2003-07-10 第156回国会 参議院 外交防衛委員会 第15号
私は、日本カンボジア友好協会という、余り御存じないかもしれませんが、小さな組織、佐々木更三さんがシアヌーク国王との間で作られて、両方にできておりますが、現在私はその理事長というのをやっておりますので、カンボジアへ何回も行っております。
私は、日本カンボジア友好協会という、余り御存じないかもしれませんが、小さな組織、佐々木更三さんがシアヌーク国王との間で作られて、両方にできておりますが、現在私はその理事長というのをやっておりますので、カンボジアへ何回も行っております。
○福島啓史郎君 今のお答えに関連して、暫定政権といいますか暫定措置として、ザヒル・シャー元国王を中心に北部同盟とそれからタリバン穏健派、これでもって暫定政権を構成するという構想があるやにいろいろ新聞報道あるいはCNN等で出ているわけでございますが、カンボジアのシアヌーク国王の場合と比べてザヒル・シャー国王にそれだけのアフガン国民の求心力があるのかどうか、その点は現地におられてどうでしょうか。
そのときに日本が、いや、それはだめだ、シアヌーク国王の意見を聞いても武力は使わないでくれと言っている、だから武力は使わないで話し合いであくまで解決するんだといって頑張って、日本が頑張ったがためにカンボジアでは結局武力を使わないで和平が達成されたんです。
私ごとですけれども、三十年ほど前に社会党の佐々木更三さんがつくられた日本カンボジア友好協会、シアヌーク国王との間でつくられたものですが、実は私はその三代目の責任者を今やっておりますので特に関心があるんですが、今カンボジアではCMACという組織、これは国連の組織ですが、これが地雷除去の作業をやっております。
○藤田(幸)委員 実はいろいろそれに対してカンボジア政府の方から、言葉の面では保証するとか、あるいはラナリット殿下に関しては、仮に裁判で有罪になっても、シアヌーク国王からの恩赦による形での選挙参加という方法があるというようなお話があったというふうにも伺っております。
PKOが終了いたしました後のカンボジアにおきましては、御案内のとおり、シアヌーク国王の指導のもとで各派が連立して新政府をつくったわけでございますが、これらの諸勢力、諸政治勢力が一致して新しいカンボジアの国づくりに努力をしているところでございます。
シアヌーク国王を中心に国民和解努力が行われておりますが、シアヌーク国王の北京における療養が長引く見込みであること、ポル・ポト派が同派の支配地域の解放等に応じる構えがないこと等から、新しいカンボジア政府とポル・ポト派との話し合い実現の見通しは立っておりません。
それが終戦の年の三月九日、十日の事件でございまして、当時、安南王国はバオダイ国王のもとに、またカンボジア王国はシアヌーク国王——いまの元首でございます。そのもとに独立をし、さらにラオスは、当時ルアン・プラバンの国王でありましたいまのバッタナ国王のおとうさん、その人を国王としてラオス王国を新しく独立させたわけでございます。