1986-10-29 第107回国会 衆議院 外務委員会 第3号
いわゆる密約説でございますけれども、その後八月十日のブルガーニン首相、シェピーロフ外相、フルシチョフ第一書記と重光氏との会談の会見録の詳細というものは外務省に存在する、このように新聞報道にはあるわけでございます。 これは北方領土問題について極めて重要な問題ではないかと思うわけでありますけれども、そこで、この河野・ブルガーニン密約説の事実関係について御説明願えたらお願いしたいと思います。
いわゆる密約説でございますけれども、その後八月十日のブルガーニン首相、シェピーロフ外相、フルシチョフ第一書記と重光氏との会談の会見録の詳細というものは外務省に存在する、このように新聞報道にはあるわけでございます。 これは北方領土問題について極めて重要な問題ではないかと思うわけでありますけれども、そこで、この河野・ブルガーニン密約説の事実関係について御説明願えたらお願いしたいと思います。
その点を非常にはっきり打ち出しましたのが、私の記憶に間違いがなければ一九五六年七月三十一日の重光外務大臣とシェピーロフ・ソ連外相との間の日ソ会談の席上でのステートメントではなかったかと思われますが、五六年以降今日まで日本政府が公式に言っていることを聞いておりますと、それを一歩も出ないと申しますか、全く同じことを、ずっと一貫して解釈態度を維持し続けている。
これが当時の日本政府を代表して鳩山、河野、松本三氏によって署名され、ソヴィエト側からはブルガーニン、シェピーロフの二人によって署名されている。
よほどくやしかったとみえて、シェピーロフ外相と会ったときどうなんだと聞いたら、いや河野君は歯舞、色丹でさようならという案に対して、これは最も現実的で理解し得る、かつ受諾し穫るものであると言った。そのあとに、重光さん御希望ならば見せてもいいとこう言われたが、いくじがないからさわらないでこれはきてしまった。こういう経過であります。もし、これが生きているとすれは、ちょうど魚と同じように、重光さんは……。
マレンコフ、カガノヴィッチ、モロトフ、シェピーロフ等の追放が行われました。最近になりますと、またジューコフ元帥の追放が世界的に宣伝されております。これによって見ると、ソ連の国内における政情には幾多の不安の要因があるようでありますが、それにもかかわらず、さきには大陸間弾道兵器の成功が報ぜられ、引き続いて人工衛星の第一号、第二号の打ち上げに成功して、世界の科学界を驚倒せしめておるのであります。
しかるに日ソ国交交渉の第二次モスクワ会談におきましては、当時のシェピーロフ全権が、日本側の全権に行いました提案によりましても、ソ連といたしましては、今後膨大な対日需要を考慮していることが明らかになりました。かつ昨年春のソ連共産党第二十回党大会におきまして決定された東部ソ連、すなわちシベリア、極東沿海州地方の開発によりまして、両国間の取引の増大にも大きな期待がかけられておるという状況でございます。
○大谷贇雄君 この日ソ貿易につきましては、先般重光・シェピーロフ会談の際にも、また鳩山首相が行かれまして、ブルガーニンに会われました際に、この五カ年計画によって今後五カ年間に十億ルーブルに拡大をするというようなことで、鳩山首相もそれに関しては非常に期待を持っておるというようなことでございますが、しかしながら、これはこの三十数社の従来の日ソ貿易をやっておる人たちは必ずしも夢じゃないというようなことがあるかと
これは重光君も、日にちは忘れましたけれども、シェピーロフ外相が、これはもう国後、択捉はこっちに返さぬ、もし今のような日米安全保障条約等があれば、これはソ連としてもこれを基地に使われたのでは困る、これは常識でわかることであります。でありますから、少くとも今日の日米関係が存在する限りにおきましては、ソ連は国後、択捉を返すわけはないのであります。これは常識であります。
そしてシェピーロフ外相は、国交回復後の五年目には十億ルーブル、約二億五千万ドルの取引ができる貿易計画を提示してきました。しかるに、わが方はこれに対して何らの熱意も示さず、ほとんどこれを無視し、あまつさえこれが何らかの陰謀を含むものであるかのごとき誹謗さえ放たれたと伝えられます。ここに至っては、政府の無知愚昧のほどには、はかり知れざるものを感じます。
それで先方はその点について考究するということで、一たん表示を留保いたしましたが、シェピーロフ外務大臣並びにブルガーニン総理大臣と相談をいたしました結果、これを公表するに異議はないと申して参りました。従いまして私といたしましては、この文書の効力は今日もなおそのまま継続しておるものと思っております。
