2020-03-18 第201回国会 参議院 国土交通委員会 第4号
この点について、どうも年次で様々な計画を打っているんですが、港湾ランキングではありませんが、一九九〇年代には神戸が世界ランキング、コンテナ扱い量で四位、あるいは東京、横浜などが十位前後と。それが、東京が辛うじて三十位で、横浜、神戸などは五十六位、五十八位と。この転落の図がありながら、何度かいろんな打ち込みをやっても回復できない。
この点について、どうも年次で様々な計画を打っているんですが、港湾ランキングではありませんが、一九九〇年代には神戸が世界ランキング、コンテナ扱い量で四位、あるいは東京、横浜などが十位前後と。それが、東京が辛うじて三十位で、横浜、神戸などは五十六位、五十八位と。この転落の図がありながら、何度かいろんな打ち込みをやっても回復できない。
これは、航空行政、これまで何が教訓であったか、そういうことを本当に総括しなければ、今後、今まで以上に国際競争の激しくなる時代に、国際港湾のように、いつの間にやら、神戸は全世界で四番目のコンテナ扱い港だったんですよ、もう今は見る影もない、どこに行ったんだ神戸は、横浜はどこだ、そういうふうになってしまうんです。
例えば、私の地元神戸でいいますと、昭和四十年代後半は神戸港は世界第二の港、コンテナ扱い高世界第二ということでございましたが、もうそれが今や惨たんたる状況でございます。世界三十位にも入れない、そんな状況でございます。 また、船社の状況を見ましても、当時は中核六社、そんなことを言っていた時代でございますが、今はすっかりさま変わりしました。
まず十五メートル級の岸壁整備計画、これは去年五月の運輸委員会で、コンテナ扱い高日本第三位の我が名古屋港がその整備計画に入っておらず、私は東海地方の地場産業を見捨ててしまうのかと訴えました。その結果、十二月の閣議で、追加で十五メートル水深バースを一つお認めいただきました。まことにありがとうございます。これは西四区岸壁に平成九年度中に完成する運びとなっていると地元では伺っております。
この事実もやはり知るべきだと思いますし、また船のコンテナ扱い量は、一九七五年神戸港は世界第三位であったのが、八五年に五位、そして九四年には六位になっている、こういう事実もあるわけでございます。 もう一度繰り返して申し上げさせていただきますと、ハード面での復旧、復興というのはほぼ進んできた。また基本的に、ハード的には神戸港というのは非常に世界にも冠たるものを持っている。
○政府委員(御巫清泰君) 清水港は非常に重要な港でありまして、コンテナ扱いも非常に大きく伸びております。この中で、コンテナバースの整備要請が強いということも承知しておりまして、それにいかに対応できるかということは十分今後詰めなきゃいけませんけれども、八次五カ年計画を作成する段階で港湾管理者からの御要望、御意見を伺いながら、その内容をどう取り入れるかということを検討していきたいと思っております。
その後コンテナ扱いがどんどんふえまして、最盛期は百五十万トンばかり扱ったことがあるのでございますが、その後輸送が低迷をいたしておったわけでございます。
計画の概要でございますが、第一期計画、四十八年時点にいろいろ検討いたしまして計画した内容でございますが、これはフレートライナー用のコンテナ扱い設備を増強するということで計画いたしまして、その設備といたしましては着発線を三線、留置線を二線、機回り線一線、延長で申し上げますと、着発線が千八百メートル、留置線が千百メートル、機回り線一線、それからコンテナを扱いますホームを二面、千百メートルという長さの規模
その時点で実はフレートライナーの計画をしたわけでございますが、実はコンテナ扱いというものが、昭和三十五年から始まりましたけれども、四十八年時点までは非常に順調に伸びてきたわけでございます。
○半谷説明員 安治川の駅の貨物の取扱量の推移でありますが、過去、最近の数字で最高になりましたのは昭和四十六年でございまして、その時点のコンテナ扱いが五十九万六千トン、それから車扱い、専用線扱いがございまして、合わせまして百五十一万トンというのがその当時の安治川駅の貨物の年間の総取扱量でございます。