1997-04-02 第140回国会 衆議院 外務委員会 第7号
○加藤(良)政府委員 今御指摘になられました九一年十一月でございますか、のキュー・サムファンの事件、九五年十月のソン・サン派分裂の際の事件、それから今回、いずれも事件の予告ないし予兆みたいなものが政府の関係者によってなされて、現実に事件が発生した、こういう御指摘でございますが、今回の場合もまだ犯人がだれであるかということがわかっていない。
○加藤(良)政府委員 今御指摘になられました九一年十一月でございますか、のキュー・サムファンの事件、九五年十月のソン・サン派分裂の際の事件、それから今回、いずれも事件の予告ないし予兆みたいなものが政府の関係者によってなされて、現実に事件が発生した、こういう御指摘でございますが、今回の場合もまだ犯人がだれであるかということがわかっていない。
思い返しますと、例えば、九一年十一月でしょうか、いわゆるポル・ポト派のキュー・サムファンという指導者がプノンペンに戻る直前に、やはりプノンペン側が、キュー・サムファンがプノンペンに戻ってくれば、これは治安状態が、安全が保証できないというような言い方をしていて、実際にキュー・サムファンがプノンペンのど真ん中で攻撃をされた。
また、御承知のことだと思いますけれども、SNCに参加をしておりますキュー・サムファン、これはポル・ポト派の議長と言われておりますが、キュー・サムファン氏は、日本のPKO参加を歓迎する旨の発言をしていることも事実でございます。
しかし、この三つの条件のうち、特に二つの条件につきましては、国際社会は、もしそれがパリ協定の枠内で解決できるのであれば妥協点があり得るのではないかということで全力を挙げて対処したわけでございまして、その間に、日本もタイと一緒になりましてポル・ポト派のキュー・サムファン議長と会談を行いました。私も四回のうち三回に参加いたしました。
しかしながら、ことしの一月の二十八日に北京でポル・ポト派のキュー・サムファン議長も入れました会合を開きましたときに、選挙をいつ行うかという議論をしております。そのときに、選挙を五月の二十三日から行うという決定を行っているわけでありまして、キュー・サムファン議長、この場に出ておりましたけれども、それは反対しませんでした。
そして、そこにはシアヌーク殿下、そしてポル・ポト派のキュー・サムファン議長も出席をして、和平のテーブルに四派が着いたという歴史的な一歩であったわけでございます。その後、和平会議の舞台はパリへ移りましたけれども、日本は引き続き積極的にパリ和平会議にも参加をして、一昨年の十月和平合意が成立を見ました。
そういう意味から、日本政府が承認している派との関係でございますから、私自身はポル・ポト派のキュー・サムファン議長とは、個別にもあるいは国際会議の場でも何度か会って話をしたことはございます。 その後、今回のこの我が方からの要員の派遣等をめぐりまして、ポル・ポト派が停戦の第二段階に入らないのではないかということが言われ始めたのが去年の夏ごろからでございます。
アジア局長は、ポル・ポト派のキュー・サムファン氏と会ったことがあると言われておりますけれども、そのときにどのようなお話をされたのか、この際明らかにしていただきたいと思います。
これは、キュー・サムファン勢力の情報によりましても、選挙が強引に実施されれば攻撃態勢をとる、内戦状態が起こるという声明がもう既になされておる。こういうなにから見ますと、選挙自身が目的なのか、カンボジアに真の和平を実現することが目的なのか、私は、手段と目的を混同しておるような気がするわけですが、どうでしょうか。
五月十四日、ポル・ポト派のキュー・サムファン議長が声明を発表しました。時間がないのでそのすべてを引用することはできませんけれども、選挙を否定し、それと対抗する、その立場を鮮明にした声明になっています。同時に、最後にこう言っています。
これに符合するように、ポル・ポト派のキュー・サムファン議長は、十四日ラジオ放送で、「UNTACが不公正な選挙を強行すれば、再び戦火がもたらされるだろう」、「タケオにベトナムが侵略を続けている」と演説し、武力対決、しかも自衛隊施設部隊や日本の選挙監視要員の集中するタケオもその対象にすることを示唆し、公言しています。 総理、これは新たな一層の武力紛争エスカレートの重大な情勢変化を示すものです。
日曜日も午前中ちょっとテレビ見たんですけれども、キュー・サムファンがインタビューを受けているのに何を言っているのかわからない。結構重要なことを言っているんだろうと思うんですね。 そういうことで、この法律の趣旨もそうなんですけれども、ニュースというと時間との闘いでもあるわけです。
