1960-03-11 第34回国会 参議院 予算委員会 第13号
日本側の出席者は、藤山外務大臣、津島防衛庁長官、米国側は、マッカーサー大使及び太平洋地区司令官スタンプ大将の代理としての駐日軍司令官のスミス中将でございます。委員会におきましては、米軍の撤退状況並びに施設の返還、労務需要減少の一般状況を検討されたのであります。藤山外務大臣は、特に雇用の削減について、今後とも米国側が日本の労働事情並びに労働慣行を尊重して措置するよう要望されたのでございます。
日本側の出席者は、藤山外務大臣、津島防衛庁長官、米国側は、マッカーサー大使及び太平洋地区司令官スタンプ大将の代理としての駐日軍司令官のスミス中将でございます。委員会におきましては、米軍の撤退状況並びに施設の返還、労務需要減少の一般状況を検討されたのであります。藤山外務大臣は、特に雇用の削減について、今後とも米国側が日本の労働事情並びに労働慣行を尊重して措置するよう要望されたのでございます。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 第五回の日米委員会は、昭和三十三年四月十四日私と津島防衛庁長官、米国側からマッカーサー大使及び太平洋地区総司令官スタンプ大将の代理としての、在日米軍司令官のスミス中将です。
日米安保委員会の協議に参加したのは、日本側から藤山外相と防衛庁長官、アメリカ側から太平洋軍司令官スタンプ大将、後にフェルト大将、駐日米軍司令官スミス中将、後にバーンズ中将、それにマッカーサー大使などであります。それと並行して、防衛庁と在日米軍事顧問団、自衛隊統幕部と在日米軍参謀部を初め、日米両軍の各級機関で、同種の会合が常時行なわれていたと伝えられております。
それから第五回、第五回には太平洋軍司令官は出なくて、それの代理としてのスミス中将が出席をしてここでも委員会は日本の安全保障に関連する最近の国際情勢特に極東における最近の事態に関し意見を交換した、これをやっております。
がこの日米安全保障委員会のメンバーであるということが、何かアメリカの大きな極東における戦略体制の一部に捲き込まれるのじゃないかという疑問でございますが、アメリカ側としましてははっきりしておりますように、本来この委員としてはマッカーサー大使を当てる、そうして軍事的な意味における問題に関して、その顧問としてスタンプ大将、もしくはスタンプ大将がお差しつかえある場合においては、日本に駐在しているところのスミス中将
なぜならば、これは「週間新潮」にも、それからいろいろ新聞にもあるようですが、十一月四日の、米極東空軍司令官S・キューター大将が公式に発表しておりますが、「十一月初旬、日韓、沖縄にわたる地域にて、米陸海空及び海兵隊を中心として、これに日本、韓国の空軍をも参加させる大演習を展開し」云々、それからこの演習の主体になっておる直接の責任者、在日米第五空軍司令官F・スミス中将の談話としてと、次のように発表しております