2007-02-21 第166回国会 衆議院 文部科学委員会 第2号
これは、スポーツ人類学的に言いますと、神占といいまして、相撲の原点は神占である、そして、我が国にありましては、五穀豊穣と天下太平を願って相撲をとったという神聖な、また崇高な歴史があるわけでございますけれども、どうもその相撲の内容がおかしい、こういうふうに強烈に報道されておるわけであります。そのことに対して、大臣、どのようにお考えでいらっしゃいますか。
これは、スポーツ人類学的に言いますと、神占といいまして、相撲の原点は神占である、そして、我が国にありましては、五穀豊穣と天下太平を願って相撲をとったという神聖な、また崇高な歴史があるわけでございますけれども、どうもその相撲の内容がおかしい、こういうふうに強烈に報道されておるわけであります。そのことに対して、大臣、どのようにお考えでいらっしゃいますか。
私は、かつて大学でスポーツ人類学という学問を講じておりました。人がサバンナにおりてきて生活を営み始めた。そこで狩猟採取の生活をするわけでありますけれども、まず、石を武器にして獲物を射とめる。しかし、人間には知恵がございますから、石でしとめるよりもやりを使ってしとめた方がより合理的だ。そして、やりで狩猟するようになりました。
私は、かつてスポーツ人類学を専らとした者であります。その視点から述べますと、あの質問は、男性である私が宝塚に入れろといってごねているような質問であります。男女共同参画社会基本法、この法律ができました。私はこの質問でも野中官房長官に二回質問をさせていただいたのでありますが、これは、何も我々の文化を踏みにじるための法律では決してございません。
私は、もともとスポーツ人類学という学問を専らとしておりましたけれども、古代社会の中にあって人間がなぜこの地球を支配することができるようになったのかというのは、実は、人間には、ヒトには投石本能というものがありました。ヒトしか石を投げないということであります。それによって狩猟をすることができました。
私は、スポーツ人類学という学問をかつて教壇で講じておりました。この大蔵汚職の問題が続発して思い起こしましたことは、お釈迦様は相撲をとったり馬術に親しんだり弓道に打ち込んだりしました。つまり、肉体の訓練をしたわけであります。しかしながら、悟りを開くことはできませんでした。
松浪議員は、大学生時代はアマチュアレスリングで活躍をされ、メキシコオリンピックの日本代表候補の選手にもなり、全米選手権でも優勝し、また、現役を退かれた後は指導者として私を含めたくさんの選手を指導され、それから国情の不安なアフガニスタンに赴かれて国立カブール大学で教鞭をとられ、日本に帰ってこられても引き続きスポーツ人類学という分野で活躍をされて、大学スポーツの現状も非常によく御理解しておられる方であり