1990-04-17 第118回国会 参議院 外務委員会 第2号
それで、我々も最後の都会からの移民ということでサントス丸という船でブラジルに渡りまして、とにかく行けども行けども砂漠と赤土の中を走りまして、着いたところがファゼンザスイサという大変奥地のコーヒー園でしたが、五十年ぐらいたったもう本当に古木というか、もう枯れ枝ばかりの実は余りついてないという非常にひどいコーヒー園でしたが、それでも着いた日からあのコーヒーの実をしごきまして、コーヒーをとりまして収穫をする
それで、我々も最後の都会からの移民ということでサントス丸という船でブラジルに渡りまして、とにかく行けども行けども砂漠と赤土の中を走りまして、着いたところがファゼンザスイサという大変奥地のコーヒー園でしたが、五十年ぐらいたったもう本当に古木というか、もう枯れ枝ばかりの実は余りついてないという非常にひどいコーヒー園でしたが、それでも着いた日からあのコーヒーの実をしごきまして、コーヒーをとりまして収穫をする
それから、今度大体三百四、五十家族帰って、あと三、四月に三百世帯くらい帰ると聞いておりますが、十二月二十一日に帰ってきた人たちは——サントス丸でしたかね、帰ってきた人たちですが、これがロスアンゼルスやその辺の在留邦人から衣料その他を援助してもらって、それですっかり服装その他の装備を改めて帰ってきているわけですね。ということは、惨たんたる格好でアメリカへ寄港してしまったのです。
さしあたつて来年度におきましては、このうちの三百七十家族ほど渡航せしめる予定でありまして、そのうちの第一回分といたしましては、本年の十二月二十九日大阪商船のサントス丸で十八家族、五十四名の送出を見る予定になつております。さらにパラグアイの農業移民、これも約百二十家族の許可を得ております。
大阪商船のサントス丸で送り出すことになつておりますし、パラグアイの移民も近く具体化の運びになつております。そこで政府といたしましてもこれら移住希望者が相手国の要求するような健康と、それから相手国の要求するような條件を具備しておるということを見定める必要があります。またこれのあつせんをする必要もございます。