これまどこで言っているかといいますと、一九九三年三月九日にキュー・サムファン民主カンボジア議長、これはSNCのメノバーなのですが、声明を出しているわけです、なぜこういう方向で我々は行くのかということを。 そこで、時間がないからあわせて申し上げておきますが、カンボジアの人口というのは幾らあって有権者は幾らなのですか、後で答えていただきたいのです。
その際、ポル・ポト派のキュー・サムファン議長も出席をしておりましたが、これについての反対の意思はございませんでした。 他方、有権者の登録は四百七十万人にも及んでおりますから、カンボジア国民が自主的にこの選挙に参加する積極的な意思を持っておることは明らかと思います。また、ポル・ポト派にも平等に選挙参加の機会が与えられております。
いみじくも最近ポル・ポト派のキュー・サムファン議長は、総選挙は平和と安全が保障されない形で実施されるだろうと、暗に武力行使も含めた選挙妨害の可能性を示唆しています。まことに険悪な中で行われる総選挙後の混乱が憂慮されてなりません。
第一は、ポル・ポト派のキュー・サムファン議長が、この選挙は流血の選挙になるだろうと述べるとともに、カンボジアの新聞インタビューでは、私が西側諸国と言うときは日本も含んでいると述べ、日本に対する襲撃も示唆しています。全面戦争ではないから被害者が出ても撤収はしないという従来の見地を直ちに改めるべきではありませんか。
ただ、一つ補足するとすれば、四月十三日、キュー・サムファン・ポルポト派の議長はプノンペンを退去して、同派の事務所も閉鎖した、こういうことがいろいろ言われましたけれども、シアヌーク殿下あてに出した書簡の中で、あくまでも今回の退去は暫定的なもので、パリ和平協定は今後とも堅持するとその書簡に書いておられるということがはっきりしておりますし、また、四月十七日には、同派のスポークスマンが再度、パリ和平協定の遵守
その中では、日本もタイと一緒になって、去年の夏から秋にかけまして四回にわたってキュー・サムファン代表と話し合いを行いまして、武装解除の条件は何か、つまり停戦第二段階に入る条件は何かということをぎりぎりまで話し合ったわけでございますけれども、結局その話し合いはうまくいかなかったわけでございまして、その根拠になっておりますのがいわゆるベトナム兵の存在でございます。
つまり、ことしの一月二十八日に北京で行われましたSNCの会合では、これはポル・ポト派のキュー・サムファン代表も出席しておりましたけれども、選挙を五月の二十三日から行うということについて反対はいたしておりません。そして、このSNCの決定を受けて国連において安保理決議が出されたということでございます。したがいまして、そういった意味で国際的合意が存在しております。
○土井委員 今それでもなおかつ選挙は行われるという、結論からいえばそういう御答弁なのですが、四月四日のカンボジア最高国民評議会、あのSNCの会合で確かにポル・ポト派のキュー・サムファン議長は、総選挙は安全な状態では実施されないだろうということを宣言しております。選挙に対して、私たちは参加しない、意思表示と同時に、安全な状態では実施されないだろうということを言われている。
先日来そのポル・ポト派は、中田さん殺害事件を初めとして、規模の大きな攻撃をしかけてきたりとか、それからキュー・サムファンがSNCから出てしまって戻らないと発言したり、またUNTAC軍事部門の会議、各地域の混合軍事件業部会からもポル・ポト派は抜けると発言して実際連絡将校を引き揚げてしまう、こういう事態が起こっていて、ですから停戦協定を協議する場も失われてしまっているわけですね。
○田英夫君 実は私も同感なのでありまして、放送の内容は、日本がベトナムに対して支援を強化している、経団連の代表団が行かれたりあるいはベトナムの首相が訪日して宮澤総理と支援の約束を取りつけたとか、そのことを挙げて日本がベトナムを支援することは我々にとってはこれは敵対行為であるという言い方でありますから、いささかキュー・サムファン氏などが従来言っていたことと違っているという印象はあります。
キュー・サムファン議長が八日の日に述べている内容でいえば、今度の選挙は流血の選挙になるだろうと言われているのです。それで、もしかこれで血が流れるような事態になってから、ああ遅かったでは困るのですね。破壊というのはぼかっとある日突如としてという形であらわれますけれども、しかしそれは積み重ねられた上での事態なのです。
○政府委員(澁谷治彦君) これはUNTACのスポークスマンが、明石代表がキュー・サムファン議長に対してポル・ポト派が事件にかかわっているかもしれないという表現で発言されたというぐあいに説明いたしております。本当にそうであったかどうか、私どもは確認いたしておりません。
