2015-05-14 第189回国会 参議院 外交防衛委員会 第13号
〔理事佐藤正久君退席、委員長着席〕 そういうコーヒーの市場が、かつて私がタバスコのビジネスをやっていたときに、GFですかね、ゼネラルフードか、そこの人間から聞いた話で、中国にコーヒー園を造りたいと、今から三十五年ぐらい、もっと前の話ですが。
〔理事佐藤正久君退席、委員長着席〕 そういうコーヒーの市場が、かつて私がタバスコのビジネスをやっていたときに、GFですかね、ゼネラルフードか、そこの人間から聞いた話で、中国にコーヒー園を造りたいと、今から三十五年ぐらい、もっと前の話ですが。
あるいは、GFというんですかね、そこがコーヒー園をつくると。中国人がコーヒーを飲み出したら、当時の市場の三倍でも間に合わないという。現実にそうなってきましたね。 そういう中で、非常に中東も今、メッカ参りの時期に約五十万頭ぐらいの羊が必要であると。間違いなくもうこれが足らなくなっているという現状なんですね。
私も、十四歳のときにブラジルに移民をしたときに、ちょうどコーヒー園で働いた後、夕方空を眺めていたら、地平線から光ったものが来てすっとまた反対側の地平線に消えていったという、そんなことがありまして。
そして、ブラジルに着いてコーヒー園に入植したんですが、大変な重労働で、昨日の委員会でもお話ししたとおり、後は力道山にスカウトされて日本に来て、でも、非常にブラジルに大変興味、家族がいるものですから。 そういう中で、ブラジルとの関係ということで、非常にフィゲレードという大統領にかわいがってもらって、昔行くと、もうすぐ大統領官邸に呼んでいただいて。乗馬の好きな大統領だったんです。
話というのは余り新聞に出ませんけれども、現実、旧、何ですかね、旧、戦争のあった跡地におきましてはまだ一杯ばらまかれている状況で、一日に何人かというような比率になっておりますんで、こういったものができますと、きちんと掘り上げた後、かつ、この機械でやりますと、沼地の場合はあとそれが農地として使えるというところがこの機械の新しいみそみたいなところでして、掘り返した跡をかなり農地として、ニカラグア等々はコーヒー園
そして、一つには例えば、例えばというよりは、中国の人たちがコーヒーを一杯ずつ飲み出しますと今の市場の三倍でも追いつかないというのをある専門家の話で聞いたことがあるんですが、たまたま、ずっと昔の話になるんですが、そういう戦略の中で中国にコーヒー園をつくるという話がありまして、中国のコーヒー園というのは採算が合うのか合わないのかはともかく、宴するに中国の人たちがコーヒーを認識することによって市場がそれだけ
そういう意味で、私は子供のときにブラジルの方へ移民してコーヒー園で入植して働いたんですが、そういう自然の中で、やっぱり備蓄というものをしておかないと、農業の場合は翌年の問題というのが大変大きな問題になります。
○猪木寛至君 この条約の中をさらに見ていきますと、移民労働者に関する条約九十七号というのがあるのですが、かつて私も十四歳のときにブラジルに移民をいたしまして、大変な長旅というか四十五日間、船に乗りまして入ったところがコーヒー園と。この移民に対する条約というのがちょっとわからないので説明をだれかしていただけますか。
我々はまだ子供だったので、行く前は本当に楽園に行くような話で向こうへ行ったわけですが、行ってみると大変厳しい状況で、コーヒー園に入植しまして非常に、この言葉がいいかどうか、本当に奴隷同然のような生活を体験いたしましたので、大変感銘深く聞かせてもらいました。
○猪木寛至君 きょうは国際コーヒー協定並びにジュートに関する協定ということで、ちょうど私はコーヒー園で、子供のときに向こうに移民をしまして、コーヒーを栽培する、収穫をするという経験はほとんど日本の人にはないんじゃないか。そういうことで、ちょっと私のコーヒー園時代の話をさせてもらいたいと思います。 ちょうど一九五七年、当時は移民が非常に盛んでした。
そこで、私は少年時代ブラジルに移民をいたしましてコーヒー園に入植したわけなんですが、そこのコーヒー園自体つい最近訪れましたら全くのもう砂漠化というか、雑草は生えているんですが牧場にもならない、もう本当に栽培のできないような土地が死んでいる現状を見てきまして、今このサトウキビの将来五年後というものを見ますと、恐らく作がどんどんどんどん糖質が落ちてきているのが現状であって、そうすると今焼き畑農業でここがだめになったからまたほかの
