1982-08-19 第96回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第7号
○丸谷金保君 地域の振興をうたっておるのですが、この中でコンブ漁が再開しました。約六億円くらいの生産がこれによって上がるようになった。この点については衆議院で岡田利春議員も指摘しておるところでございますが、これが当初岡田利春議員あるいは飛鳥田社会党委員長等も骨を折ってソ連との間に大きな煮詰めをし、参議院でも川村清一議員が非常に骨を折った。
○丸谷金保君 地域の振興をうたっておるのですが、この中でコンブ漁が再開しました。約六億円くらいの生産がこれによって上がるようになった。この点については衆議院で岡田利春議員も指摘しておるところでございますが、これが当初岡田利春議員あるいは飛鳥田社会党委員長等も骨を折ってソ連との間に大きな煮詰めをし、参議院でも川村清一議員が非常に骨を折った。
○衆議院議員(高橋辰夫君) コンブ漁のことについては私も人よりよく知っておりますけれども、この損害についてこの中で考えるということは考えておりません。
○松浦(昭)政府委員 貝殻島のコンブ漁につきましてお答えをいたします。 幸い民間協定ができ上がりました。歯舞、根室、落石の所属漁船三百三十隻がこの水域に出漁いたしまして、九月一日から九月三十日までの漁期終了まで十六日間操業いたしまして、五百七トン、これは製品の重量でございますが、コンブが採取できました。これは従来まではゼロトンでございますから、非常によい状態で採取ができたわけでございます。
ただ、ただいま先生が貝殻島のコンブ漁との比較をなさったわけでございますが、この貝殻島のコンブ漁につきましては、幸いことし民間協定で妥結をいたしたわけでございますけれども、この協定は昭和三十八年、いわゆる高碕協定が締結されまして、この協定に基づきまして操業が続けられてきたところでございますし、途中ソ連の二百海里の設定によりまして中断をいたしたものの、本年高碕協定に準じましてこの民間協定が締結されまして
また先般、貝殻島のコンブ漁が再開されましたけれども、このコンブ漁の水揚げの際に外国貨物の取り扱いを受けて、関税法上の手続が必要であるということで、現地では強い不満があったことも御承知のとおりでございます。
先般、貝殻島のコンブ漁の交渉がやっと妥結をいたしまして、昭和五十二年以来中断しておりましたコンブ漁が再開されました。このコンブ漁が中断しておりました原因は、ソ連が協定に領土問題を絡ませてきて、そして貝殻島をソ連領の呼称にする、あるいはソ連による裁判管轄権の行使あるいは操業許可証の発行、そうしたこと等によりまして日本に対しましてソ連の領土を認めさせよう、そういうことをしてきたからであります。
私は、貝殻島のコンブ漁一つとってみましても、四年間ソ連に通いましたよね。去年行って北海道水産会を社会党の推薦する団体として交渉して、外務省も最後は了解をしたんですが、あの北海道コンブ漁というのができ上がった。その前には、高碕さんたちのあの民間外交というのが実っておるということはそのとおりだと思うんです。
○玉城委員 この秋の国連総会で大臣はグロムイコ・ソ連外相とお会いするやに、またそういう機会があればということだと思うわけでありますが、やはり今回の貝殻島のコンブ漁の再開の問題とか、ただいま領土問題には関係は直接的にはないようであったというようにおっしゃっておるわけでありますけれども、あるいは少なくとも何らかの糸口が見出せれば、日本側としてはそれをとらえて日ソ関係打開の糸口としていくのは当然だと思うわけでありまして
○高沢委員 いま大臣の積極的な御評価がありましたが、私も社会党の一員として、ここまで来る紆余曲折の過程で、社会党の飛鳥田委員長とソ連のスースロフ氏の首脳会談の中で、このコンブ漁が実現するようにという社会党側からの強い要請を行い、また、スースロフ氏の方もその実現のために努力しましょうというような話し合いが行われた経過があって、今日のこういう結論に至ったという立場で、大変これを喜ぶ一人でございますが、さて
持ってきたものをあなた方は、これはだめ、あればだめと物を言っているだけで、外務省として貝殻島のコンブ漁について積極的に動いたなんということは私は余り聞かない。どうも私は日本の外交姿勢というものは、何かしらん待っているというんですか、何か来ればそれはだめです、ここもだめですと言うだけの話で、あなた方が積極的になって解決するなんということをほとんど私どもは見れないですね、正直に言って。