例えば、キュー・サムファン議長が四月八日の香港の週刊誌に、「この選挙は流血の選挙になるだろう」と書いておるし、あるいはまたプノンペン・ポストというカンボジアの週刊紙には、五月の総選挙は同派の排除をねらった西側諸国の陰謀であると指摘、私が西側諸国と言うときは日本も含んでいると、日本が攻撃の対象になることも示唆しているという事態の中で、プノンペンからキュー・サムファンが引き揚げていく。
○柳井政府委員 ただいま官房長官から御答弁ございましたとおりでございまして、プノンペン事務所は引き揚げたけれどもSNCにはとどまると、また、プノンペンでの開催でなく、ほかの安全な場所における開催であればSNCには今後とも出席するということを先週の土曜日に、キュー・サムファンと申しますかポル・ポト派のスポークスマンが述べておるわけでございます。
○河野国務大臣 キュー・サムファン議長がプノンペンから引き揚げられたということは私どもも承知をいたしております。しかし、この際キュー・サムファン議長は、現在のプノンペンでは自分の安全が心配だ、それが引き揚げる理由の一つであるということを言っておられるようでございます。
○池田政府委員 ただいまの先生の御指摘にございましたポル・ポト派の事務所の閉鎖の件でございますが、これはキュー・サムファン代表からシアヌーク殿下にあてました書簡によりますと、とりあえず閉鎖するということを言っております。そして、その後のSNCの会合に出るかどうかということについては、もちろん全然言及をしておりません。
○古堅委員 先ほどもありましたが、ポル・ポト派はプノンペン市内に置いていた事務所を引き払い、キュー・サムファン議長も既に引き揚げる事態となりました。これまで政府は繰り返し、ポル・ポト派もSNCに参加しておるのでパリ和平協定の基本的枠組みが維持されているのだ、その基本はそこにあるのだというふうなことを言ってきました。しかし、SNCに参加しない、そういう実態になってきた。
○東(祥)委員 シアヌーク殿下にキュー・サムファン大統領が書簡を出したと聞いております。その事務所閉鎖等に関してだと思うのですが、そのときにはSNCから脱退するということは表明しているのですか。事務所閉鎖ということによってSNCから脱退したというふうにはとらえておらないのですか。
○松浦(利)委員 ポル・ポト派が完全に拒否して、しかも銃口が、現実に中田さんというとうとい犠牲者も出てきて、先ほど言いましたように週刊紙にも、西欧という中には日本も含めるんだ、攻撃対象をはっきり日本ということまでサムファン議長は論文を出しておいて、そしてこれがパリ協定で言う中立的環境下においての選挙というふうに言えますか。
○松浦(利)委員 外務省は、サムファン議長がプノンペン・ポスト紙、週刊紙ですね、これに、私が西欧と言うときには日本を含んでいるんですよということを言ったことが書いてあるはずですよ。それも調べておられないのですか。すぐ調べてみてください。後刻そのことについて報告してください。そういうことが書いてあったかどうか、確認をしてください。どうですか。
○松浦(利)委員 プノンペンの週刊紙ですか、プノンペン・ポストという週刊紙にポル・ポト派のサムファン議長が投書をしておりまして、私が西欧と言うのには日本を含んでいるんだ、こういうことを論文として出しておられる。 ポル・ポト派は日本の、UNTAC要員についても攻撃の対象にしておるということについては、把握しておられますか。
この問題が偶発的あるいは単発的な問題として今の局面を迎えているのではなくて、言うところのポル・ポト派が一番肝心な選挙をボイコットする、これは公式にキュー・サムファン議長が態度表明をしておりますし、その中から予見されるものは、あってはならぬのですけれども、UNTAC自身がこの攻撃のターゲットにされるのじゃないか。
キュー・サムファン氏もこの点に触れておりまして、今、北京にずっと行ったきりの状態のシアヌークさんですが、これ自体一種の意思表示だろうと見ていいのじゃないでしょうか。
またキュー・サムファン氏の言い方を加えて話をしたいと思いますが、彼はこういうことを選挙について言っています。選挙を形式的に強行するかどうかはUNTACの決断にかかっている。しかし、自分が知る限りでは実際上はとても選挙を実施することはできないと思うと。
去る十二日、先々週の金曜ですか、バンコクでいわゆるポル・ポト派、正確には民主カンボジアと自分たちは言っておりますが、民主カンボジアのキュー・サムファン議長と会談をいたしましたので、その彼の言葉と突き合わせながら伺っていきたいと思います。 今のアジア局長のお話ですと大変楽観的でありますが、キュー・サムファン氏の考えを聞いたところによるとそうではないという印象を持っております。