2006-12-12 第165回国会 参議院 外交防衛委員会 第9号
正に、これも何度もお答えをしておりますように、当時コソボにおきましてセルビア民族問題をめぐりまして集団殺害のような非常に悲惨な事態が行われておると、それに対してそれを阻止をするというような武力行使を安保理で決定できるかと議論が行われたわけですけれども、拒否権によってそれが頓挫をしているという事態で、そのままそのような悲惨な人道上の事態を見逃していいものかという苦渋の国際社会の決断としてそういう行動が
正に、これも何度もお答えをしておりますように、当時コソボにおきましてセルビア民族問題をめぐりまして集団殺害のような非常に悲惨な事態が行われておると、それに対してそれを阻止をするというような武力行使を安保理で決定できるかと議論が行われたわけですけれども、拒否権によってそれが頓挫をしているという事態で、そのままそのような悲惨な人道上の事態を見逃していいものかという苦渋の国際社会の決断としてそういう行動が
例えば、セルビア民族がイスラム系の人たちあるいはクロアチア系の人たちを追い出さなきゃならない。そうすると、現場におります私どもの職員は、逃げようかどうしようかという相談を受けるわけですね。 例えば、イスラム系の住民から、今爆弾を投げ込まれたり非常な危険にある、出ていけと言う、それで出ていかなければ殺されるでしょうと。
例えば、セルビア民族と言われます。セルビア人は民族というふうに言われますけれども、民族とは何であるのか。民族というのは実は学問的な概念ではありません。当事者が民族だと思うもの、つまり自意識だということが社会科学的な常識です。 では、どうしてそのような自意識が生まれたのか。自意識の根拠は歴史にあります。ですから、歴史とセルビア人であることとのかかわりを深く学んでほしい。
そして、その後は、ミロシェビッチはセルビアの民族主義を利用して、コソボの問題を利用しながらみずからの勢力、権力の基盤を維持してきたんですけれども、ミロシェビッチよりももっとセルビア民族主義的な方向を持っているシェシェリという、セルビア急進党という党があるんですけれどもその党を連立の形で組み入れ、それから最近、ことしの一月には、かつての野党勢力の一つであったセルビア民族再生運動という政党のドラシュコビッチ