それから、もう一つ外務省にお聞きをしておきますが、最近貝殻島のコンブ漁の問題で、実はこれは私も一部関与をしておりました。それは、去年訪ソして、北海道水産会の代表との交渉をやるというところまで私ども話つけたつもりであります。それ以来交渉しているわけなんですが、いまどういう現状にあるのか。
その辺のところをソ連側が理解をいたしまして、ともかく現地の零細漁民のことを思いまして、何とかその辺のところをお互いに工夫をして、コンブ漁を可能にすることについてソ連が本当に協力的であるのであれば打開の道はあるのではなかろうかという印象を持っております。
そこで、一つだけ具体的にお聞きしますが、私はいま社会党で責任者でもありますために、北海道の貝殻島のコンブ漁の問題について、四年ばかり毎年モスコーへ参りまして、漁業相あるいはまた貿易相あるいはソ連共産党中央委員会の国際局ともかなり激論やっているんですが、ここ三年ぐらいとだえちゃってどうしようもないわけなんですが、一体農林水産省としては、この貝殻島のコンブ漁についてどういうふうにいま把握をして、今後これをどういうふうに
私たちとしましては、貝殻島の周辺水域におきますコンブ漁は零細漁民の生活にかかわる問題でございますから、今後ともコンブ漁が早期に再開できるようにできるだけの努力をいたしたいと思っておるわけでございます。 交渉の現状でございますが、私もこの前、日ソサケ・マス交渉が終わりました後、クドリャフツェフ第一次官とこの問題について議論をいたしましたが、ソ連の提案は三つ、問題としてございます。
もしもこの北海道水産会というこういうきちっとした団体でなくして、もし何者かが、何者かと言うと失礼ですが、これは日本人でございますが、勝手に一つの組織、団体をつくって、これがソ連と民間協定を結んできたとき、いわゆる外務省の、政府の口上書の必要もないというそういう民間協定をもしつくってやってきて操業したとするといたしましたならば、いまの国内法ではコンブ漁はこれは自由漁業でございますから、それを規制する国内
しかしそれはそれとして、私ども何とかしてこのコンブ漁の民間協定ができるようにということでソ連にもポリャンスキー大使にも話しましたし、今後もこれは長年の漁民の人の悲願でございますから、何とか実現したいということで、ひとつ一生懸命努力を今後もしてみたいというふうに私は思っております。
○伊東国務大臣 先般ポリャンスキー大使に会いましたときに、ソ連側の誠意ということをいろいろ話があり、経済問題で日本側から提案はないかというふうな話がございましたときに、私はこの貝殻島のコンブ漁の問題と墓参の問題を特に話したわけでございます。
そこで、外務大臣に関連してお聞きしますが、貝殻島のコンブ漁の問題、これは業界代表との間でこの問題で進展があったのかどうか。これは実は昨年の十二月二十二日に当委員会において金子委員がこの点についての質問を申し上げました。
コンブ漁一つとってみても領土関係だ、こう言われるわけで、これが実現をしてない。墓参の関係というような問題もございますので、そういうことでは誠意ある態度と言えないのじゃないかというのが日本の考え方でございます。
○武藤政府委員 コンブ漁に関します民間協定の問題点は先ほど御指摘のとおりでございまして、これを一言で申しますと、要するに北方領土問題が絡んできているということになるわけでございます。
そもそもがバレエ公演の受け皿組織だったから、その資金を生み出す特別会費でまかなっており、当初の年会費はコンブ漁家一万円、十トン未満漁家一万五千円、十トン以上二万円で運営して来たという。この町独自の組織がこんどは日ソ協会の系列下にはいる訳だが、百三十五人の会員のうち、それに賛成したのが七十六人で、こんどの会員証はこの人たちに手渡された。
〔主査退席、副主査着席〕 そのときに出された要望というのは、もちろん領土返還を強力に運動して実現してほしいということ、学校や社会教育での領土教育の実現、これは多少問題がありますけれども、それから貝殻島周辺のコンブ漁、それから北方墓参の再開、根室地域安定振興特別措置の実現、漁業権救済措置の実現。
