1952-03-14 第13回国会 参議院 法務委員会 第13号
自分たちの息子、娘が大きくなりましたために、セツクスの問題もございますが、主に思想問題について母としてどういう立場をとればいいかということを非常に苦慮して研究会を開いております。そうしてもう何年かその研究会を続けておりますというと、結論としまして、やはり私たちもだんだん赤くなりますよと母親は言うのです。
自分たちの息子、娘が大きくなりましたために、セツクスの問題もございますが、主に思想問題について母としてどういう立場をとればいいかということを非常に苦慮して研究会を開いております。そうしてもう何年かその研究会を続けておりますというと、結論としまして、やはり私たちもだんだん赤くなりますよと母親は言うのです。
ことにアメリカあたりでは、便宜上一つ名前をあげてみますが、ロバート・W・フエースというセントールイスの大きな本屋の親父さんでありますが、この人はベスト・セラーというふうなものはどんな時代でもきまつてお客樣の興味を引くテーマは二つ、すなわちセツクスと神樣ですな、とこう言つておる。性と神樣。
ことにいわゆる三S亡國政策、スポーツに耽溺する、スクリーン・ステージにすつかり打込んでしまう、もう一つはセツクス、この三つに対してはよほど現在の國情においてわれわれは警戒をしなければならないと思いまするそれにはやはり武道精神と申しますか、あの体練と精神訓練とをあわせた行き方が一等いいように考えるのでございます。
例えば教護院に十四歳以下の者と、十四歳以上の者を一緒に入れますということは、十五、六歳前後の子供がセツクスの方面に関することで、十四歳以下の者に惡い影響を與えるというようなことが、あの当時の問題になつておつたと思つております。一例を申しますれば、そういうことでございますが、その懸念いたしました点はどういうふうに解決付いておりましようか。
極く卑近なことを申しますというと、子供の着て寢まず蒲團なんかでも、十四歳以上になりますと、教育の中で一番違つて來ることは、セツクスに対する教育でございますが、一枚の蒲團を母親が考えるときでも、それまでは柔らかい蒲團でよいけれども、もう十四歳以上中等学校程度になりますというと、蒲團の側も木綿で固いもので綿も固い蒲團を作つて著せなければならんということで、一番そこに教育のやり方も違う。
もう一つは泥棒の問題でなくて、これは先程も申しましたけれども、セツクスの教育ということから言うと一番大事な年なので、殊に家庭の子供でも中学時代になつた子供については、うつかりしておりますと、親は氣が付かずに済んでしまう。済んでしまつて事がなかつた子供については、これはもう問題はございませんけれども、隠れたところに非常に問題がある。