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45件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1993-04-06 第126回国会 参議院 外務委員会 第3号

暮れでしたけれども、まだソビエトの時代にソビエト大使館にもうこれは何だと。子供たちの絵とそれからミルク、そういったものを飛行場で持っていっちゃうとは何事だということで言いましたら、元日の日に大使館から電話がかかってきました。先生、安心してください、全部何一つなくさないでチェルノブイリに届けましたからというお返事だったのです。  

堂本暁子

1991-04-16 第120回国会 参議院 逓信委員会 第10号

ずっとこう来ると郵政監察局ソビエト大使館のところで何か真っ暗になっちゃう。  だから、不思議に感じることがいっぱいあるわけ。一々言いません、私。一々言わないけれども、そういうことだなと世の中の人はみんな見ているな、じゃ我々はどうするかという発想を持っていただくことをお願いして、もうこれ以上あちこちの嫌みたらたら言ってみたところで問題が解決するわけじゃない。

大森昭

1990-12-14 第120回国会 参議院 予算委員会 第2号

第二弾、それを受け入れる条件としてどういう体制が必要かといえば、それは既にソビエト大使館から外務省に行っているはずですよ。はっきり言って、中央委員会で組織をして、責任者を決めて、そして受け入れ体制は完了いたしました。もっと言いたいことは、全国民対象ということは困難であるだろうから、率直に訴えられているのは年金生活者、今大体百二十ルーブルから百五十ルーブルですよ。

対馬孝且

1986-04-23 第104回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

一九八〇年でございますが、私の友人の息子が北洋海域で拿捕されまして、早期釈放についてぜひひとつ力をかしてくれぬかということで、私はソビエト大使館に伺ったことがあります。そのとき対応してくれましたのは、ちょうど大使がいなくて、一等書記官でございましたが、私に会ったときの第一の言葉は、新村さん、日本はなぜオリンピックに参加してくれないのですか、こういうことが一番最初の問題として投げかけられてくる。

新村源雄

1985-04-22 第102回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号

それをソビエト大使館の通訳は次のように日本語に直しました。「一九七三年の共同声明に言及された訳ですが、しかし、この七三年に合意されたことは、例の、その後になって、日本アメリカがとった行動によって、その行動をとった時期までに有効だったと思います。」したがいまして、明らかに何かアブラシモフ大使が思い違いをされたか、何か的外れの発言をされたのではないか、そういう印象を禁じ得ないわけでございます。  

西山健彦

1981-05-27 第94回国会 衆議院 農林水産委員会 第17号

十六日にはアメリカ艦船によるところの可能性がある、十七日になったらソビエトの船という話が出ておりまして、ソビエト大使館の方では、よその国の艦船が被害を与えたのをソビエトになすりつけるとは何事だ、こういうことになったということを経過の中で聞いておりますので、結局ソビエトだかアメリカだかお互いになすり合いをやってアブハチ取らずという、そういう可能性もあるような感じがするわけなんであります。

松沢俊昭

1980-02-19 第91回国会 衆議院 農林水産委員会 第3号

稲富委員 では、私はもう質問を終わりますが、ただ、最後に、かつて私はソビエト大使館に行ったことがありますが、日本近海における従来の不法漁業に対しては、ソビエト既得権だと言われる。われわれ、既得権というのは、北洋漁業日本人が開拓した漁場で、これこそ既得権だ、日本人の持っておる既得権は損壊しておきながら、自分たち不法漁業するのは既得権だと言う。これも大きな矛盾があると思う。

稲富稜人

1977-06-09 第80回国会 参議院 外務委員会 第20号

政府がまずソビエト大使館に申し入れたと、そして三十七年の日ソ漁業交渉に臨んだ今度また河野農林大臣とそれから大日本水産会のいまおっしゃった高碕会長が、当時フルシチョフにまで会って、せめて零細なコンブ採取だけでも認めるようという要請をされている。その後の高碕会長経過ずっと見ますと、非常にもう零細なコンブ漁民の立場に立って、大変な熱意を込めての具体的な行動をされているわけです。

小笠原貞子

1977-04-26 第80回国会 衆議院 農林水産委員会 第22号

全部の国を歩いておりませんけれども、私の歩いた範囲で、大体その国、その国の大使館というものはよくその国のことを理解して、それぞれの国で日本の出先として親善を旨として活躍されておりますが、率直に言ってソビエト大使館は、これはアメリカに次ぐ大使館で八十名ぐらいですね。それで全部の人には会っておりません。大使に会ったのですけれども、私が行くと大使館に一晩招待してくれるのですね。

美濃政市

1976-10-07 第78回国会 衆議院 内閣委員会 第1号

大出委員 スパイ天国日本というので、当時、ローランツ事件に並んでポプロフスキー事件というのがございまして、これはソビエト大使館、すぐそば、麻布でございます。当時、私、現地を細かく調べたこともございました。この事件——警察庁事件のあったことをお認めになっている。ソビエト大使館におった駐在武官であります、それを西側が拉致しようとした事件

大出俊

1975-02-14 第75回国会 参議院 農林水産委員会 第4号

今度はソビエト大使館を通してというようなことがございましたね。新聞報道で、二月十三日の道新を見たのですけれども、日本の在ソ大使館を通したのは去年の末に初めての抗議で、そしてこの七日に二度目の抗議というようなことになっているわけですけれども、外務省としては漁業省へ直接で、在ソ大使を通してというのはこの二度だけと、こういうことになるんですか。

小笠原貞子

1973-07-27 第71回国会 衆議院 内閣委員会 第46号

実は初めて発表することでもございますが、七月一日に発足するということのときに庁舎をどこに求むべきかというようなことも、私、内々万般総理の意向もお聞きしまして準備いたしておったのでございますが、幸いにして、もとの郵政省ソビエト大使館の前にあるあの郵政省、あれが国家の庁舎でございますから、郵政当局にもお願いいたしまして、事務的に大蔵省との話し合いもついて、いわゆる新しい官庁、ことにこの大事な官庁を各ポジション

坪川信三

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