1957-09-11 第26回国会 衆議院 大蔵委員会 第49号
それであなたは、ドイツのシヤハトに敬服をされた、こういうことも承知いたしました。私どもは今回のヨーロッパの旅行におきまして、七月の四日に、当のシヤハトと大論争をしておるウイルヘルム・フォッケ、つまりドイツ連邦銀行総裁に会って参りました。
それであなたは、ドイツのシヤハトに敬服をされた、こういうことも承知いたしました。私どもは今回のヨーロッパの旅行におきまして、七月の四日に、当のシヤハトと大論争をしておるウイルヘルム・フォッケ、つまりドイツ連邦銀行総裁に会って参りました。
これについてドイツのシヤハトなんかも、労働組合の代表者を会社の重役陣に加えることはよい、それぞれの経験能力から考えて、工員の給与の問題であるとか、待遇の改善の問題であるとか、一般工員の厚生施設に関する問題等について、重役として発言をして行くことはきわめてよいことであるけれども、会社の経営に参加することはだめだと言つておるのであります。
ドツジさんのあれをやるか、あるいはこのごろやかましく言われるシヤハト氏のやり方をやる以外にないと思うのであります。今度の財政の規模を見、また大蔵大臣の話等を伺つておりますと、その積極的な手も打てそうもないことはよくわかるのであります。
御承知の通りドイツが東南アジア進出の非常な努力をしておるその状況を見ておりますというと、サウジアラビアだけに総領事館を設けて、シシリアとかレバノンとかトランスヨルダンとかイエーメンとか、こういうアラビアの主幹をなしておる国に対しては六つの公使館を設けて、そうしてエジプトのカイロに大使館を置いて、曾つてはヒットラー時代の財政経済の大家と言われておるシヤハトをエジプトのカイロ及びイランに派遣して、そうして
をきめて行くというようなことに——まあ、官庁の職員でございますと、納税でございますとか、それからまた一般企業でございますと、経済的に非常によくならなければやつて行けない、こういうことでございますから、とにかく国内において雇用のたくさんできるようにいろいろなことをやり、同時にそれが日本全体の自立経済の基礎になつて行くように、いろいろな事業を興して行きたいと考えているわけでありまして、第一次大戦後にシヤハト
どうも国が非常に困難になりますと、大家を呼んでその大家の意見を聞こうという気分になると見えまして、インドネシアや中東における小国は、ドイツの経済を建て直したシヤハトを呼んで、その意見を聞いたということであります。
○小笠原国務大臣 小山さんが言われた、シヤハトのいわゆる一にも働け、二にも働け、三にも働け、これはわれわれ日本人、特に戦後やや勤労の心が鈍つているのではないかと思われる日本人にとつて、最も大切な教訓だと思います。
(拍手) 第一次欧州大戰後のドイツにおいて、例のシヤハトが金融の引締めによつて成功したことは周知の事実でありますが、政府におかれても、今日までのところ、あたかもシヤハトの故智にならつてこれを実行せんとするもののごとくであります。しかし日本の現状は、当時のドイツの場合と実は根本的に事情を異にするものがあるのであります。