること、或いは所内作業の一部の援助というようなことは全部我々の要求を入れて呉れまして、気持よくソ同盟側の官憲としては待遇して呉れたことを感謝しております。その後第七分所に二日ばかり調査のため参りましたが、ここでも別に申上げることはありません。
こちらに帰つて来て見ますと、こちらの大体のいろいろの話を聞いて見ますと、ソ同盟側からの船の要求に応じてこちらが出るように、船が出るようにいつも十五六隻は待機しておるということをしばしば耳にしました。併し実際これが待機しておるかどうかという問題も、自分は知りません。見ていない。
そうすれば、何もかもはつきりすると、それで死者、犠牲者に対するソ同盟側の態度には抑留者は皆敬服していた。收容所で一名が危害事故で死んだとき、收容所長以下が、君達日本人捕慮には社会保障がない。従つて作業成果は下つてもいいから命を大切にして呉れと心配し、我々は君達を日本に無事に送り返す義務を持つておる。どうか事故を起さないように気をつけて呉れといつていた。そうして怪我に対する予防專門委員を設けた。
即ちソ同盟側でとつたかとらないか分りません。日本側では記録もいたしましたし、遺骨を持つておりましたが、全部取上げられました。
輸送業務を最も円滑にするために、ソ同盟側との意思の疏通を図つて、そうして少しも停滯のない円滑な輸送、これを行うためには、どうしてもあすこに日本人が必要であります。そうしてその任務に基いて、帰るべく集結して來た人達の中から敢然と残つてやつておるのが、ナホトカの集結地の民主グループであります。これで私が集結地においてやつておりました業務のお答えを終ります。
私がナホトカに残りましたときは、非常にナホトカの勤務者、或いはアクチィヴが不足しておりまして、ソ同盟側の方からも残る希望者があつたら残留させるようにというお話しがあつたところだつたと思います。それで私が残留を希望しましたら、私と同時に十名ばかり残留しましたけれども、それらの者が残留することを許可されたわけであります。
諸君が將來こういう不紀律なことをした場合にはもう断乎としてソ同盟側に引渡す。今回だけはまあ勘弁してやるということで、まあ長時間に亘つて吊し上げがあり、その煙草は殆んど本人の手に渡らずに他のものに分配されてしまつたことがある。