1983-05-12 第98回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第3号
それから今度は大阪から南西航路ですか、フィリピンの北まで、あそこにはスビック軍港という物資の集積地がありますね。ですから、常識的に考えられるのは、日本の国民生活に必要な物資の輸送ではなくて、グアムから日本へ送る軍需物資、局長は弾薬等の護衛ができると答弁されていますけれども、できるじゃなくて、それが主ではないか。
それから今度は大阪から南西航路ですか、フィリピンの北まで、あそこにはスビック軍港という物資の集積地がありますね。ですから、常識的に考えられるのは、日本の国民生活に必要な物資の輸送ではなくて、グアムから日本へ送る軍需物資、局長は弾薬等の護衛ができると答弁されていますけれども、できるじゃなくて、それが主ではないか。
それで対馬海峡を抜けて、ベトナム沖を通ってシンガポールに行って、そこを抜けてインド洋を通って中東地域に行って、二月中旬にフィリピンのスビック軍港に戻って、フィリピンを二月の二十七日に出発して、チームスピリット83演習に参加をして佐世保へと、こういうことになっております。
そして、二十一日から二十七日、スビック軍港でも作業している。ミッドウェーの艦内でも作業したけれども、向こうのフィリピンの基地内でも作業している。そして、七月二十七日にスビックから、今度は米軍機で横田に帰国した。日本人が米軍機で帰国する、そういうケース。もっと正確に言いますと、横田に着いたのは夜の十時ごろであります。横須賀などの自宅に着いたのは二十八日未明。
あるいはルソン島の方には有名なスビック軍港もありまして、アメリカの第七艦隊の基地になっておるわけでありますし、また日本もここに百十一億の円借款で大型の造船所をつくっておるわけであります。
○前川旦君 普通言われておりますのは、ドル防衛との関連もあって、紛争予定地点にあらかじめ少数の兵力を配備しておいて、紛争が起きたらC5Aで重火器と一緒に現場へ直接送り込む、同時にスビック軍港からFDLが出ていく、それで一時押えて、あと本国からどんどん物資と兵員を運ぶ、こういうふうに変わっていくと言われているんですがね。