すなわち電光外務大臣が松本全権とともにモスクワにおもむかれ、シェピーロフとの間に交渉され、そして非常に日本の領土に関する主張の根拠のあることについて十分なる見解を述べられたのでありまするが、しかし不幸にしてソ連としては依然として歯舞、色丹以外の領土については、ただ単に日本にその放棄を認めさせるだけでなく、ソ連の領土になっておることを条約によって明らかにしろという、こういう態度であった。
そうしますと、ここで業者を誤まらせるような、中共貿易は片づかないけれども、今度のソ連は大丈夫だということで、二億五千万ドルであるとか、あるいは七千六百万ドル、直ちに来年から始めるような計画を立ててみましても、昨年までの日ソ貿易というものは、数字を申し上げるまでもなく非常に少いので、さようなことはできるはずはないのでありまして、非常に誤まりを起すのでありますが、石橋通産大臣は、この日ソ貿易というものは、シェピーロフ
無理があるということでありますが、私はそういうことと関連するのではないかと思いますのは、先般鳩山総理大臣がわれわれの批判を押し切って訪ソせられる際に、石橋通産大臣にも経済大臣として同行しろ、ことに相手方のシェピーロフ外務大臣は十億ルーブルの貿易計画を持ち出してきているから、これにす対るに、石橋通産大臣にぜひ行けというようなお勧めがあったのを、石橋大臣が断わられたということは、そんなわけにいかないということ
第一点にお尋ねいたしたいのは、この前北澤君から問題になって、ブルガーニン・河野会談、フルシチョフ・河野会談等々において、領土問題について、河野全権が、ソビエト側に対して、歯舞、色丹以外は放棄してもよいというよろなことを確約を与えたかのごとき事実が、シェピーロフ外務大臣を通じてあなたに報告があった。それを総務会で報告をした。それをあなたは否定されました。
にもかかわらず、北澤君が言われるのには、河野ブルガーニン会談で、河野が択捉、国後を放棄してもいいのだということを言ったということを、シェピーロフが重光外務大臣に話したのだ、それでわかったのだ、証言はここにあるのだ、しかもわれわれは確たる材料を握っていると言われた。私は、このことの政治的責任を追及するのではない。
○松本全権委員 昨日重光外務大臣が言われましたように、問題の重光シェピーロフ会談の際には、私は立ち会っておりました。その際、ブルガーニン・河野会談の内容について北澤君が言われましたようなことは、陶きました覚えは私は全然ございません。
私が報告をしたことは、モスクワにおいて私が交渉をした正式の交渉は四、五回した、その第一回にも第二回にもその他の機会においても、ソ連側は、シェピーロフ外務大臣の口からソ連側の領土問題に対する主張をはっきりとしかも強硬に主張をしたのであります、その主張は日本側には十分わかっておるはずだ、日本側の議員団の行ったときにもそれを説明しておる、漁業交渉のときに河野農林大臣もよく説明しておるからわかっておるはずだ
外務大臣は、ロンドンにおきましてシェピーロフ・ソ連外務大臣との会見の際、河野・ブルガーニン会談の内容について外務大臣はこれを確かめたわけでありますが、一つこの際、これは非常に重大な問題でありますので、外務大臣からシェピーロフ外務大臣との会見の内容についてお伺いをしたいと思います。
○北澤委員 重光外務大臣が、シェピーロフに対しまして、日本政府の態度としてそういうことは承認しておらぬということをお述べになったことは、これは私どもも報告を聞いておりますが、ただ問題は、日本政府の代表として行かれた農林大臣が、しかも日本の鳩山内閣の実力者として見られておる河野農林大臣がどう言ったかということは、非常に重大な意味を持つのであります。
重光外務大臣は、ロンドンで、シェピーロフ・ソ連外務大臣に対してこの点について確めたということなんだが、外務大臣が確めた結果によると、そういうことがあったのかどうか、こういう問に対して、外務大臣は、河野農林大臣は、ブルガーニンに対しましてソ連の領土の主張に対して了承を与えたように自分は聞いている、こういうふうな答弁があったのであります。
その内容について重光外務大臣がロンドンでシェピーロフに確かめたときに——シェピーロフの話の内容につきましては、私は確実な情報を持っておるわけであります。名前を出すことはいろいろ差しつかえますから出しませんけれども、当時の漁業交渉の際の河野さんとブルガーニン会談の内容につきましては、これは現に重光大臣も総務会でそういう答弁をしておるのであります。
