1980-10-13 第93回国会 参議院 予算委員会 第1号
○和田静夫君 端的に言いますが、一般論として、閣僚はジキル博士とハイドということは許されませんよ。憲法を前にして面従腹背ということは許されませんよ。公人としてと私人としての考え方がかけ離れ背反していれば、それは国民から見て納得しがたいのは当然ですよ。しかも、個々の小さな政策、レベルの問題ではありません。国政の基本原理がそうであれば、それは閣僚として適格であるとは思われない。
○和田静夫君 端的に言いますが、一般論として、閣僚はジキル博士とハイドということは許されませんよ。憲法を前にして面従腹背ということは許されませんよ。公人としてと私人としての考え方がかけ離れ背反していれば、それは国民から見て納得しがたいのは当然ですよ。しかも、個々の小さな政策、レベルの問題ではありません。国政の基本原理がそうであれば、それは閣僚として適格であるとは思われない。
そこで、あなたも御承知のとおり、ジキル博士とハイド。あなた自身もそうですし、私もそうです。善玉、悪玉、両方住んでいるわけですよ。その認識に立たないと、幾ら制度を改め、あるいは組織をつくっても、しばしばハイドが出てくるわけです。これは十分ひとつ思索をしていただきたいと思います。性善、性悪兼ね備えているのがわれわれ人であります。
総裁と総理は違うというが、ジキル博士とハイド氏とそういうふうな二面的な扱いは、政治の世界では許されません。あまり納得ができないのですが、これはさらにもっと時間をかけて機会を見てやりたいと思います。 以上です。
一体、総理としての佐藤さんと、国防会議の議長としての佐藤さんは、私から言わしめるならば、まさにジキル博士とハイドであります。そういう態度で、口で言われることと実際にやられておることが違うようでは、私は、いかにこの委員会の場で質問をし、お答えをいただいても、納得することはできないのであります。
池田内閣はなかなか道徳教育に熱心でいらっしゃいますが、それにもかかわらず、他方で公営ばくちの温存をあくまでもはかろうとなさる、これはまさにジキル博士とハイド氏の悲劇であります。政治の二重人格、これでは国民は政治を信用できません。青少年の非行、不良化がやまないのも、このような社会悪の存在を許す政治の不信に一因があると申して過言ではございますまい。