1993-04-06 第126回国会 参議院 外務委員会 第3号
暮れでしたけれども、まだソビエトの時代にソビエト大使館にもうこれは何だと。子供たちの絵とそれからミルク、そういったものを飛行場で持っていっちゃうとは何事だということで言いましたら、元日の日に大使館から電話がかかってきました。先生、安心してください、全部何一つなくさないでチェルノブイリに届けましたからというお返事だったのです。
暮れでしたけれども、まだソビエトの時代にソビエト大使館にもうこれは何だと。子供たちの絵とそれからミルク、そういったものを飛行場で持っていっちゃうとは何事だということで言いましたら、元日の日に大使館から電話がかかってきました。先生、安心してください、全部何一つなくさないでチェルノブイリに届けましたからというお返事だったのです。
ずっとこう来ると郵政監察局、ソビエト大使館のところで何か真っ暗になっちゃう。 だから、不思議に感じることがいっぱいあるわけ。一々言いません、私。一々言わないけれども、そういうことだなと世の中の人はみんな見ているな、じゃ我々はどうするかという発想を持っていただくことをお願いして、もうこれ以上あちこちの嫌みたらたら言ってみたところで問題が解決するわけじゃない。
なお、後ほどソビエト大使館を通しまして私に詳しい品目について要請をしたいと。第二に、医薬品につきましては、血圧、心臓病あるいは子供の風邪薬、固有名詞としてはペニシリンという名前も出ましたが、ぜひこれを緊急の措置としてたってお願いをしたい、こういうことでございました。
第二弾、それを受け入れる条件としてどういう体制が必要かといえば、それは既にソビエト大使館から外務省に行っているはずですよ。はっきり言って、中央委員会で組織をして、責任者を決めて、そして受け入れ体制は完了いたしました。もっと言いたいことは、全国民対象ということは困難であるだろうから、率直に訴えられているのは年金生活者、今大体百二十ルーブルから百五十ルーブルですよ。
一九八〇年でございますが、私の友人の息子が北洋海域で拿捕されまして、早期釈放についてぜひひとつ力をかしてくれぬかということで、私はソビエト大使館に伺ったことがあります。そのとき対応してくれましたのは、ちょうど大使がいなくて、一等書記官でございましたが、私に会ったときの第一の言葉は、新村さん、日本はなぜオリンピックに参加してくれないのですか、こういうことが一番最初の問題として投げかけられてくる。
それをソビエト大使館の通訳は次のように日本語に直しました。「一九七三年の共同声明に言及された訳ですが、しかし、この七三年に合意されたことは、例の、その後になって、日本とアメリカがとった行動によって、その行動をとった時期までに有効だったと思います。」したがいまして、明らかに何かアブラシモフ大使が思い違いをされたか、何か的外れの発言をされたのではないか、そういう印象を禁じ得ないわけでございます。
十六日にはアメリカ艦船によるところの可能性がある、十七日になったらソビエトの船という話が出ておりまして、ソビエト大使館の方では、よその国の艦船が被害を与えたのをソビエトになすりつけるとは何事だ、こういうことになったということを経過の中で聞いておりますので、結局ソビエトだかアメリカだかお互いになすり合いをやってアブハチ取らずという、そういう可能性もあるような感じがするわけなんであります。
先生御指摘のソ連艦による射撃訓練につきましては、翌二十二日、早速私がコマロフスキー在京ソビエト大使館参事官を招致いたしまして、事実関係の照会、もし射撃を行ったとすれば、一体どういう意図に基づいて行ったのかなとも含めました調査依頼を直ちに行ったわけでございます。
○稲富委員 では、私はもう質問を終わりますが、ただ、最後に、かつて私はソビエト大使館に行ったことがありますが、日本近海における従来の不法漁業に対しては、ソビエトは既得権だと言われる。われわれ、既得権というのは、北洋漁業は日本人が開拓した漁場で、これこそ既得権だ、日本人の持っておる既得権は損壊しておきながら、自分たちが不法漁業するのは既得権だと言う。これも大きな矛盾があると思う。
