2011-05-18 第177回国会 参議院 決算委員会 第6号
彼などの説明によりますと、御案内のとおり、このバルカン半島でございますけれども、古くからヨーロッパの火薬庫と言われまして、特にこの地域はイスラム系、セルビア系、クロアチア系という三民族から成る民族紛争の傷跡を抱えながら復興を進めている国であります。
彼などの説明によりますと、御案内のとおり、このバルカン半島でございますけれども、古くからヨーロッパの火薬庫と言われまして、特にこの地域はイスラム系、セルビア系、クロアチア系という三民族から成る民族紛争の傷跡を抱えながら復興を進めている国であります。
デイトン和平合意は、ムスリム系及びクロアチア系住民が中心のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とセルビア系住民が中心のスルプスカ共和国という、当初は軍事力も有する二つの主体による国土の分轄を認めながら、それらをボスニア・ヘルツェゴビナという一つの国家として維持した点が特徴であります。
コソボの独立をめぐっては、アルバニア系住民とセルビア系住民の武力衝突、NATOによる軍事介入を経て、国連安保理決議一二四四号が出されて、国連の暫定統治のもとで、関係各国などの仲介によるコソボ、セルビア間の地位交渉が行われてきたわけでありますが、いわばそれが不調のままに、コソボは昨年、二〇〇八年二月に独立を宣言いたしました。
例えばボスニアの例でございますけれども、ボスニア・ヘルツェゴビナでは、冷戦終結後、同国の独立をめぐってムスリム、クロアチア系及びセルビア系による非常に深刻な武力紛争が勃発をいたしました。
ところが、私どもはそれを支援はしましたけれども、それはアルバニア系の人たちがセルビア系やそれからロマと言われているジプシー、その人たちを迫害していいということじゃなかったんですが、多民族の共存という実態からほど遠いわけです。
そこではやはりセルビア系とアルバニアのお子さん方、川を挟んで、その取材をしていたNHKの方なんですが、すばらしいなと思ったのは、学校の先生方が子供に共生の道を、憎むのをやめて共生の道を一生懸命お説きになって、そして校長先生が、目の前で母親を殺されたお嬢さん、あるいは絶対苦しみを忘れないという子供たちに授業の合間を縫って一対一で対話をしております。
そこで、これはテレビでもやっておりましたが、ボスニア・ヘルツェゴビナあるいはコソボでアルバニア系とそれからセルビア系の女性が人形をつくったり織物をつくったりということで一緒に働いている、あるいは同じ市場にそれを売りに出しているとかという、そういう現場を見まして、こういう紛争が、これは起きた後なんですが、紛争が起きる前にこういう共生のプロジェクトというようなものは紛争予防の手段としてできるのかどうか、
この上に立っていたのが旧ユーゴスラビア政府でございますけれども、ミロシェビッチさん、もう既に退陣をなさいましたが、セルビア系の政府でございます。 アルバニア系の住民たちは、一九八九年にベルリンの壁が崩れたときから、自分たちの独立の可能性を探り始めました。それに対して、セルビア系のミロシェビッチ政権は、大変な弾圧を加え続けました。
アルバニア系の人に会ってもセルビア系の人に会っても話をされることは、多民族国家をつくるんだ、民主的多民族国家をつくるために努力をしているんだとおっしゃるんですけれども、実際にそれはできるだろうかと頭を抱え込むような事態であるというふうに思います。
七月の二十三日にセルビア系住民十四人が待ち伏せを受けて殺害をされる、国際部隊がアルバニア系住民三人を逮捕したという報道がありましたが、さらに三十一日にもセルビア系農民が射殺されたという報道がされております。今の現状をどういうふうに外務省は把握しているか、お話しいただきたいと思います。
もともとコソボ問題というのは、ユーゴ国内におけるセルビア系とアルバニア系の民族紛争、いわば内紛であります。もちろん、そこで非人道的な出来事があったということは、これは問題であります。しかしこれは、明朗なことは、だからといってNATO諸国が攻撃を受けたわけじゃない。にもかかわらず、NATOが空爆に踏み切った。
御承知のとおり、ボスニア・ヘルツェゴビナはまさに第一次世界大戦の勃発の地でもございますが、多民族のるつぼと言われますように、御承知でいらっしゃると思いますけれども、あそこにはセルビア系の住民、これが約三割、それからイスラム系の住民が約四割、クロアチア系の住民が約二割という形で混在をしている。