1975-06-17 第75回国会 参議院 社会労働委員会 第18号
古い国会議員の方々は御存じでございましょうが、当時一つの法律を制定するのにもマッカーサー司令部のオーケーがなければどうしようもございませんでしたが、たまたま昭和二十三年の末にサムス准将が、当時の占領軍司令部の中の厚生関係を担当しておりましたサムスさんが広島においでになりまして、市会議長室で私といろいろと話し合いをいたしました。
古い国会議員の方々は御存じでございましょうが、当時一つの法律を制定するのにもマッカーサー司令部のオーケーがなければどうしようもございませんでしたが、たまたま昭和二十三年の末にサムス准将が、当時の占領軍司令部の中の厚生関係を担当しておりましたサムスさんが広島においでになりまして、市会議長室で私といろいろと話し合いをいたしました。
○柳沢説明員 私の研究所は、先ほど申しました昭和二十二年、占領時代に、サムス准将という衛生福祉部の部長をやっておられた方が厚生省に、アメリカのナショナル・インスティチュート・オブ・ヘルス、NIHといっておりますが、そういうものをひとつ厚生省の直轄下に置くべきであるというような話からスタートが切られたのでありますが、そのナショナル・インスティチュート・オブ・ヘルスというのは、ヘルスについてのナショナル・インポータンス
したがって、ぜひその中学校を建てるだけの敷地を十分お使いになってもいいけれども、現在の郵政省の函南病院は保全をしてもらいたいということを話をし、なおGHQのサムス准将はじめ幹部の諸君にも再三私など足を運んで、これはやっと確保できたのであります。
かつてマッカーサー司令部の環境衛生担当官であったサムス准将が、日本の医者は薬屋だ、歯医者は金細工屋、薬屋は雑貨商であると、日本の医薬業界を批評しておりましたが、まさにそのとおりであります。この汚名返上のため、終戦後二十二年政府はどのような対策をとってきたか併せてお答え願いたいと思います。
私が言わなくても皆さん御承知のとおりに、終戦直後、マッカーサーが占領政策をしているときに、サムス准将という人が保健衛生担当官でいたと思いますが、そのサムス准将でさえも、日本のお医者は薬屋だと言っております。薬を売ってもうけている。これは私が言うんじゃありません、サムス准将がそういうことを言っている。
そうすると、特に薬剤師を中心にものを考える場合には、調剤技術料というものは、昔サムス准将が、薬剤師はクマのいを売ってはいかぬというので、特に調剤技術料を〇・九五つけておるのです。〇・九、〇・八、〇・九五と、全部違うわけです。こういうように違う場合に、これは当然、調剤技術料というのは全部動かすことになるわけでしょう。薬剤師だけが動かぬことになるのですか。
これは当時サムス准将の、医者は薬を売ってその利益で飯を食っておる、歯医者は金を売って飯を食っておる、こういうことは不合理であるから、技術というものとその対価の報酬というものははっきり区別をしなければいかぬという建前から出発しているものなんです。
これをやればその薬局は一刀両断のもとに保険薬剤師の指定を取り消され、二カ年間はサムス准将の嘆いたところのクマのいを売る番頭さんに転落しなければならぬということになる。
第一点、サムス准将が参りましたときに、医薬分業の問題が起ってきましたときに、臨時診療報酬調査会というものができまして、その結論は御存じのS=M+N+(1+α)gtというあの式が出たのでありますが、その式の数については今後検討してその数を求める、また1+αということにつきましては、アルファは多くは望めぬが努力をする、こういうお約束ができておった。
くどくどしく申し上げて大変失礼でありますが、この問題が日本の近代の、近ごろ現われて参りましたことといたしましては、当時サムス准将が日本の国にやって参りまして、そうして医薬分業をせひしなければならぬ、こういうお話だった。
多分二十三年と思いますが、この大豆粉中毒のときに、アメリカのサムス准将、それからあした出られる食品衛生調査会長の小島三郎先生、さらにこの研究室からブドウ球菌によって中毒が起ったのだということが新聞面に出まして、それで問題になったわけです。ブドウ球菌ならば衛生問題で片づけるものでございます。ですから配給はどんどんやってもいいということになってくるわけです。
○川崎国務大臣 いろいろ内容についての御議論はあると思いますけれども、医薬問題に対する紛争は、今始まったことではありませんで、七十年間の抗争史ということを世間では申しておりますけれども、それに伴って占領治下において、サムス准将なる者が医薬分業に対しての強力な推進をなし、かつ今日昭和二十六年に成立をいたしました、いわゆる改正案なるものより一そう強い、強制的な医薬分業というものを行なった際におきましては
もちろんサムス准将が指示をされたことは事実であり、国会提案以前におきましては、あるいは占領軍当局の圧迫というものがあつたかなかつたかは知りませんし、また敗戦国民としてこの圧迫にあらざるも威圧に屈服したという卑屈な立場が日本人側にあつたかも、それは知りません。しかし少くとも国会に提案以後においては、国会の権威としましては、サムス准将や占領軍に圧迫されたということはごうまつもありません。
これに対しまして、医薬分業制度が実施せられるにとに対しましては、日本歯科医師会の我々は反対をいたしたいと存ずるのでありますそれは御承知のように昭和二十五年サムス准将が、分業の可否並びに分業が可としたならば、厚生省に調査を任せてよいかとの医師、歯科医師、薬剤師の三者の会合である三志会これに対する質問書が提出されたのであります。その後いろいろな過程を経て今日に及んでおります。
初めは医者が薬を売つて生活しないような、薬剤師が熊胆を売つて生活しないような、歯科医者が金を売つて生活しないような、そういう医療費体系を作れというサムス准将が示唆をした。
サムス准将はお帰りになつたといたしましても、司令部の方針といたしましては、一応打出しました方針はあくまで遂行する、そういう方針ではなかつたか、いかがでありますか。
そのことはかつて私が苦労しました社会保障制度審議会の委員としての第一次社会保険制度の勧告や、それから占領中の総司令部のサムス准将の強制によつてできました臨時医療報酬調査会あるいは医薬制度調査会、これらの機構の経験から見ましても今回の新医療費体系の内容は非常に了解しがたい点がたくさんあるわけであります。
サムス准将は一ないし三%上るであろうと言いますし、また医師会の調査によりますと、一二、三%以上上ることになつております。厚生省当局もその当時いささか上るであろうという言明をされておるのであります。ただ下るということを主張されたのは薬系側だけでありました。
それはまたあとの問題にいたしまして、それでは一体今仰せられた臨時社会保険報酬審議会ですか、こういうものはいつ一体結論を出すのか、またどういうふうにこの審議会が問題を解決しつつあるのか、また小山君もおられるが、この前サムス准将の示唆によつて医療分業実施のための、いわゆる臨時医療制度調査会とか、臨時医薬何とか報酬調査会というものをこしらえて一応結論を出したのであるが、あれはその後のこの問題解決のために、
そうすると、よそでは自国の者を悪口を言う習慣がないものだから、日本人自体がそれほどに人格的に貶しておるのだから、これはいかんのだろうということで取止めになつた、ということを語つておるのがあるのですね、こういう例が国内でもあつて、僕が今申上げるのは、曾つて予防衛生研究所に矢追博士という人がおりまして、これは亀山会長の耳にも入れてありますから、恐らく御存じだろうと思いますが、精製痘苗などを発見されて、サムス准