そのときにはそのブラジルのコーヒー園などは適用になるというふうなことが言われたことがあるというふうに記憶いたしております。
作付の転換とかコーヒー園の整理とかという目的に対して十分成果を上げたというように見れば見れるのでありましょうが、このような問題はどうなっておるのか、こうした項目は本協定ではどういう形で織り込まれておられるのか、どういうように評価されておるのか、その辺を承りたいと思います。
○土井委員 あと具体的に一問おきかせいただいてきょうは私は終わりにしたいと思いますが、パラグアイ駐在の、これは新聞紙上にも報道されましたが、種谷清三大使が、任地であるパラグアイのストロエスネル大統領から、モンテ・カフェというコーヒー栽培法に関する功績ということで、非常に広大な八十四ヘクタールに及ぶコーヒー園の贈与を受けたという事実が伝えられた経緯がございますが、許可申請というのは、外務省に申請を提出
○土井委員 しかし、この授受をする会合にはもう種谷大使自身は出席をして、そしてこのコーヒー園に対して、土地取得を証明する何らかの書類に対しての授受というものがあったわけでありましょう。
○土井委員 しかし、もうすでに種谷大使自身は現地において、この問題の八十四ヘクタールのコーヒー園の贈与は大統領から事実上受けられているわけでしょう。したがって、それを外務省の方では、これは二月段階の話ですね、申請が提出されてから後もうすでにかなりの日数がたっておりますが、このことに対する態度は保留のままで今日に来られておるというかっこうですか。
一つは、ベトナム人私費研修員五名の研修先あっせん、それからベトナム人国費留学生の世話及び在日ベトナム人留学生団体との交流、三番目がインスタント・コーヒー協会派遣コーヒー園栽培開発調査団に対する助言、あっせん、これだけしかやっていないわけです。なぜこういうことを言うかといいますと、前の三十九年度のベトナムの医療援助のときも全く同じケースであったわけです。
囚人の点ですが、私たちのところには、いわゆる現役の囚人はおらなかったんですが、嘆願書の中にございますこれは俗にコーヒー園と言っておりますが、アグアネグラ、アルタグラシアという名称でハイチとの国境辺の山岳地帯、これは未調査のまま入植者を入れた地区でございます。これは大体スペイン人が逃げ出して現地人が入って、これも逃げ出した。
○高木政府委員 コーヒー園の入植につきましては、あのコーヒー園のあとを引き受けて日本の移住者にやらすということでございますから、この土地の調査なんかはしていないのではないかと思います。
○古関参考人 私がこの前参りましたときに、コーヒー園の方をまず第一に見ました。そのコーヒー園は非常に山でございまして、そこに植わっておるコーヒーは、ずっと前にほとんど放棄したようなコーヒーでありましたために、あまりよくなっておりません。それからずっと山を登りますと、ある平地がございまして、そこにもコーヒーはなっておるのであります。
○西村(力)委員 コーヒー園にも送っておりますが、コーヒー園に入植者を送るにあたって、確信ある調査はどういう方法でなされましたか。
ことにコーヒー園の方に入植された方々、アグアネグラとかアルタグラシアとか、こういうところの方々がおいで下さればはっきりするのでございましたが、本日はおいで願えないことになりましたのでやむを得ませんけれども、皆さん方でも、現地人との関係においてはいろいろ苦労せられたことであろうと思うのです。それが当初からずっとどういう関係にあるか、ことにトルヒーヨ政権の転覆後はどうであったかということ。
たとえばアマゾン方面の国営の入植地に入るような場合、それからこの間お話の出ました割合に条件のよろしい、あるいはコーヒー園の跡地に入って近郊的な農業を営むというような形とか、あるいはすでに入っております移住者の所に雇われます雇用移民になりまして、その雇用移民が数年の後、自作の土地を得るための資金が要るというふうに、いろいろな形がございます。
ところがコーヒー園の将来の見込みが暗いということに対しては、非常に私はこれは責任問題ではないかと、こういうふうに考えるのです。それと同時に間作は非常によくできている。ところが大豆その他の間作物をそこで売る販路がないわけです。パラグァイは御案内のようにブラジルとの国境でございます。