○松本(七)委員 それから、これも会談内容にはなりますが、重光さんがシェピーロフ外相と会談されたと遂に、そして、平和条約締結を決意されたときに、外務大臣としては、樺太、千島のソ連領有を認めても、サンフランシスコ条約には抵触しない、こうい考えを持っておられたよに伝えられている。その点の確認ですね。ところが、ロンドンに行かれてダレスに会われたときに、ダレスがこの点に異議を申し出た。
しかしながら、十九日の最後の調印のときに至りましては、ブルガーニン首相と、新たに加わりましたシェピーロフ氏と、ただ二人でございます。これは当時その参加をせられておりましたフルシチョフその他の人々が、ポーランド並びにハンガリーの動揺対策のために急遽出向いて行ったことでございます。
最初シェピーロフ外務大臣から年間十億ルーブルを目標とする貿易計画の提案があったにかかわらず、重光全権は聞き流しにされまして、これに何ら熱意を示さず、その後今日まで一言の話し合いもしておられません。次に鳩山全権の行かれたときも、ほぼ同様な態度をとられたのでございます。
モスクワでは、シェピーロフ外相が十億ルーブルの貿易を大いにやろうと言ったのに、こちらから通商航海議定書にわざわざココムの制限条項を入れ、貿易を積極的にやろうとする態度をとらなかったことの釈明と、あわせて、この制限を取り除くつもりがあるかどうか、御答弁を願います。 第四に、重光外相は、エジプト並びにハンガリーの民族に大いに同情すると言われました。
(拍手) 日ソ間の貿易についてもお話がありましたが、ソ連側は、いわゆるシェピーロフ構想等、ある種の案を考えておるようでありますが、その具体的内容については、いまだ不明確であります。わが方としては、合理的な貿易発展の線に沿う自主的見地かち、実際的な見通しについて目下検討中であります。
〔臼井委員長代理退席、逢澤委員長代理着席〕 しかしながら、先方の回答は、ロンドンその他においてなされたところと大同小異でございまして、ただ今回違うところは、シェピーロフ外務大臣は、重光全権に対しまして、この消息不明者その他の調査は非常に困難でございます。戦後非常に困難がございました、困難ではございますけれども、お話はよく分ります。
この問題はシェピーロフが申しましたごとく、先方は非常に困難を押して調査をする、こう申しているわけでございますけれども、私は事実の問題として、すぐわれわれの希望する回答が得られるかどうかということは、私自身としては非常に疑問に思っております。
ただ、実際問題としまして、抑留邦人のうちに、いわゆるマリク・リストに載って、それをすぐソ連から帰し得る状態にある者、またシェピーロフがしばしば言明したごとく、調査はするけれども、現在ソ連側においては、どこにいるかわからない、つまり一万一千百七十七名という数字と、二種類あるのであります。われわれとしては、抑留邦人の送還というときには、区別する考えは毛頭ございません。
コミュニケ以外に重光外務大臣の演説だけは発表して、シェピーロフ外務大臣の演説は発表しないということは、これは国民感情をこういう形で指導しようとした、いわゆる新手の言論の国家統制です。こういう手を使いつつあるということと、あなた自身は、どういう事情によって重光外務大臣の演説だけを発表したか。コミュニケ以外を発表するというのは、これは日ソ交渉の過程において、ソビエトに対しての不信行為であります。
それでは一体具体的に領土の問題で、ソ連で従来シェピーロフが述べ、あるいはブルガーニンが述べたところ以上に日本側に有利に譲歩する余地があるとお考えになるか、一つあなたの御見解をお聞きいたしたい。交渉の余地が一般にあるかどうか、特に領土問題についてはシェピーロフ外相、ブルガーニン首相が今まで公けに言ったところよりもっと日本に向って譲歩する、そういう可能性があるかどうか、あなたの御見解を聞きたい。
○高碕国務大臣 私はごく短期間外務大臣を代理させていただいておりますが、私の外交交渉に対する考えを率直に言わしていただきますれば、どうもえてすると、ダレスさんはこう言ったとか、あるいはソ連のシェピーロフはどう言ったとかいうことにつきましては、御本人が言っておることを通訳する人の主観によっていろいろ解釈される、こういうことによって両国の間に誤解が起ることがたくさんあるということを、身をもってしみじみと