○北修二君 いまこの墓参の問題は非常にむずかしいわけでございますが、ぜひ外務省はソビエト大使館等とも話して証明書で行けるような努力をさらにお願いしたい。前回パスポートを出せと言ったからもう二度と話ししないんだということでなく、粘り強くひとつお願いをいたしたい。
決して人命軽視等々をやっておるわけではないわけでありまして、外務省としてももう執拗に在ソビエト大使館を通じて詳細報告方をソビエト政府に申し入れておるわけでありますけれども、残念ながら、いかなる事情であるかわかりませんが、ソビエト政府の方がまだ未確認であるというわけであります。
政府がまずソビエト大使館に申し入れたと、そして三十七年の日ソ漁業交渉に臨んだ今度また河野農林大臣とそれから大日本水産会のいまおっしゃった高碕会長が、当時フルシチョフにまで会って、せめて零細なコンブ採取だけでも認めるようという要請をされている。その後の高碕会長の経過ずっと見ますと、非常にもう零細なコンブ漁民の立場に立って、大変な熱意を込めての具体的な行動をされているわけです。
けさ新聞を見ておりましたら、きのうソビエト大使館でソビエトの漁業省と話し合いがついて漁獲料は要らなくなった、こういう記事を見たわけですが、そのようになったのですか。
当然訪ソをすれば日中友好平和条約の見通しについてただされるでありましょうし、すでに私どもの方にもソビエト大使館を初めソビエト側の関係の方々からも日中問題の行方に関して多大の感心を示されているわけでありますけれども、石田労相の訪ソについてお尋ねを申し上げたいと思います。
全部の国を歩いておりませんけれども、私の歩いた範囲で、大体その国、その国の大使館というものはよくその国のことを理解して、それぞれの国で日本の出先として親善を旨として活躍されておりますが、率直に言ってソビエト大使館は、これはアメリカに次ぐ大使館で八十名ぐらいですね。それで全部の人には会っておりません。大使に会ったのですけれども、私が行くと大使館に一晩招待してくれるのですね。
○大出委員 スパイ天国日本というので、当時、ローランツ事件に並んでポプロフスキー事件というのがございまして、これはソビエト大使館、すぐそば、麻布でございます。当時、私、現地を細かく調べたこともございました。この事件は——警察庁も事件のあったことをお認めになっている。ソビエト大使館におった駐在武官であります、それを西側が拉致しようとした事件。
○森中守義君 ソビエト大使館側との亡命の確認がアメリカに出発の直前に行われたようですが、この実情、内容を御説明いただきたい。
外務省もブレジネフ書記長の演説に対してソビエト大使館に抗議をなすったようでございますが、ブレジネフ書記長の演説の中における北方領土問題に対する発言について、外務大臣の御見解を少し聞かしていただきたい。また、それについてとった外務省の態度についてもお話を承れればありがたいと思います。
今度はソビエト大使館を通してというようなことがございましたね。新聞報道で、二月十三日の道新を見たのですけれども、日本の在ソ大使館を通したのは去年の末に初めての抗議で、そしてこの七日に二度目の抗議というようなことになっているわけですけれども、外務省としては漁業省へ直接で、在ソ大使を通してというのはこの二度だけと、こういうことになるんですか。
数日前私がソビエト大使館に招かれていろいろな話をしましたときにも、本国からの報道によれば昨年は非常な大豊作であった、今年もあまり異常は見られない、と、こういうお話しでありました。
実は初めて発表することでもございますが、七月一日に発足するということのときに庁舎をどこに求むべきかというようなことも、私、内々万般総理の意向もお聞きしまして準備いたしておったのでございますが、幸いにして、もとの郵政省、ソビエト大使館の前にあるあの郵政省、あれが国家の庁舎でございますから、郵政当局にもお願いいたしまして、事務的に大蔵省との話し合いもついて、いわゆる新しい官庁、ことにこの大事な官庁を各ポジション