そこでそのとき、いろいろの問題があることは承知しておりましたが、前から問題になっておりますコンブ漁と墓参の問題、墓参の問題は人道的な問題なんだ、国境を離れた問題じゃないか、コンブはこれは本当の零細漁民がとっておるので、そういう問題が残っておるのだから、まずそういう問題を早く実現するようにしてもらいたいということを私は話したのでございます。
なお、その十五日の大臣とポリャンスキー大使の会見の中で、大臣から貝殻島のコンブ漁の問題とか、あるいは北方墓参の問題とか、そういうふうな具体問題でむしろソ連側からの積極的な対応を望む、こういうふうなことを伝えられたやに承っておりますが、その辺の事実の関係、またそれに対する相手のソ連のどういう対応を大臣の方では期待されているのか、その辺をちょっとお聞かせいただきたいと思います。
から伝えてあるので、それ以上伝えることはないのだ、領土問題にいつまでも拘泥していては両国関係が進まぬじゃないかということで、あと経済問題でございますとか、科学技術の問題でございますとか、文化の問題でございますとか、あるいは政治のいろいろなレベルの話し合いということもあるだろう、そういうことをやるべきだ、ついてはそういうことについて日本で何か提言はないかということでしたから、私は、北方領土の墓参とコンブ漁
おとついの会談でも、私は何か提案はという話がありましたときに、零細漁民のコンブ漁の問題とこの墓参の問題、これは人道的な問題なんだから、両方でこれは係争地だということを頭に置いて、そして従来の身分証明書で行けるというようにすべきじゃないかということを、私は実はコンブの問題と二つこれは強く向こうに言ったのでございまして、ポリャンスキー大使はこれはすぐモスクワにそういうことがあったということをこの問題は伝
○渡部通子君 北方領土への墓参、貝殻島周辺におけるコンブ漁の再開、北方領土におけるソ連軍基地の閉鎖、こういったことは当然こうした交渉の場で強く要求すべき事柄であると思いますが、いかがでしょうか。また田中・ブレジネフ共同声明におきまして記されている両国首脳の相互訪問、これは実現しておりませんが、どうしてこの履行を強く迫らないのか、その辺の御見解も伺います。
このコンブ漁につきましては、私どもも関係者の方としばしばお目にかかっておりまして、漁民の方の苦衷というものは重々承知しているわけでございまして、私どもとしても何とかお助けしたいと、側面的にではございますけれども努力はしているわけでございます。近く交渉が再開されるということでございまして、少し道が開けることを期待しているわけでございます。
最後に、貝殻島のコンブ漁の問題についてであります。 いみじくも先ほど大臣言われたように、伊東外相はかつて水産庁の長官もされておりました。漁民の心は痛いほどわかっておられると私は思います。昭和三十八年以来民間協定で継続されてまいりました貝殻島のコンブ漁は、その後いろいろな紆余曲折がございまして今日に至っているわけであります。昭和五十二年以来協定は締結されておりません。
それからもう一つは、貝殻島のコンブ漁の問題で、これはもう私地元の漁協の方々からも再三お聞きしましたし、また武藤局長さんとも何回かお話し合いをしていろいろお聞きはしているわけですが、これは問題点はまあ三点ほどあるわけですけれども、私は政府の、つまり外交上の政治的な環境をどうしていくかという問題にある程度かかっている部分が少なくないのではないか、それ自体の問題としてはそれは条約的に突っ込んでいきますと確
われわれとしても、何とか早く民間協定ができてコンブ漁関係の人の生活が安定するということは本当に希望しますので、今後も、北海道の水産会に任せるということではなくて、われわれも陰で相談にあずかり、何とか早くつくりたいということで努力をしてまいりたいと思います。
○金子(満)委員 そこで具体的な問題ですが、先ほどもちょっと話が出たようですが、貝殻島のコンブ漁の問題ですね、これはたしか七七年からとまっていると思うのです。七六年には九百六十四、これは製品重量ですから乾燥重量でとっているわけですね。それ以後、全然とれなくなってきている。
○伊東国務大臣 貝殻島周辺のコンブ漁につきましては、亡くなりました高碕さんが大水の会長時代に民間の協定でずっとおやりになったわけでございますが、あれはたしか二百海里の問題が起きたときを契機にして中止になった。